十四話目
―――再び、二時間は走っただろうか。進んでいる方向が正しいのかどうか俺には分からないが、アレクス殿下の頭の中には道が入っているらしく、俺ははぐれないように必死でアレクス殿下の後を追って行く。既にエメセシルのことで頭一杯らしいアレクス殿下は、俺を気に掛ける素振りもない。エメセシル様とルーシアが森に入り込む前に外に出ると言うのは、俺にとっても重大な問題だがそれと同じく、俺自身がアレクス殿下を見失うと今度は自分の生命の危機なのだから、もう、本当に命懸けだ。今更ながら、何で俺はこんな大事に巻き込まれているんだろうかと改めて思った。自分の巻き込まれ体質が憎い。
気付くと、そんなことを考えているうちに既にアレクス殿下を見失いかけていた。やばい、このままじゃ森で餓死か獣の餌だ!!まだルーシアと結婚して数ヶ月も経ってないのに!!
跳ね上がる心拍数を抑えつつ、何とか冷静さを失わないように俺は駆け続けた。暗い木々の間を抜け、ようやく前方にやや明るい光が見えて来た。出口か!?
「エメセシル!」
俺の向かう先の遠くからアレクス殿下の声が聞こえた。
「アレクス様!」
間を置かずにそれに答えるように、弾んだ若い女性の声がした。間違いない、この声はエメセシル様のものだ!!良かった、俺達はすんでで間に合ったようだ!!
さらに走って行くと、前方に俺達が確かに森に入る時に抜けた背の高い大きな門が見え、その鉄柵ごしに抱き合っている男女と、さらにもう一人の女性の姿を俺は認めた。
「ルーシア!」
「エリック!」
愛する妻の姿を見つけて、一気に安心とそれまでの疲れが出て、俺は思わず速度を落とし息を整えるつもりでゆっくりと歩いた。全速力でそれまでずっと走っていたせいで心臓はバクバクだ。あー、本当に疲れた、もうクタクタだ。
だんだん近づいて行くにつれ、抱き合っている男女―――アレクス殿下とエメセシル様の姿がはっきりと捉えられ、それが実際は抱き合っているのではなく、アレクス殿下が小柄なエメセシル様を一方的に抱きすくめ、エメセシル様がその腕の中でもがいているのだということが分かった。ア、アレクス殿下……一体何をしているんだ!?
「エメセシル、何故こんなところまで追って来たんだ!危ないことをするんじゃない」
「……ア、アレクス様、放して下さい、ルーシア達が見ています!」
「それがどうした、俺は気にしない」
「私は気にします!」
エメセシル様が明らかに恥ずかしがり、困っているのにアレクス殿下はお構いなしに抱きしめる腕にますます力を込めている。……あれは絶対、どさくさ紛れの確信犯だと思う。
そのあまりの力の抜ける光景に俺は、同じように二人を挟んで立っていたルーシアと何とも言えない微妙な顔で目を合わせる。
これは、エメセシル様の護衛の身としては、アレクス殿下を止めるべきなのだろうか?
