十二話目
『王の試練』が行われる場所は、セイクリッド王都から馬で数時間の距離にある、王家直轄の原生林だとのことだった。
マティアス殿下が出立したのを確認した後、俺とアレクス殿下も王宮を出た。件の王家の森までは一本道で方角さえ間違えなければ、地元の人間でなくても辿り着くのは難しくない。実際、俺達は3時間と少し馬を走らせただけで、目的地に到着した。
王家の森は小高い丘の一帯を覆っており、鬱蒼とした深い森のようだ。その森を囲むように高い鉄柵が設置され、さらに入り口はこれまた巨大な門が侵入者を拒むように立ち塞がっている。その森を除けば、辺り一帯には豊かなセイクリッドの緑地が広がっており、遠くには農場や畑、小さな街の建物群なども見渡せた。
マティアス殿下も問題なく辿り着けているのだろう、鉄柵に一頭の馬が繋がれており、その横の門も既に封印らしき鎖が破られており、人が入ったことを示すように僅かに開いていた。
「……アレクス殿下、この森ですか?」
「そうだ。この森はセイクリッド建国以前から存在し、今なお当時の姿のまま残っていると伝えられている。我が国の建国の起源となった場所でありセイクリッド王家にとって神聖な地だ」
俺達も馬を降り、マティアス殿下の馬とほど近い位置の鉄柵に繋いだ。
「もしかしたら森の中で、夜を越すことになるかもしれん。野営の準備はしておけ」
アレクス殿下の指示に、俺は馬から最低限の食料や、防寒具などを手早くまとめ、背負う。……俺も駆り出されたのは、荷物持ちということか。
「行くぞ。この森は迷いやすいからな、俺からはぐれたら一生出られないかもしれないぞ、遅れずに付いて来い」
「は、はい!」
ぞっとするようなことを告げて、アレクス殿下は足早に門を抜けて森に入って行ってしまう。俺は慌てながら、その後を付いて行く。
中に入ってみると、森は外側から見るよりも木々が密集して生えており、あまり陽光が差し込まず視界が悪い。その上、ひんやりと湿っぽい空気が辺りを満たしており、その鬱蒼としたおどろおどろしい雰囲気によけいに不気味さを加えている。おまけにどんな野生動物がこの森の中に生息しているかもしれない。
「……しかし、何故『王の試練』がこのような森の中で行われるのですか?一体ここで何を試されるのですか?」
俺は周囲を警戒しながら、アレクス殿下に問うた。アレクス殿下も何かを確認するように注意深く周りを見回している。
「……詳しくは歴代の王にのみ口伝で伝えられているから俺も正確なことは知らん。……が、元々複数の民族が共同で興した国だからな、どの民族から支配者を出すかというのは建国からしばらくはしばしば問題になっていたようだ。3つの部族から優秀な若者を試練に挑戦させ、その度胸や知恵を試し王を決定していたのが始まりらしい。この森はただでさえ方向感覚を失い迷いやすい上に、狼や熊はもちろん他にも野生の獰猛な生物が生息している、さらに奥に進むには流れの急な川や切り立った断崖も越えなければならないようでな、精神面と身体面の強さどちらも必要とされると言う訳だ」
……とんでもないところに、俺は連れて来られてしまったようだ。
「……俺達も生きて帰れますよね?」
「お前が俺からはぐれなければな」
なんなんだ、このアレクス殿下の意味不明な自信は。まるで、自分にとっては難しくないと言っているようだ。
そう言えばさっきから何度も分かれ道があったのに、アレクス殿下は毎回ほんの少し立ち止まり、道とその場の地形を確認するだけでほとんど躊躇うことなく進行方向を決定している。アレクス殿下が説明する通り、それほど迷いやすい地形なら目印をつけて歩くなり来た道を控えながら進むなりしてしかるべきじゃないのか?なんでそう、すたすたと迷いなく進んで行ってしまうんだ。
俺はアレクス殿下のあまりの豪胆な言動に、言いようのない違和感を覚えていた。アレクス殿下……もしや……。
「アレクス殿下……まさか、以前にここに来たことありますね?」
「……バレたか」
俺の指摘に、さして悪びれもせずアレクス殿下はあっさりと認めた。
「意味が分かりませんよ!!!なんでそれほど危険な場所だと言うのに、足を踏み入れたんですか!?アレクス殿下のことだからどうせ無許可で独断で入ったんでしょう!?」
「さすがだな、エリック・カーシウス。この短い付き合いの間にそれほど俺の性格を見抜いているとは、やはりお前は見所のある奴だ」
「いや、そんなこと誉められても嬉しくありませんし、誤魔化されませんよ!!そもそも廃止されている制度ですから、アレクス殿下がここに来る必要性なんて何も無かったんじゃないですか!?」
「ああ、廃止されるほど危険な場所とはどんなものか興味があってな」
「それで命を落としていたらどうするんです!!もっとご自分が尊い生まれだという自覚をお持ち下さい!!」
「お前、ジークのようなことを言うな」
あ、頭が痛くなって来た……。
そりゃ、護衛騎士のジーク殿の立場なら言うだろうよ。そう言えばジーク殿が以前、年々後頭部の髪が薄くなって来ているとかボヤいていたような……ア、アレクス殿下の下で働いていたらストレスで禿げる!
