第69話 【Side:候補生】気を確かに
魔国領ウェストウッド。
ほとんどが山と広範に広がる森林のその地には主に " 魔獣 " にカテゴライズされる種族たちが暮らしており、そして今、西方エルフ国家との間で係争地となっている。
開戦から約四ヶ月、断続的に大きな戦闘が繰り返されるようになったその戦場の一つでスワン・ヴァイステールは初めての戦争を経験した。
「──ダッ……ダス、ゲテ……」
「……っ!」
スワンは血まみれで目の前に仰向けになっている人型魔犬種の男の、そのいくつも穴の空いた胸部を必死で押さえつけていた。
「ちっ、鎮痛術式をっ……!」
「ゴポッ」
「っ喀血! 肺に血が溜まってるんだ……肺組織の修復術式を……じゃなくて止血優先でそれから窒息しないように体を横向きにしてっ……!」
真っ青な顔で、スワンは犬人種の男の胸に術式を展開し始めた。およそ数分、白衣の内ポケットへとしまっている黒癒の書がスワンの体の奥底から魔力を搾り取っていく。
襲い来る虚脱感の一方、しかしダークヒールは成功した。これで目の前の男は一命をとりとめた……はず。
あとは、えぐれた胸の傷を治していくのみだ。
しかし、
「──手の空いてるダークヒーラーはいないかっ!?」
ホッと一息を吐く暇などどこにもない。
森の木々を拓いて作られたこの医療キャンプへと、新たな負傷兵が担ぎこまれてくる。
「またエルフの " 光の大雨 " が降った! 魔国軍中隊が壊滅! 重傷・重体者多数!」
「そんな……!」
「こっちの魔猿種とその相棒のバイコーンが重体だっ! 腹部をいくつも貫かれて二体とも意識ナシ! 至急対応をっ!」
「……!」
スワンは辺りを見渡す。軍医の数はスワンたち候補生二十一名を含め、計三十五名。しかし、その誰からも手が上がらない。
──約二分に一名。
それが、エルフの大攻勢第五波目の始まった今のこの戦場で医療キャンプへと重傷・重体者が運ばれてくる頻度だった。
一名の治療に五分、場合によっては十分近くかかることがあるこの状況で、その数の暴力は軍医たちの手を休ませてくれはしない。
今もなお、あちこちに未処置の重傷者が横たえられている。
「スワン君、すまないが魔猿種の方を引き受けてくれるかね?」
後ろから声をかけられる。振り向いた先にいたのは、返り血でところどころが赤く染まった白衣を羽織るドクター・アラヤ。
相も変わらず気だるげな雰囲気で、しかし常時底なし沼のようなその目の奥になにか怪しげな光を灯して、スワンの隣へフラリとやってくる。
「私はバイコーンの方を診よう。きっとこの種もまた私を含め誰も診た経験はないだろうからね」
「えっ、あっ、あのっ、でも私まだこちらの魔犬種の方の治療がっ……」
「そちらは命の危険はしばらくなさそうだ。隣のガルフ君の手が空きそうだし、今の彼でも " それくらいなら " できるだろう。引き継ぎたまえ。君がすべきはより死に近い者への処置だ」
「はっ、はいっ!」
アラヤは「こちらに!」と声を張り上げ手を挙げながら、その魔猿種とバイコーンの方へと向かっていった。
……すごいバイタリティーだ、ドクター・アラヤ。
魔獣種は異種混合が基本のため特に種族の細分化が激しい。
その初見となるほとんどの種族を、今日のアラヤは一手に引き受けていた。
……私も、続かなくてはっ!
スワンは隣で治療をしている候補生の同輩の男、ガルフへと視線を向ける。
「ガルフさんっ、今の話聞いてくれてましたっ? 私の患者さんの残りの処置をお願いしたいんですけ、ど──」
隣のガルフは、こちらの声が聞こえていないかのようだった。そして暗い暗い木の洞のような目で、自らの患者へと視線を落としていた。
青白い顔、その口元からヌルリと光る大量の血をベットリとつけ、微動だにしなくなったその患者を。
「ガ、ガルフさん……その方、もう──」
「──止血、止血をしたのに……ちがう、心臓マッサージを、いやそうじゃない、きっと出血性ショックが起こってた、脳へと術式でアドレナリン分泌を先に……イヤ、ソウジャナイ、ソウジャナイ、ソウジャナイ……」
ブツブツと、ガルフは唇を小刻みに震わせるようにして呟き続けていた。
「ガッ、ガルフさんっ」
「ど、どうすれば、どうすればよかった、俺はどうすれば……」
「ガルフさんっ! ガルフさんっ!」
スワンはその両肩を目いっぱいの力で掴み、揺らす。
「っ!? あぁっ、あっ!?」
われに返ったようにガルフはその肩を跳ねさせると、その目の焦点がようやくスワンへと合った。
「スッ、スワンさん……」
「ガルフさんっ! 患者さんは、まだ他にもたくさんいるんですっ! だからどうか気を──」
スワンは言いかけて一度、その後に続く言葉を飲み込むと、言い直す。
「──私の患者を、お願いできますか……!」
「えっ」
ガルフはスワンが治療していた魔犬種の男と、それからスワンを交互に見比べて、そして、
「俺はっ、でもっ、手がほら、こんなに震えてるから、今は……」
「もうこの方は死にませんから、ゼッタイに! 大丈夫ですからっ! お願いします!」
スワンは一方的に押し付けるようにガルフへと言うと、「魔猿種の方、こちらに!」声を張り上げて先にアラヤが行った方へと足を向かわせる。
その途中、チラリと後ろを振り返った。
どうやらガルフはちゃんと、震えながらも犬人種に残った胸の傷の治療にとりかかろうとしてくれているらしい。
……私はさっき、ガルフさんへとこう言いかけた。患者は他にもいる。だから『どうか気を確かに』と。
気を確かに?