「……もう!!!いい加減にして下さい、アレクス様!!!」
ついに堪忍袋の緒が切れたらしいエメセシル様が、大声で叫びアレクス殿下の体を押しのけた。うん、あれはもうセクハラだよな。
「アレクス様、私は怒っているのです!!昨日のことも、今日私に内緒で危険な場所に行っていることも!!あなたは私の婚約者だと言う自覚はあるのですか!?」
ついでに柳眉を逆立て、全身で怒りを表現している姫様が、アレクス殿下に詰め寄った。エメセシル様のエメラルドグリーンの瞳は潤み、その顔はゆでだこのように真っ赤だ。こんな感情を爆発させている姫様を、俺は見たことが無い。アレクス殿下もその勢いにすっかり呑まれ、目を白黒させた。
「す、すまない」
「そもそもアレクス様は自分勝手すぎるんです!いつもアレクス様はご自分の頭の中で物事を解決してしまって私には一つも教えて下さらないから、私が今回のことでどれだけヤキモキしたか、分かっていらっしゃいます!?」
「め、面目ない」
「その上マティアス様が試練を受けていらっしゃるのに、それに水を差すなんて何を考えていらっしゃるんですの!?試練というのは、厳正に行われるべきものですわ!!」
「……エ、エメセシル、それには俺なりの考えが……」
「言い訳は認めませんわ!!そもそもご自分もセイクリッドの王位継承者第二位だという自覚はありますの!?もしマティアス様に万一のことがあれば、あなたがセイクリッド王位を継がないといけないのに、どうして同じタイミングで危険な場所に行かれますの!?ご自分がセイクリッドの情勢を不安定にさせていることに気付いていらっしゃいます!?」
正論だ。この口ぶりなら、俺達が外に出る前に二人が森に辿り着いていたとしても少なくともエメセシル様とルーシアだけで森に入ることまでは考えてなかったようで、俺はホッと胸を撫でおろした。
……にしても、このエメセシル様の気迫は凄い。怒られているのは俺ではなく、アレクス殿下なのに俺まで冷や汗掻いて来た。
エメセシル様の勢いは留まる様子はなく、それどころかアレクス殿下の襟首を引っ掴みさらに食いつくかのように間近に顔を寄せて、怒鳴り飛ばしていた。なまじ普段は可憐な美少女なだけに、般若のごとく怒る様は余計に恐ろしい。その様は昨日のメルヴィナ様がマティアス殿下を責め立てる様子と重なり、デジャヴのようだった。
「今回のことで、よぅく分かりましたわ!アレクス様は統治者に向いていません!!やることが破天荒すぎますもの、あなたの気まぐれに巻き込まれる国民の方が可哀そうだわ!!」
言いたいことをあらかた言い終えたのか、エメセシル様の瞳がすっと細められ、冷酷な光が宿った。途端にさっきとは打って変わって一瞬能面のように、その顔から表情が抜けた。
その様子に、アレクス殿下は傍から見ても分かるくらい動揺し、顔を青ざめさせた。
「……!エメセシル……!ま、まさか……!!」
ついにエメセシル様がアレクス殿下を見限るのか……!?!?
アレクス殿下の緊張が俺にも伝わって来て、無意識に握った拳に汗が滲んだ。ああ、このままアレクス殿下は振られてしまうのか!?!?
緊迫した空気は、一瞬なのに、とても長く感じ、そして―――。
「―――だから、セイクリッドの王位は放棄して、アルカディアに婿に来て下さい。私が、アレクス様をきちんと監督して差し上げますわ」
一気に泣きそうに表情を歪めたエメセシル様が、甘えるように、懇願するようにアレクス殿下に両腕を伸ばしその首に抱きついた。
「…………エメセシル」
アレクス殿下は目の前で起こっていることが信じられない、と言うような熱に浮かされたような声で姫様の名を口にした。そのまま凍り付いたように立ち尽くし―――
―――爆笑した。
「……っ……っふはははははっ……エメセシル!やはりお前は良い女だな!!さすがは俺が惚れた女だ!!俺を叱り飛ばせる人間はこの世にお前だけだ!!俺は喜んでお前に管理されよう!!」
そして今度こそ、エメセシル様を力一杯抱きしめた。小柄な姫様の体が宙に浮き、エメセシル様がまた「きゃあ!」と真っ赤な顔で悲鳴を上げた。しかし、アレクス殿下は全く構わずに姫様を抱き上げたまま、まるで踊りだしそうに喜びを露わにしていた。あんな顔も出来るのか、と言うほどのインパクトのある満面の笑顔だった。
