1.堕ちた侯爵家
次話から胸糞描写が出て来ます。侯爵には上げて落とすを基本とした復讐をしていく所存です。
レイナルド・コールデン侯爵は神官、国王陛下、アーチバルト第二王子、元老院議長、弁護士立会いの下、ローズマリー・シモンズ男爵令嬢との婚姻無効の書類を呆然と見ていた。
離縁、ではない。無効。
婚姻の無効。結婚生活自体が無かった事とされる。
シモンズ男爵の代理弁護士は「お会いするのもこれで最後です」と告げた。
その言葉は耳鳴りのように酷く響く。
この3か月でコールデン侯爵は精神を削られ随分とやつれていた。思考を放棄しているとも言っていい。
しかし、立ち会う誰もがコールデン侯爵に同情などしない。
この婚姻無効は既に決まった事なのだから。
「レイナルド・コールデン侯爵、何か申したいことはないか?」
国王の静かな声が室内に響いた。
コールデン侯爵はゆっくりと顔を上げる。かつては鋭い眼光で政敵を退けた彼の目は、今は虚ろになっていた。
「全て……私の責任…ですか…」
弁護士は書類を整えながら続けた。
「コールデン侯爵家からは多額の慰謝料が支払われます。また、侯爵夫人……いや、シモンズ男爵令嬢は隣国にて療養されることとなりました」
レイナルドの目に一筋の光が戻った。
「彼女は生きているのですね!?」
元老院議長がため息混じりに答える。
「崖から落ちたという報告ですが、奇跡的に命は取り留めたようです。しかし……」
彼の言葉は途中で途切れた。
「ローズマリー・コールデンは死んだ。――お前たちが殺した」
アーチバルト第二王子は厳しい視線を向けて告げた。
「一度目は貴様の母親の指示で崖から突き落とされた時。二度目は凄惨な虐待の心的外傷で貴様との婚姻関係の全てを記憶から喪失した時。
貴様ら愚かな高位貴族に、シモンズ男爵令嬢は二度も、お前たち侯爵家に殺された」
アーチバルト第二王子はコールデン侯爵の胸倉を掴み、更に告げた。
「貴様に彼女を案ずる権利も何もない!何の恨みがあった!?一人の令嬢をあれ程追い込んでおいて‼今更すり寄るとは、恥を知れ!!!
――二度とシモンズ男爵令嬢の名を口にするな。貴様との婚姻は『無かった』。
全てを忘れた令嬢に…過去の傷を抉るような真似をすれば、貴様も貴様の母親のように斬首台に送られて当然だ」
ソファに荒々しく投げ飛ばされたコールデン侯爵に、国王は『止めよ』とアーチバルト第二王子を制する。しかし、それはコールデン侯爵への情ではない。
「そのようにあっさりと死なれては、シモンズ男爵や令嬢の痛みの半分も無いだろう。
貴様の母や使用人たちは刃の潰れた剣でゆっくりゆっくり時間を掛けて首を斬ったが、足りぬほどだ」
母の壮絶な死にレイナルドは冷汗を流す。
「シモンズ男爵夫妻は娘と共に隣国に移る事となった。
今回の件に怒り、隣国に渡る者たちも多い。
国としても最大限の支援を約束する。…有能な忠臣たちを失ったよ」
レイナルドは膝をつき、「私は一体何を……」と呟いた。
元老院議長が前に出て言った。
「レイナルド殿、あなたは宰相補佐の地位を剥奪され、病気療養から無理に復帰した父君が引継ぎを済ませるまでの間、家督を取り仕切ることになります。
可哀そうに。あのおぞましい侯爵家において、先代侯爵だけが保養所で彼女を案じ何度も貴方たちに忠告をしていたというのに。無能な息子のお陰で、その内天に召されてもおかしくない程に容体は悪化しておいでだ。
原因は奥方…失敬、シモンズ男爵令嬢が生死を彷徨う間、領地で有給休暇の期間、愛人と蜜月を交わした醜聞も強いでしょう」
「違います、『マリー』は…」
「そのマリー嬢もこの世に居ないだろう」
アーチバルト第二王子の冷徹な宣告に場が凍り付いた。
「証拠こそ出ていないものの、貴方の母親と使用人たちが斬首となる前、『マリー』という女性が侯爵家に居たことを証言している。
副騎士団長トリスタン・オールスも、不当な休暇を取る貴方の弁明で領地に赴いた際に対面した。
そして、王家の夜会で『マリー』は…。貴方に恋慕した令嬢に刺されて死んだ。
