第168話 自己犠牲と自己中心
やあ、みなさんごきげんよう。
キウイ・アラヤです。
王都に滞在して一ヶ月と少しが経過しました。
私といえば、敵国ルエ・ヒュマーニ王国の中心である王都の中、毎日を戦々恐々とし、肩身も狭く過ごしては──おりません。
むしろ、毎日を聖術研究や製薬工場の見学、開発機器類の資料読み込みなど、素晴らしく悠々自適に過ごしております。
……もしかしたらヴァカンスとはこのような状況を指すのかもしれないなぁ。
そんな心持ちなわけですから、ついつい鼻歌まじりにもなってしまおうというものです。
「おはようございます、アラヤ様。今日はいつになくご機嫌ですね」
鼻歌、中断。
ホテルから出るやいなや、俺のことを出迎えてくれるのはたくさんの近衛兵に囲まれたアポロだった。
……またか。
アポロが俺の目の前に顔を出すのは、俺たちが王都に来て以来もはや恒例行事のようなものになっていた。なんせ、俺が部屋にこもって読書にふけるとき以外、アポロはずっと俺の側にいようとしてくる。
ちょっと鬱陶しく思えてしまうのは不敬だろうか?
「おはようございます、殿下。見苦しいところをお見せしてしまいました。こうも日々が充実しておりますと、つい」
「ええ、気持ちはわかりますとも。とても中身の充実した良い条約ができつつありますからね」
アポロは俺の言葉をどうとらえたのか、何度も満足げにうなずく。
「昨日の公式会議において条約文言はすべて出そろいました。あとは微細な表現についての調整だけ。講和会議ももう大詰めです。この調子であれば全会一致も取れそうですから……大変よいことですね」
なるほど。
俺とは理由は違えど、浮かれた心地でいるのはアポロも同様らしい。
まあ無理もない。
昨日の講和会議においては、アポロがしきりに主張していた、現在アギトらに占領されている王国北端の町ペルソンの段階的な返還に関しての文言を盛り込むことが決定されたのだから。
しかしながら、魔国もタダで返還するわけではない。
ペルソン返還の条件として、エメラルダは王国の最新技術を盗むための文言を取りつけていた。
それはペルソンとアギトの領地であるエルデンを相互に鉄道で接続する計画の実行を相互に義務付けるものである。
これにより、魔国は鉄道や蒸気機関など、喉から手が出るほどほしかった人類国家の最新技術を学ぶ絶好の機会を得ることができたわけだ。
「両国にとって最良の講和条約が締結できそうでなによりです」
「ええ、まったくです」
アポロは屈託のない笑顔を見せた。
それはどことなく、王族らしからぬ表情だ。
よく言えば裏表のないものであり、悪く言えば……あまりにも幼く感じられた。
だからだろうか?
「……本当によろしいのですか?」
「は、なにがでしょう?」
「この講和条約をそのまま締結させてしまってもいいのか、と思いましてね」
俺は思わず聞かなくていい問いを発してしまった。
こちらに何の利もない、余計なお節介である。
だが不思議でしかたがないのだ。
「特に……今回の一件で一番割を喰うのは、あなた方王族なのでは?」
今回の講和会議を王国内で主導しているのはルエ・ヒュマーニ王家ではない。王国の貴族院と庶民院から成る国民議会である。
今まさに、王家の頭上で国の方針が決定されようとしているわけだ。
それは絶対王政を敷いてきたひと昔前ではとうてい考えられないことであり、王権の失墜と呼んでも相違ない事態だろう。
「講和条約では、この戦争の発端を作ったのは王政であり、以後の国政の担い手は王国国民議会とし、王家は国の象徴としてこれに協力すること、と定められています。つまり、実質的に王家は国内でその力を失うことになる」
「……そうですね。ですが、私はそれでいいのだと考えています」
「どうしてでしょう?」
「国を守るという王の義務を果たせる王家が、今はもうないから……でしょうかね」
アポロが遠くを見るような目で視線を向けていたのは、俺の勘違いでなければ王宮の方角だった。
「国が小さなときはまだよかったのです。しかし、産業革命に背中を押されるように人口は増え、王家と諸侯だけでは手に余る物事が増えました。今まで通りの国政の在り方では、人口の大きな割合を占める庶民階級の者たちの不満はいつか爆発し……」
「革命の恐れがあった、ですか」
俺の問いに、アポロは小さく首肯する。
「かねてより不満が溜まっているのはわかっていました。そもそも過去に王家が王国国民議会の成立を許したのもそのガス抜きのためでしたから。ですが、それだけではいけない」
「内戦を防ぐためには王国の在り方に大きくメスを入れる必要があった、と」
「まさしく。今は情けない話、何かとしがらみが増えてしまい国政の内側からだと動き辛く……」
「ええ、わかりますとも」
各貴族諸侯らとのしがらみ……既得権益。それはいつどこの世においても無関係ではいられない、長く続いた組織内には必ずといっていいほど発生するカビのようなモノだ。
「今回の講和条約はそれらを一掃し、新しい秩序を作るにはもってこいだったわけですな」
「……決してそれを第一の目的としていたわけではありませんが、いい機会だったことに間違いはありません」
毒を以て毒を制す、という思考に近いかもしれない。
なるほど、アポロにはアポロなりの考えがしっかりとあったわけだ。
幼いという評価は俺の早合点だったらしい。
しかし、それにしたって。
そこまで頭が回るのであれば、もう少しうまいやり方もあっただろうに。
これではまるでアポロによる王族一家心中だ。
「一番の目的は王国民のことです。これ以上、戦争によって家族や生活を喪う者が増えぬよう最後まで最善を尽くすのが王族としての義務だと思いますから」
「……そうでしたか。ご信念に感服いたします」
そう答えつつ、しかし、俺には理解できなかった。
もちろん、言っている意味はもちろんわかる。
立派な信念だと思うのも本心だ。
だがしかし。
……生まれが王族であるから、国民のために自己犠牲すらも厭わないでいられるというのは理解できん。
それはまるで『母が子へと向ける無償の愛』だ。
まあ、これは本で読んだことのある例えであり、俺には母も父もなく、実際にそれを感じたことがないので結局のところ真には理解できないのだが。
ともかく、だ。
俺だったらそんなことはしたくないと考えてしまう。
「いいえ、私など立場だけです」
アポロは謙遜して首を横に振った。
「一人では何もできなかった私などよりも、王国から不当な扱いを受けながらも、そこから魔国幹部にまで上り詰め、今こうして平和の使者として再びこの場にいらっしゃったアラヤ様の方が、比較にならないほどの立派な信念と行動力をお持ちかと」
なんとも、勘違いもはなはだしい。
俺なんか徹頭徹尾、自分のことしか考えていないというのに。
「ところでアラヤ様、今日はどのようなご予定でしたか?」
「えぇと、本屋で医学書でも買って、近場のカフェで読もうかと……」
「はあ、なるほど。確かに市井を肌で感じることも大切なことですね。私もお付き合いしましょう!」
いいや、だから違うのだがな。
しかし、「私はあなたほど立派な人間ではありませんよ」と俺が正直に告白したところで、この御仁はそれを俺の慎ましい人柄として受け止めてくれるのだろう。
ああなんとも、やりにくいったら。
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次のエピソードは「第169話 シュワイゼンの恋人との出会い」です。
次回は7/25(金)更新予定です。
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