エメセシル様は抵抗しつつも、そのアレクス殿下の笑顔を見てご自分も込み上げて来る嬉しさを抑えるように口元を引き結んだ。
と、突然アレクス殿下はエメセシル様を今度は壊れ物を扱うように、何とも優しい仕草で地面に降ろし今度はふわりと包み込むように抱きしめ直した。そして甘えるようにエメセシル様の肩に顔を埋め、ぽつりと呟いた。
「……エメセシル、俺の一生をお前に捧げると誓う。だから、俺にもお前の愛情をくれ」
その口調はあの尊大なアレクス殿下が発したとは思えないほど、祈るような、懇願するような声だった。
エメセシル様はそのアレクス殿下にふっと微笑み、その頭を優しく撫でた。その瞳からは涙が溢れている。
「……アレクス様、私の心はとっくにあなたに持って行かれてしまっていますわ。お兄様を看取ったあの日からずっと……」
そのエメセシル様の声は、切なげに響いた。
何とも言えない甘いその場の空気に、俺とルーシアは安心半分、居たたまれなさ半分で互いに目配せをした。
俺はそぅっと二人に気付かれないように門を出て、二人を迂回しルーシアの側に歩み寄った。
俺が近付いて来たことに、ルーシアも表情を緩ませ俺の腕に自分のを絡めて来た。その彼女の甘えるような仕草に色々心配かけたんだな、と俺自身もキュンとして彼女を引き寄せる。全てが丸く収まり、俺達自身も微笑み合っていたところ―――視界の端で、アレクス殿下がエメセシル様の唇に自分の唇を寄せる姿が見えた。
つ、ついにあの二人も一つステップを進めてしまうのか!?と、俺は見たいような見てはいけないような相反する気持に駆られ、咄嗟に目を逸らそうとし―――
聞こえて来た、パシッという小さな音に驚いて結局視線を向けてしまった。
エメセシル様が笑顔でアレクス殿下の口を自分の小さな手で押さえ、アレクス殿下の口づけを防いでいた。
その瞬間、妙な間が空間を満たした。
「アレクス様……?まだ私達は婚姻前ですから、清く正しい関係でいましょうね?」
とろけそうに甘い、可愛らしい微笑みでしかしはっきりとエメセシル様は告げた。
がくん、という効果音でも聞こえて来そうなほど、アレクス殿下の見るからに落胆する表情が同情を誘う。……殿下、ご愁傷様です。
―――ほどなくして、日も傾き始めたため、俺達は王家の森の入り口で天幕を張り野営をすることに決めた。
俺とルーシアで手分けして天幕と焚火の準備をし、全員で携帯食料で簡単に食事を済ます。
食後、エメセシル様とアレクス殿下は二人で火の前で寄り添うように座っていた。二人の表情は今までになくリラックスされているようで、特にアレクス殿下の満足そうな笑みがずっと絶やされていないことが俺には印象的だった。本当にお二人とも幸せそうだ。
小高い丘のてっぺんに位置するこの場所からは、森を除けば360度の絶景を見渡せる。しかも今日は雲一つなく澄んだ空が満天の星空を映し出していた。
「アレクス様、あの星がお見えになる?」
「……あれか?」
エメセシル様の楽しそうな声が離れた場所からでもはっきりと聞こえて来た。その声に答えるように、アレクス殿下も姫様の指さす方角に視線を向けて姫様の話に耳を傾けている。
「あれは、道しるべ星と言うのですよ。あの星は、常にあの場所にあって、旅人が迷わないように道を指し示してくれているのです」
アレクス殿下の素直な反応に気を良くしたらしい姫様が、上機嫌に説明を加えた。……そう言えば、エメセシル様が一時期星座にハマっていたことがあるのを以前ルーシアが話していたな。
「……俺にとってのお前のようだな」
アレクス殿下がエメセシル様の瞳を覗き込みながら、澄ました顔で答えた。
その言葉に俺はずっこけそうになった。な、なんて歯が浮く気障なセリフだ……!!俺だって言わないぞ、そんなこと。
「……アレクス様!……それは私が今、言おうとしていたことです。どうして先に言っておしまいになるの?」
しかし姫様の心は掴んだようだ。エメセシル様が照れながらも満更でもなさそうに、アレクス殿下を見つめ返していた。
……知り合いの逢瀬を目撃すると言うのは、どうしてこうも気恥ずかしく、居た堪れない気持ちにさせるのだろうか。