「まぁ、運試しのつもりでな、俺の王としての資質も知れる良い機会だと思ったのだ」
「……では、アレクス殿下はマティアス殿下が挑戦されるより前に、既に『王の試練』を突破されているということではないですか」
ぬけぬけと持論を述べたアレクス殿下に対し、俺はうんざりした気持ちで突っ込みを入れた。これじゃ、マティアス殿下が試練に成功されたとしてもアレクス殿下よりもセイクリッド王に相応しいという証明にはならない。アレクス殿下の王太子擁立を指示する議員達への説得材料になりはしないじゃないか。
「実は、何をもって試練が成功なのかはさっきも言ったように、歴代の王にのみ伝わっている極秘事項だからな、俺もその中身は知らん。俺が知る限りでは、挑戦者はこの森で『王の証』となるものを見つけ出し、持ち帰らねばならないらしい。だが、俺にはその『王の証』が何なのかはさっぱり分からん。少なくとも俺が過去に何回か訪れた時にはそんなものを見つけたことはないな」
聞けば聞くほど、謎に包まれた試練である。
「まぁ、俺が過去に道を調べていたおかげで、今回こうして迷うことなく安全に歩き回れるんだろう。そう考えれば、以前に俺がここに訪れていたことも役に立ったというものだ」
「……」
自分に都合の良い理屈を並べたアレクス殿下に、俺はげんなりしてそれ以上の追及は止めた。そもそも常識を説いて、それを受け入れるような人でもない。
それからまた小一時間アレクス殿下の先導の下、俺達は森の中を進んだ。途中、何度か野生動物の気配がしたが相手も俺達の警戒を察知してか姿を現すことはなかった。
しかし、マティアス殿下はこの森に一人で入られたんだよな……いくら『王の試練』が王位継承候補者一人で挑戦しないといけないものだとしても、あんな線の細い気弱な印象のマティアス殿下お一人で試練の突破なんて出来るのだろうか?それどころか、この森で迷って出られなくなったり、狼や他の野生生物に遭遇して一発で命を落としてしまいそうな嫌な想像しか浮かばないんだが……。
だからこそ、アレクス殿下が密かに支援しようと考えられているのだろうが、俺達がマティアス殿下を見つけ出す前に既に躯になっている、なんていう後味の悪いことは無いよな?
そんな後ろ向きなことを俺が考えながら歩いていると、突如アレクス殿下が立ち止まり、息を潜めながら体を屈めた。なんだ!?獣か!?
「アレクス殿下!?」
俺も息を潜め周囲を警戒しながら見渡す。
「……マティアスがいたぞ」
アレクス殿下は丈の長い茂みに身を隠しつつ俺にも手招きした。俺がアレクス殿下に近づき、そっと殿下の指し示す方に視線を向けると確かにマティアス殿下らしき人物の姿が遠目に見えた。
マティアス殿下の手には抜き身の剣が握られており、何か緊迫した様子だ。あれは……!!
「大蛇だ!!危ない、マティアス殿下!!」
そこには、マティアス殿下が体長2メートルほどもある大きな蛇と格闘している姿があった。蛇は細長い舌をちろちろと覗かせ、鋭い視線をマティアス殿下に向け体をくねらせている。
俺は色めき立って荷を下ろし剣を構えながら加勢しようと駆け出そうとした、が。
「エリック・カーシウス、まて」
と、アレクス殿下に首根っこを掴まれ後ろに引っ張られた俺は勢いよく転んだ。
「な、何をするんですか!?アレクス殿下!!早く助太刀しないとマティアス殿下が!!!」
「蛇ごとき、加勢するほどでもない」
「何言っているんですか!!あの蛇が毒を持っていないとも限りませんよ、このままではマティアス殿下が危ない!!!」
兄が目の前で大蛇に襲われていると言うのに涼しい顔をしているアレクス殿下に、俺は不信な色を隠せない。アレクス殿下、本当はマティアス殿下を秘密裏に危険に追いやって、見殺しにするつもりじゃないよな!?
