第137話 西の賢者メリッサとの出会い
一瞬の意識の空白の後。
俺がいたのは、広く、そして無人のシンと静まり返った空間だった。
「ここは世界樹の洞の中だ」
ここはいったいどこだ、と俺が問う前に薄緑の女エルフが俺の胸から手を離して言った。
「奥に玉座があるだろう? あそこでいつもマロウのヤツがふんぞり返っているのさ」
「はぁ……」
突然の瞬間移動に戸惑いつつも、いまだ神話級ダークヒールのせいで出血の続く鼻を押さえながら、現状把握のために辺りを見渡してみる。
寂しい玉座の間だった。人っこひとりいない。
ポツンと存在する玉座は白を基調としていて、ところどころ濡れたような赤の差したデザインだ。
……いや、デザインではない。
玉座の肘置きからはポタリ、ポタリと。
赤い雫が垂れていた。
「ここに残っていた者たちは邪魔だったのでな、 <退出>してもらったのだよ」
その女エルフはなんでもないようにそう言うと、床へと直接あぐらをかいて座り込んだ。
「キウイも座れ。オレはな、おまえとこうして語り合える場をずっと楽しみにしていたのだ」
「……」
まあ、座ってもいいというならそうさせてもらおう。なにせ、まだ頭痛は治っていない。体を落ち着かせられるならそうした方がいい。
俺もそれにならって座らせてもらいつつ、
「語り合いの前に……まずは私を攫った理由を教えていただきたい。西の賢者メリッサ殿」
そう問う。
女エルフの目が、驚いたように少し見開いた。
「ほう、まさかオレが誰かを知っていたとはな。手間が省けていいが……それにしてもどこで知った? オレの顔を直接見たことがある者は限られているはずだが」
「顔を知っていたわけではありませんよ」
「ではどうして?」
「あなたの使用した <引き寄せる神術>を身近に研究している者がいましてね。それでピンと来たまでです」
「なんだ。その程度のことか。つまらん」
メリッサは興味を失ったように深いため息を吐くと、
「まあいい。別におまえを攫ってきたのはおまえ自身の他の能力に期待してのことではない」
「他? というと目当てはもしや」
「そう。あのダークヒールだっ! キウイ・アラヤッ!」
メリッサは目を輝かせて、勢いよく前のめりになる。
「おまえは神話級のダークヒールと呼んでいるらしいな? まあ確かに神術にも匹敵するだけの魔術だろう。人の身でよくぞあそこまでの技術を習得したものだ」
「恐縮ですな」
「オレはおまえのあの力が欲しい」
メリッサは曇り一つない眼で俺を見つめて手を差し出した。
果たしてその手に乗せて欲しいとメリッサが思っているものは、神話級ダークヒールのロジックか、あるいは俺自身の忠誠か。
だがまあ、どちらにせよ、
「不可能では?」
素直に、俺は事実を口にした。
なにしろアレはダークヒールだからこそ成せた技なのだ。
「聖術に応用できる論理ではありませんよ、アレは」
「聖を魔へと反転させることはできても、魔を聖に反転させることはできない。おまえの論文にそう書いてあったのは知っているさ」
「……!」
俺の書いた論文にまで当然のように目を通しているとは。
どれだけ入念に俺のことを調べ上げてきたのだろう?
もしや今回の勇者襲撃からウルクロウの殺害、そして聖職者たちを使用した神話級ダークヒールまでの一件の流れは全て台本通りということか?
だとすれば、恐ろしい話だ。
「キウイ、魔国を離れて私の配下となれ」
そのひと言を俺に投げかけるためだけに、いったいどれだけの人の命を利用してきたのだろう?
メリッサはその涼やかな表情を崩すことはない。
「復活させたい魔族がいるので?」
「そうだ。だが厳密には魔族ではない。そして、まだ死んでもいない」
その返答はまるで謎かけだ。
まったくもって誰に使うのかの想像ができなかったが、しかしメリッサの魂胆はハッキリとした。
俺の力をつぶさに調べて応用したいというわけではなく、俺の今持つ力を利用したいのだ。
「キウイ、おまえにとっても悪い話ではないと思うぞ? なにせ、オレとおまえは同じだ」
メリッサは微笑みをたやさず、優しげに俺へと語り掛ける。
「知への執着が生への執着と同義であり、生きている限りただひたすらに新しい知へと挑戦し続ける。オレもおまえもそういう星の下に生まれた種族なのだ。オレならおまえを理解してやれる」
「……」
「おまえが欲しいと思うものなら全てを与えよう。おまえが何でも自由に研究できるようにしてやろう。金も地位も与えてやる。王国に戻りたければ戻してやってもいいし、帝国にもツテはある。オレがいれば、おまえはどこで誰としてでも生きていけるのだ。素晴らしいことだろう?」
「確かに、それは素晴らしいご提案ですな」
メリッサの言う通り、大変に魅力的な待遇だった。
『研究の場所を用意する』、『いくらでも金を出す』だなんて研究者にとっては夢のような言葉だろうし、加えて支援者自身が研究に理解を示しているときたら首を縦にしない研究者は存在しないだろう。
ダークヒーラーである俺も、その気持ちは同じ。
「さあ、この手を取れ、キウイ・アラヤ。私と <契約>しよう」
メリッサはその手を俺に向けて差し伸べる。
「オレはおまえの研究への支援を惜しまないと誓う。代わりにおまえは魔国を離れ、そしてオレの求めに応じてその神話級のダークヒールを使用する。互いに利だけがある契約だ」
「仮にそれを断ったらどうなるというのです?」
「これだけの待遇を提示されていて断る意味などあるまい? だがそうだな、仮に断るというのなら……」
──ヒュンッ、と。
この玉座の間の奥にあったはずの血に濡れた玉座が、まばたきの間にメリッサの手のひらに吸い付くようにして引き寄せられてきたかと思うと一瞬で粉々に砕け散る。
「無理やりにでも契約に応じてもらうことになるな。手足の四本や八本失おうとも、オレなら殺さず癒してやれる」
「なるほど。それは恐ろしい」
要は「はい」か「喜んで」しか選べない強制契約というわけか。
ついでにもう一つ恐ろしいのは、先ほどの玉座を濡らしていた血の雫。乾き切っていなかったはずのそれが、至近距離にいたメリッサに一つも付着してはいないということだ。
やはりマロウと同様に物理的なモノを防ぐ特別な聖術で体を守っているらしい。
マロウもメリッサも、生身で敵や俺と対峙できるのはその力あってのことだろう。
「そういうわけだ、キウイ。断るなどという選択がどれだけ愚かなことかはわかったろう?」
「ええ。もちろん」
「ならば契約を始めようか」
「いいや、お断りする」
「……は?」
メリッサの顔から薄ら笑いが抜け落ちる。
キョトンとしたような瞳が俺にこう問いかけていた。
『今、なんて言った?』と。
「私は断ると言ったんだ、メリッサ殿」
二度、俺はキッパリとそう告げた。
「あなたは一つ勘違いしていることがある」
「……なんだと?」
「自由な研究など、わざわざあなたに与えられるまでもない」
すべてこの頭脳一つがあれば事足りる。
子どもの頃から今に至るまで、ずっと <やりたいようにやってきた>からこそ目をつけられたダークヒーラー、それこそがキウイ・アラヤという人間なのだから。
……まあいくらでも金をくれるという部分についてはけっこう魅力的だったがね。
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次のエピソードは「第138話 二人の生贄の果てに」です。
次回は5/14(水)更新予定です。
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