俺が助けを求めるようにルーシアに視線をやると、ルーシアも顔を真っ赤にして困惑していた。目のやり場に困っている、とその表情が物語っている。
俺は毛布と、自分達のお茶を手にするとルーシアに席を外そうと身振りだけで示した。ルーシアもすぐさま頷いた。
「ほら、ルーシア」
「……ありがとう」
俺がルーシアの分のお茶のカップを渡すと、焚火から少し離れた位置にある丸太に腰掛けたルーシアが両手でそれを受け取った。俺もその横に腰掛け、二人分の体を一枚の毛布で覆った。と同時にルーシアがこてん、と俺の肩に自分の頭を預けた。
ややあって、一口お茶を啜ったルーシアが景色を眺めるように視線を遠くにやった。
「空の星が綺麗ね」
ルーシアの言葉に思わず天を仰ぐ。すると、数年前に西の保養地ウェスティンに訪れていた時に、ルーシアとエメセシル様が二人だけでウェスティン離宮を夜に抜け出したことがあったな、と思い出す。たしか、エメセシル様が数十年に一度しか見れない流星群を見たいとルーシアに頼み込んだんだった。二人は秘密裏に成し遂げられたつもりでいたらしいが、俺と当時の同僚ハインツが万一に備え後ろを警護していたのだ。
まぁ、俺も所属が変わりそろそろ種明かしをしてもいいよな。
「ああ……まるで流星群が降った日のようだな」
「……!!!エ、エリック、知ってたの……!?」
俺が少し意地悪な気持ちでルーシアをからかうと、ルーシアが明らかにぎょっとした顔になる。その驚きぶりに、相変わらずどこか抜けている俺の奥さんについ笑いそうになって、誤魔化すようにあえて真面目な表情を作った。
「……お前達は全然気付いていなかったようだけど、お前とエメセシル様がお忍びに出掛けられる度に俺達の誰かが後ろで警護していたんだぞ」
「………き、気付かなかった……」
絶句し、申し訳なさそうに縮こまってしまった彼女は可愛くて、ついつい口元が緩んでしまう。それを悟られまいと俺は一口自分のお茶を啜った。
「……良かったよな。お二人の気持ちが通じ合って」
「……本当ね。あんなに嬉しそうにはしゃぐ姫様を久しぶりに見たわ」
話題を変えるように、俺が呟くと怒られているんじゃないと安心したのか、ルーシアはまた明るい笑顔を見せた。
「俺達もこれで安心出来るな」
「でもこれから、お二人に見せつけられることになりそうね」
ふふ、と苦笑したように頷いたルーシアの横顔を見て、ふいに愛しさが込み上げて来た。考えてみれば、俺達もこんな風に二人だけで穏やかに会話をするのは随分久しぶりだ。
俺はおもむろに彼女の耳にかかっていた美しい栗色の髪をそっと掻き上げ、その耳元に唇を寄せた。
「……俺達も見せつけてやればいい」
わざといつもより1トーン低い声で、吐息交じりに彼女に囁きかけると、びくん、と細い肩が跳ねた。同時に向けられた顔はすでに朱に染まっている。
「ちょっ……エリック!こ、ここは外よ……!!」
焦ったような声で、俺から逃れるように体を反らした彼女を逃すまいと、その滑らかな頬に手を添え、琥珀の瞳を覗き込んだ。
恥じらいつつも、観念したように瞳を閉じ俺の抱擁を受け入れる彼女に俺は唇を寄せ―――
「―――ルーシア!!どこにいるの!?!?」
唇が触れ合うかという刹那、甲高い女性の声が響いたと同時にその声に反応したルーシアが俺を力一杯突き飛ばした。
勢いよく押された俺は丸太から派手に落とされ、地面にしたたかに後頭部、背中を打ち付ける。手に持っていたカップも地面に大きな音を立てて転がった。
な、何なんだ!?!?今、せっかくいい雰囲気になっていたのに!!!
「ひ、姫様!?どうされました!?!?」
俺を心配するよりも先に、声の主に注意を移したルーシアが俺をほったらかしにしたまま、バタバタと遠ざかる足音が聞こえた。
「やっぱりアレクス様は私の手には負えない勝手な人だわ!!」
ひどく立腹している姫様の様子に俺も驚きつつ、痛む後頭部を押さえながらなんとか上体を起こし、涙目で周囲の状況を確認すると視界の先にエメセシル様にお茶をぶっかけられ尻もちを着いているアレクス殿下の姿が見えた。
どうやら、舌の根も乾かぬうちにエメセシル様に手を出そうとして、反撃にあったようだ。……アレクス殿下、同情はしますけど、俺の幸せまで潰さないで頂きたい。