俺が意味不明な言動を繰り返すアレクス殿下に業を煮やして、振り切って飛び出そうとした。するとアレクス殿下に顎をひっつかまれ顔の向きを固定された。
「ぶほっ」
「よく見ろ、エリック・カーシウス」
変なところで呼吸を遮られ、咽た俺に構いもせずアレクス殿下は落ち着き払った声で言葉を続けた。
「野生の獣如きマティアスの障害にもなりはせん、たとえ熊や狼が同時に出たとしても奴には問題ない」
「……へっ?」
耳を疑った俺が目を皿のようにして、アレクス殿下の示す方を見ると………たしかに、そこにはすでに大蛇を切り刻みその長い胴体を地面に縫い付けるように刺しているマティアス殿下の姿があった。
お、俺達がわちゃわちゃしていたこの数分で、あの大蛇を倒したのか!?マティアス殿下一人で!?!?
俺が目を丸くして、その光景を見ているとアレクス殿下の呆れたような声が聞こえた。
「……だから言っただろう。野生の獣を倒すくらい、マティアスにとっては朝飯前だ」
「……し、信じられない……マティアス殿下は王宮で暮らし始める前は、本ばかり読んで過ごしていたと仰っていましたけど!?」
仮に王太子位について4年剣術の訓練を受けたとして、あそこまで強くなるか!?下手したら、職業騎士の俺よりも強いんじゃ!?!?
そもそもあの中性的な華奢な体のどこに、自分の身長よりも長い大蛇をあそこまで切り刻める膂力があると言うんだ!?!?
目の前の光景が信じられず、すっかり混乱している俺にアレクス殿下はちっと舌打ちした。
「落ち着け、エリック・カーシウス。マティアスは確かに4年程しか戦闘訓練を受けていないがな、あいつは今やセイクリッドの騎士隊長らに並ぶほどの実力を持っている」
「はぁ!?!?そ、そんなことあり得るんですか!?!?」
「……信じがたいことは認めるが、事実だ」
そこで苦虫を嚙み潰したような顔で、一度言葉を切りアレクス殿下は忌々し気に長めの前髪を掻き上げた。
「あいつは、無自覚の天才なんだ」
「無自覚の……天才!?!?」
アレクス殿下の言っている意味が分からず、俺がおうむ返しをするとアレクス殿下の表情はさらに不機嫌になった。
「そうだ。剣術だけではないぞ、政治、数学、外交術、その他あらゆる王太子としての必要な知識、教養をあいつは驚異的なスピードで習得している。生まれながらに次代の王として教育を受けて来た俺を数年で凌駕するくらいにな。ほとんど同じ人間とは思えん」
心底腹立たしいと言った様子で吐き捨てたアレクス殿下の悔し気な表情は、普段のアレクス殿下の感情に乏しい顔からはかけ離れている。
「……本当に腹が立つぞ、あれで本人は自信なさそうにいつも弱音を吐くばかりなのだからな。本人も努力をするにはしたのだろうが、普通の人間の1の努力で10の結果を出しているようなものだ、それを本人は全く気付いておらず周囲の顔色ばかりを窺っていたんだ。そんな奴に実力面では抜かれ、将来の目標を奪われた俺の気持ちも考えてもみろ。多少は投げやりに自堕落な生活を送ったとしても、許されるだろう」
やっぱり俺が以前に予想した通り、アレクス殿下が自暴自棄になっていた時と、派手に遊んでいた時期は重なっていたようだ。
「まぁ、そういうことだ。俺達がここに来たのは奴が首尾よくやっているか確認するためで、実際には手助けをするほどの事態があるとは正直思っておらん。試練を受けているのはあいつで、俺じゃないしな、このまま追跡を続けるぞ」
ばつが悪くなったように、アレクス殿下は一方的に話を打ち切り、既に大蛇を完全に倒し先を進んでいるマティアス殿下の去った先に向かって歩き始めた。
王家の森は、よくロールプレイングゲームに出て来る『迷いの森』をイメージして書いています。




