第90話 魔国幹部アギトの娘
一人で研究に打ち込む時間……それは何よりも俺にとって尊重すべき時間であり、それを優先する限りにおいて俺は生涯を孤独に過ごすこともやむなしと考えていたはずだ。
……それが、いったいどうしてこうなったのだろう?
「ククク……わが求めに応じよくぞ来た。キウイよっ!」
魔都デルモンド、その外れにある魔女料理専門店のVIPルーム、その控え室にて。
全身から赤黒く禍々しい魔力を立ち昇らせ、両腕を大きく広げて俺を出迎えてくれたのは、魔国幹部の一魔であるアギトだった。
エルデン奪還作戦の時からは打って変わって、今にも筋肉ではち切れてしまいそうなタキシードを着ている。
「人間の寿命を考えれば、確かにおまえは結婚適齢期。結婚相手を探し始めて当然だろう。おまえがミルフォビア、シェスなどの有力美女魔族に囲われてしまっている今、吾輩は一歩出遅れたと思ったが……」
アギトは人の弱みへとつけ入る悪魔のようなニヤリとした笑みを浮かべると、
「ククク、ヒヒ爺に探りを入れてもらった甲斐があったというものだ。キウイよ、おまえがまだ結婚相手を定めていないとはなぁっ!!!」
「ええ、まあ……」
だが、結婚相手など探し求めはしていなかったのだが。
何故だかわからない。しかし、ウルクロウといいヒヒ爺といいアギトといい、どうやら魔国幹部の間では俺が結婚準備に向けて動き出しているという誤情報が出回ってしまっているらしい。
……いったい、ウワサの発端は誰だというのだ?
内心としてはすぐさまお見合いキャンセルの旨を伝えたいところだが、
「吾輩、大感激よっ! おまえを吾輩の家系へと迎え入れるチャンスを得られたことに!」
そう言って高笑いするアギトは、控え室から去って行ってしまう。
ご機嫌のアギトに対して「実は今はぜんぜん結婚したくないです」とはどうしても言いづらい。しかも全部俺への厚意でやってくれているのだろうし。
……まあ、今日を無難に乗り切って、明日から研究を再開すればいいか。
俺はかれこれ二ヶ月も戦場にいて、まともな研究時間も取れなかったわけで。いろいろと試したいことが溜まっている。
魔の言弾の実証試験も上手くいったし、エルフたちから得られた新たな聖術知識もある。それらの経験を利用すれば、黒癒の書をアップグレードできるはずなのだ。
いちおう、すでに天狗種のイナサに新しい章を書くための依頼はしてあるが……そこへ仕込むための術式のたたき台は俺が作り、それから魔女たちに任せるという手順が必要である。
「アラヤ様、タイが曲がっていますよっ」
付き添いのミルフォビアが、俺の服装の乱れを敏感に察知して直してくる。
「アラヤ様にとってアギト様は勝手知ったる仲かもしれませんが、しかしあくまでこの国の超重要魔族である魔国幹部の家柄同士のお見合いです。魔王陛下を始め、この国の重鎮たちがことの行く末を気にかけていることでしょう……あまり、気を抜かれませんように」
ミルフォビアは俺の周囲をグルリと周っては髪を撫で付けたり、スーツの埃を取ったりと忙しく動き回った。普段から世話焼き気質のミルフォビアだが、今日はいっそう本気モードだ。
「気合いが入っているな、ミルフォビアくん」
「アラヤ様に要らぬ悪評が立ってほしくありませんから。……ただ、」
言いかけて、しかしミルフォビアは口をつぐむ。
なんだろう? 『ただ』?
「いえ、なんでもありません」
ミルフォビアは一つため息を吐くと、
「そろそろですね。顔合わせの部屋へと向かいましょう。アギト様のご息女も来られる時間です」
そう言って控え室のドアを開けた。
すると、
「──チィーッス」
響く聞き覚えのない女の声。ドアの先に、誰かが立っていた。
「ここ、キウイ・アラヤの控え室であってんよね?」
外からのぞき込んできたその女は、一度見たら記憶から離れがたい特徴ばかり。
まず目を引くのはその真紅の肌。シルエットの出るピッチリとした布地の服で胸と腰回りだけを隠した他は、惜しげもなくトマトのように艶やかな素肌を露出させている。
そして頭から生えた二本の鋭く黒い角と、吊り上がった大きな目の奥に燃える赤色の瞳には見覚えがあった。
それは──
「おっ、アンタがキウイ・アラヤっしょ? アハッ、ウケる。パパが言ってた通りの見た目なんですケド」
「ちょっ、あなたは! なぜいまここにっ!?」
あぜんとしつつも駆け寄るミルフォビアを、しかしヒョイとかわしたその赤い女は、ニッと俺へと鋭い犬歯を見せるようにして笑うと、
「チッスー! あーしが今日のアンタの見合い相手──魔国幹部アギトの娘、オトガイだよ。よろしくね、キウイっち」
アギトの娘が、付き添いも伴わず俺の控え室へとやってきていた。
「ていうかさ、あーし、マジで堅い場とか超苦手なんよね。メシとかどうでもいいからクラブ行かね?」
「クラブ……?」
それは確か、この魔都で流行し、そして社会問題にもなっているとかいう派手な社交場だったか?
なお治安は最悪レベル。あらゆる魔族が踊り狂い、さらにはケンカや乱交に発展しがちな場所なのだそうだ。そんな結果としてケガ人が続出したり流行病が蔓延したり、あるいは意図せぬ妊娠まで起こってしまっているのだとか。
「フ……おもしろい」
いわば患者生成場ということだ。
客として入れば、医院で患者を待たずともダークヒールし放題。
確かに魔女料理に舌鼓を打つよりも、そちらの方が俺の好みではある。
オトガイもその気だというのなら、
「ヨシ。行こうではないか、クラブとやらにっ!」
「えぇっ!? ン何を言ってるんですかアラヤ様っ!?」
素っ頓狂な声を上げるミルフォビアだったが、対照的にオトガイは楽しげに目を見開いて笑い、
「いいねぇ、最っ高なノリじゃんっ!? 行こうぜキウイっち! パーリィータイムだっ!」
俺はネクタイを緩め外すと、手招きするオトガイへとついていくことにした。
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