いや、それは無理な話だろう。
「──ゲホォッ」
魔猿種の患者はスワンが横に着き、処置を始めて数十秒後……大量の吐血を最後に亡くなった。
スワンの技術と判断能力の不足。それゆえに患者の刻一刻と悪くなる状況にダークヒールが追いつかなかった。
血が白衣へと跳ねた気がしたが、どこの染みかの判別はもうできなかった。
──その後、エルフの大攻勢がひとまずの収束を迎えたのは二時間後だった。
ようやく全てのけが人の応急処置を終えて、スワンは魔力欠乏でフラフラになった体でキャンプの外へと出る。
「──オェェェェェッ」
木陰で。気がづけばバシャバシャと、スワンの胃袋の底から熱いものがあふれ返っていた。あまりの鉄臭さに吐血でもしたのかと思ったが、全て黄土色をした胃液。鉄臭さの元は、身にまとっていた白衣から漂うものだった。ゲロの臭いに正常さを取り戻した嗅覚が、血のニオイを思い出させてくれたらしい。ありがた迷惑だ。
「はぁっ……はぁっ……」
……今日、初めて魔族が死ぬところを目の前にした……いや、死なせた。それも、二魔も。私は今日一日だけで、二魔の命を取りこぼしたんだ。
「ウッ……ぉえ……!」
冷たくなった彼らの顔が頭をよぎる。
適切な診察を、治療を心がけたつもりだった。
なのにこの手からどんどんと命がこぼれ落ちていく。
……いったい私は、なぜダークヒーラーに? 誰かを見殺しにするために?
「スワン君」
ハッとして、振り返る。
ドクター・アラヤがそこにいた。
「……使うかね?」
「えっ」
スワンへと差し出されたのは清潔な白いハンカチだった。
まさかそんなきれいなモノで今の口元を拭うわけにはいかないと首を横へと振ったのだが、押し付けられた先は目元。それでスワンはようやく気が付いた。
ああ、いつの間にか、涙を流していたらしい。
「気を確かに持ちたまえ……と言いたいところだが、無理な話だろうな」
「……」
「今日の死者数は現時点でおよそ三百名を越すらしい。これでも、エルフの大攻勢が始まった日の中では一番低い数字なのだとか。そんな場所では正気でいられずとも当然だ。だが、」
アラヤはスワンと同じく血にまみれた白衣を脱いでかたわらへと抱えながら、
「例の魔犬種の患者、完全に回復したらしい。君たちに礼を言い残して、部隊へと戻っていったぞ」
「……!」
「こんな狂気の世界にあっても君は誰かを救うことができている。それは素晴らしいことだと私は思うよ」
「わっ、私にも……」
誰かを救うことができていたのか。
完全に一人きりの成果とは言えなかったけれど。
それでも、その一助になることはできていたのか。
安堵のような、あるいは一人前になり切れていないことへの情けなさのような、そんな感情がゴチャゴチャになって言葉にはならない。
「まあ、そのうち慣れるだろう」
それが何に対しての言葉なのか定かではないが、アラヤはそう言い残すとキャンプへと先に帰っていった。
慰めの言葉だったのかもしれない。
……根は部下のことを思いやってくれる優しい方、なのかな……。
アラヤ総合医院での " 練習 " 後、そうそうにこの惨状へと放り込まれた今朝は心の中でアラヤのことを『この冷血鬼! MADドクター!』と散々になじってしまったものだけれど。
よくよく考えてみれば、それは大きな間違いだった。
結局遅かれ早かれスワンたち軍医のたどり着く先はこの戦場、この狂った世界なのだ。ただ、早々に現実を突きつけられただけ。
だが、それもただ冷たく突きつけられたわけじゃない。
スワンたち候補生はアラヤや他のベテラン軍医たちからの様々なフォローを受けつつも、本物の実践を通じて経験を積めている。
「そのうち慣れるとは、とうてい思えないけど……」
まだ気分の悪さを抱えつつも、スワンは口元を拭うと立ち上がった。
一命を取り留めさせはしたものの、まだ傷の残る患者がいる。その処置をしなければ。軍医の道を選んだからには。
──実践訓練初日、時刻は午後三時。患者はきっとまだこれからも来るのだろう。
少し回復した魔力の残量を気にしつつ、スワンもまたキャンプへと戻った。
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次のエピソードは「第70話 【Side:候補生】救世主っ!?」です。
それでは、明日もよろしくお願いします!




