第117話 進捗、ゼロです
「──私、し、死にましゅ……」
ムコムゥはそう言うやいなやその場で膝をついた。
俺を見上げるその瞳は、この世のあらゆる混沌を詰め合わせたかのように定かでない。
「自由な応用研究をさせてくださっていたにもかかわらず、まだ何の研究も進んでいないこの体たらく、死ねと思われて当然ですよね、そうですよねっ」
「えっ?」
「でっ、でもっ! せめて妹は……妹にはなんの罪もないんですぅっ! 命だけでも助けてやってくださいっ、なにとぞぉっ!」
「な、なぜに?」
「うぅ……! やっぱり、ダメですか……!」
「いや、ダメとかそういう話ではなく、」
……俺、ただ研究の進捗を聞いただけだよね?
しかし、どうやらムコムゥの耳に俺の言葉は届いていないらしい。その場でうずくまったかと思いきや体を震わせて泣き始めてしまった。
……どうしたことだ、コレは?
エルフ三人組やシェス、ティガーたちを振り返るも、みな「さあ、知らないよ?」とばかりに両手を上げていた。
そこへと、
「あのねキウイ様、おねえちゃんを許してあげてほしいの」
研究室の奥、ムコムゥの席の陰からヒョコリと。のぞいていたのは小さな顔。ムコムゥの妹──メロメィ・ミルミハートだった。
その姿はムコムゥをそのまま小さくしたようなもので、年齢はおそらくアミルタと同じくらいだろうか。
「メッ、メロメィ! 隠れてなきゃダメって言ったでしょっ!?」
「えぇ、でもぉ……」
「食べられちゃうよって言ったよねっ!?」
ムコムゥはメロメィを俺から庇うように抱き寄せた。
俺のことが果たして虎か何かにでも見えているのだろうか。
「キウイ様は食べたりしないの。おねえちゃんが心配しすぎなだけなの」
メロメィは自らを抱きしめるムコムゥの背を、どちらが姉かもわからないような慈愛の表情で優しくさすると、
「あのね、キウイ様。おねえちゃんね、『しんちょくがゼロ』らしいの」
「ぎゃあっ!」
そのメロメィのつたない言葉に、ムコムゥが鋭利なナイフで背中でも刺されたかのように叫んだ。
「おねえちゃん、夜にいつもね、『しんちょくゼロです、しんちょくゼロです』って泣きながら寝言を言ってるの」
「あわ、あわわわわ……メルメィ、なんてことを……!」
「隠してたってしかたないの」
なるほど。
今ので状況はおおむね察せた。
つまりムコムゥが死ぬだのなんだの妹は許してやってくれだの、そういう言葉が出てきたのは、応用研究が進んでいないことを理由にして俺が何らかの罰を与えるのではと思ったからか。
「……私は別にその程度のことで怒りはしないよ」
「えっ」
ムコムゥは驚いたように目を見開いた。
そんなに意外か?
「研究なんて進まないときは進まないものだ。私だってそういう経験をしたことはある」
「いっ、いいんですかっ!? 私、いまの存在価値はゼロに等しいのですけれども……!?」
「ゼロではないさ。私が君に期待しているのだから」
「わっ、私なんかに、期待を……!?」
ムコムゥは意外そうに、そして少し照れたように自らの頬を押さえた。
だが、期待できるのも当然のことである。
新水薬……飲み物に術式を付与するという試みはおそらくは王国でもまだ研究が進んでいない。であれば、その価値は黄金以上だろう。
俺はいまだ膝を着いたままムコムゥへと手を差し伸べつつ、
「それにだいいち、私も悪かったと思っているのだ」
「えっ……?」
「そもそも研究所をそっくりそのまま明け渡したところで、これから君の作りたいモノに見合った <予算>がなければ、研究なんて進めようがないんだから」
予算、つまりは金。
人材、器材、素材……それらを得るには当然のごとく金がいる。
俺のプランではその予算をティガーの所属する組織に調達してもらう予定ではあるのだが、しかし違法性のない仕事に絞らせてからまだ時間も経っていないため、しばらくは黒字に転じないだろう。
「だから、金を用意したところなのだ」
「えっ?」
「 <一億ゴールド>を君に投資しよう、ムコムゥ」
「……」
ムコムゥが口をポカンと開けたまま、動かなくなった。
手を目の前で振ってみる。反応はあるので気絶したわけではなさそうだ。
ヨシ。話を続けよう。
「元より陛下から報酬としていただく予定の金ではあったのだが、一気に現金化するとなると時間がかかってね」
「……」