シモンズ男爵令嬢が隣国で入院中である以上、あなたの妻ではない事、そしてあなたの『愛人』である可能性が高いのは明白だ」
レイナルドは混乱する頭で必死に理解しようとした。確かに愛する人はいた。だがまさかそれを皆が否定するとは……。
「コールデン侯爵よ、これで理解できたか?」
王が厳かに尋ねた。
「神の元で誓う婚儀の場で、仕事にかまけて新婦一人で婚姻を交わさせる体たらく。
侯爵であり宰相補佐でありながら二年に渡って『初夜の儀』を怠り、シモンズ男爵令嬢を放置し虐待に気付きもしなかった罪は重い」
レイナルドは両手で顔を覆った。
「母上が……あの優しい母上がそんな事を……?」
「嘘だと思うなら確かめて見るが良い」
王は冷たく言い放った。
「いずれにせよ、ここに全ての事実が書き記されている。
――拷問器具で一人の令嬢の尊厳を踏みにじる等…正気の沙汰ではない。
…聖女の加護で傷は癒えたから良いものの、危うく男爵は領地戦を挑む所だった。
――この件を外部に漏らさぬように魔法契約をしてもらう。…これ以上令嬢の名誉を穢すな」
彼が席に置かれている資料を見た時、突然の吐き気に襲われた。
「私はただ……国の未来のために働いていただけです」
弁護士が冷静に答えた。
「それが本音であれば、なおさら罪は重い。妻を見捨てた上で国に仕えても、それは忠誠ではなく単なる逃避でした」
元老院議長も告げる。
「あなたは宰相補佐という立場を利用して妻との関わりを避けてきたのです。ローズマリー様に興味を持たず、会話を交わすこともなく、寝室に入ることさえ拒んだ。
――ああ、彼女の訃報を『面倒だ』と愚痴まで言った。そんな忠誠など不要です。
さて、あなたに仕事を振った第一王子ですが、今回の責任を取って廃嫡。伯爵位となり、このアーチバルト第二王子が王太子となりました」
自身の足場がガラガラと崩れていく。
「母上はいつも私に言っていました。妻のことは私に任せてくれれば心配は無いと……」
国王が沈痛な表情で言った。
「母親を信じて疑問を持たなかったお前の愚かさは救いようがない。これからコールデン家は厳しい道のりを歩むことになるだろう」
レイナルドは黙って頭を垂れた。窓の外では秋風が吹き荒れていた。屋敷内のどこかで女が泣いているような声が聞こえてくる気がした。それは本当に聞こえているのだろうか、それとも自分が作り出した幻聴なのか。最早区別できなくなっていた。
「レイナルド・コールデン」
アーチバルト王太子が決然と言い放った。
「あなたがどれほど愚かであろうと、亡き『ローズマリー』の恩赦により処刑だけは免れましょう。ただし、こちらの提示する条件を全て飲み、貴方の代で潰える貴族位を継承するのが恩赦の条件。
シモンズ家の贖罪とエリザベート殿との人生をお送りください」
「私が……公爵令嬢と……?」
「公爵家から除名された、ただのエリザベートだがな。
この条件を飲まなければ、貴方は爵位を失い最下層民となる。貴方の自身の身は危ぶまれ、コールデン侯爵家は潰れるのだ。これは『ローズマリー』の温情である」
アーチバルト王太子は続けて言った。
「選べ。妻を失った悲しみと共に生きるか、それとも己の過ちから逃げ続けるのか」
レイナルドは震える手で印章を押し婚姻無効の書類と諸々の誓約書にサインした。
この日を境にレイナルドは最低限の使用人しかいない、侯爵領で過ごすことになる。
その屋敷の西の端にある小さな物置部屋。ベッドに埃の分厚い層が溜まったそこは、ローズマリーがいるはずの部屋だった。
だが二度と会うことは許されない。
彼女の記憶の中から自分の存在が消え去った今となっては――。
「マリー…。全て私が招いた結果なのだな……」
独房のような小部屋で壁に向かい合い立ち尽くすレイナルドは小さく呟いた。
壁の隙間からの陽光が壁に影を描いている。
かつて自分の腕の中で笑っていた少女の姿ではなく、今は暗闇の中に浮かぶ自分の歪んだ陰だけがそこにあった。
レイナルドは涙を流した。
「ごめんなさい……」
初めて口にする謝罪の言葉。
それはもう二度と届かない相手への懺悔であった。