「一億あれば当座の研究には困るまい。まずは二ヶ月ほどでサンプルができるとうれしい。その結果次第で次の投資金額も決めよう」
「……い、いちおく?」
「ああ。湯水のようにジャブジャブと使って研究を捗らせてくれたまえ。その代わり、」
ムコムゥのその肩を叩き、俺は笑顔を作ろうと試みる。
──ところで、俺の作った笑顔というはヒドいものらしい。ミルフォビアに『今のままではあまりに凄惨すぎます』と評されもした。
しかし、魔国幹部という立場の者がそれをそのままにしておいてはマズい。
なので部下に見せられるレベルになるよう、ミルフォビアに特訓に付き合ってもらい……そしてとうとう会得したのだ、完璧なる微笑を。
俺は鼻から息を抜くように、片頬だけを上げて、
──フッ、と。
「君の尽力を期待しているぞ、ムコムゥ」
これがミルフォビアいわく『あまりにもアラヤ様に似合い過ぎてはいる』と太鼓判をおされた笑みだ。
それに加え明確な <期待>を示すささやきを添えることで、きっとググッと信頼関係も深まることだろう。
「私が次に魔都に戻ってこられるのがいつになるかはわからないが、その時に成果を聞けるのを楽しみにしているよ」
「へ……へへ……へ……」
ムコムゥは、泣きそうな表情で笑っていた。
うむうむ、よかったよかった。
一億ゴールドもあればやりたいと思った研究はたいがいできるはず。研究者としてこれ以上うれしいこともないはずだろうから。
* * *
【~Side:ムコムゥ~】
ムコムゥ・ミルミハートは、ソレを目の前に戦慄した。
「……終わった……一億ゴールド本当にある……」
キウイが研究所を後にしてからしばらくして、今度は大柄の屈強なゾンビが研究室を訪ねて来た。
そうしてムコムゥの前に置いたのは、ワイン樽一つに満杯に詰められた金貨。
「これだけの投資を受けてる研究機関なんて、この魔都に……いや、この魔国全体を見渡しても他にいないよ……」
一時期、 魔都に本部を置く魔国最大の民間魔術研究機関である<魔女の魔導研究結社>に所属していたからわかる。
最古参の魔女でさえ、予算はこんなにもドカッともらえるようなものではない。
もっと細かに用途を申告して降りるようなものなのだ。
……ゆえに、研究者としてこれほど贅沢で嬉しいこともないだろう。それが新進気鋭の魔国幹部からの、 <期待>という名の多大なる <プレッシャー>付きでなければ、の話だが。
ちょっと考えてみてもほしいのだ。
絶大なる権力者から、通常あり得ないほどの金を渡されて『期待してる』『楽しみにしてる』だなんて言われたあげく、それに応えられなかったら?
期限の二ヶ月後にまた研究の成果なしなんてことになったら?
いったいどうなるだろうか?
「ああ、殺される……今度こそ、さすがに殺されちゃうよ……」
息苦しさに、ムコムゥは胸を押さえた。
大量の研究資金が運んできたのは、色濃い死の気配。
逃げるか? メルメィを連れて、どこか遠くへ。
しばらく、本気で考えた。
しかし、
……いいや、と。ムコムゥは首を横に振る。
どうせ、どこにいっても自分には研究しか取り柄がないのだ。
その研究には金がいる。
メルメィを食べさせていくにもやはり金がいる。
何にとっても必要なのは金、金、金だ。
だが、キウイ・アラヤの用意してくれたここには金も、場所も、充分以上のものがそろっている。
「ここでやるしか、ない……!」
研究に命を懸ける……文字通り、その域に足を踏み入れたのだとムコムゥは認識を改める。
白衣をまといデスクへと向かった。
まずは、二ヶ月後のポーションサンプルの作成に向けた研究の道筋を明確に定めるところからだ。
「やるなら、徹底的だ……サンプル以上のものを、完成品を上げてやる……!」
ガリガリガリ、と。
紙に羽ペンで線を引いて各研究のフェイズごとの期限日付を追加すると、最後に。
その上部へとタイトルを書いた。
【経口摂取による傷の再生水薬、ポーション(仮称)研究スケジュール】
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次のエピソードは「第118話 【Side:王国側】勇者アレスの疑念」です。
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