十一話目
エメセシル様が泣きそうな顔を浮かべて離れの塔から走り去り、それとは対照的に鬼のような形相でアレクス殿下を叱り飛ばした俺の妻が姫様を追ってから、思わぬメロドラマの現場に居合わせた俺は精神的な疲労を感じつつ、セイクリッド王宮内の廊下を歩いていた。
エメセシル様とルーシアの様子が気になり、その確認をしようとルーシアの部屋に向かっているのだ。
しかし、先ほどのマティアス殿下とメルヴィナ様の一連の出来事によってだいぶ時間をとられ、すでに二人が寝ていてもおかしくない時間だ。周囲も、たまに今日の業務を終えたらしい侍女が通るくらいで、しんと静まり返っている。
ルーシアの滞在している部屋の扉を、周りを気にしながら、俺はコンコン、と控えめにノックをした。
すると、扉の奥からかすかに物音がして人の気配を伝えて来る。
「……ルーシア、いるか?俺だ、エリックだ」
少しの間が空いて、扉が内側に開かれた。出て来たルーシアは、騎士装から室内着に着替えてはいるものの、未だ厳しい真剣な表情を浮かべている。
「……悪い、今、ちょっといいか?」
「……入って」
ルーシアも時間を気にしたのか、廊下で立ち話をするわけには行かないと判断したようで俺を室内に招いた。
「……エメセシル様の様子は?」
「……色々思い詰められているわ……明日、アルカディアに帰ると仰ったのよ」
彼女自身、ひどく深刻に考え込んでいる様子で苛立ちを隠さずに素っ気なく告げた。
俺は予想通りの二人の様子に、うーんと頭を抱えた。
「……やっぱりか。少なくともアレクス殿下や他の王族方の許可なしにセイクリッドを出るなんて出来るわけない、明日すぐなんて無理だ」
俺がそう言うと、ルーシアがムッとしたように両腕を胸の前で組んだ。
「でも、国王陛下を見舞うという目的が果たせないのは姫様に落ち度がある訳ではないし、姫様だっていつまでもアルカディアを空けてはおけないわ」
「それでも、アレクス殿下に断りを入れてからというのが筋だろう」
そのルーシアの反抗的な返事に、俺もつられて口調が厳しくなる。
「……あんな風に姫様を傷つけておいて、どこにアレクス殿下の顔を立てる必要なんてあるの」
「……ルーシア、それはごか……」
「姫様はアレクス殿下と婚約を解消するとまで仰ったのよ!!セイクリッドの王位継承がはっきりしない状態で、アレクス殿下を婚約者とみなすことは出来ないと!!」
吐き捨てるようにアレクス殿下を批判したルーシアに先ほど俺が見た一連のエピソードを伝えようとしたが、ルーシアは柳眉を吊り上げ俺の言葉を遮った。くそ、完全にルーシアの頑固スイッチが入ってしまっている!
「ルーシア、落ち着け!エメセシル様が傷ついて、感情的にアレクス殿下を拒絶したくなる気持ちは分かる、でもエメセシル様とアレクス殿下の婚約は国と国との間で正式に決められた契約で、本人達の気持ち一つで簡単に覆すことの出来るものじゃない!!お前だってそれくらいわかるだろう!?」
俺が大きく両手を伸ばし身振り手振りでも、ルーシアへの説得を試みるが、彼女は聞く耳を持たないようだった。バン、とルーシアが目の前のテーブルを両手で叩き、一気にまくし立てた。
「国と国の契約って、エリックはそればっかり!まるで姫様を政治の道具のように扱ってるみたい!姫様のお気持ちはどうなるの!?姫様は人形じゃないわ、生きた人間なのよ、好きな人に裏切られたら悲しいしつらいわ、そんな相手と無理して一緒にいないといけないなんて、残酷だわ!!!」
「ルーシア、だから落ち着けって!俺は何も姫様の気持ちをないがしろにするつもりじゃ」
「ないがしろにしてるじゃない!!あなた、アレクス殿下のあんな自分勝手な振る舞いを見てなんとも思わないの!?よくも姫様の前で、他の女の人と一緒に過ごしていたなんてぬけぬけと言えたものだわ!!あんなに姫様を待ちぼうけさせて!!あなたも自分の主君がここまで軽く扱われて悔しくないの!?あなたがそんなに冷酷な人だったなんて思わなかったわ!!」
全く話にならないルーシアの言い分に、この瞬間ついに俺の堪忍袋の緒も切れてしまった。
「………ルーシア、いいかげんにしろ!!!」
滅多にしないことだが、彼女に向かって本気で大声で怒鳴り、彼女の両腕を両手で掴んだ。途端、ルーシアの琥珀の瞳が大きく見開かれ全身が雷に打たれたかのように、びくん、と震えた。
俺の頭を一瞬、以前ウェスティン離宮の森で狼に襲われた時に彼女を叱り飛ばした時の記憶がよぎった。
「……っ……!!」
硬直したように、動きを止め、俺を真っ直ぐ見つめるルーシアに、俺は一度大きく息をして、声を落として話しかけた。
「………ルーシア、いいか、よく聞けよ、俺はアルカディアの騎士だ、俺が昔から仕えている主君もお前と同じ、エメセシル様だ!!俺がそのエメセシル様を、大事に思わない訳ないだろう!!!」
「……エリック……!!」
いつになく厳しい声音で彼女に捲し立てた俺に、ルーシアの顔がやや青ざめて来る。出来るだけ、怒りをこらえて言葉にしたつもりだが逆にそれが彼女を怖がらせてしまったかもしれない。ルーシアの動揺が、緊張したその表情からも伝わって来る。
「俺を見損なうなよ……俺だって姫様の幸せを一番に願っている」
それでも俺が彼女に言い聞かせるように、正面から見据えたまま告げた言葉に、彼女は申し訳なさそうに項垂れた。しばし沈黙が落ちた。
「………ごめんなさい、私、感情的になって、言い過ぎたわ……」
ぽつりと呟くように彼女が紡いだ言葉に、羞恥の色が滲んでいた。打って変わって大人しくなった彼女に、俺も強張っていた表情をやっと緩めた。
「……ルーシア、冷静になってくれ。俺はお前のその、真っ直ぐで誠実な性格が好きだ、大好きだ。お前がエメセシル様の気持ちを自分のことのように共感して、一生懸命支えようとしていることだって、家族としても同じ騎士としても誇らしい。でも俺達は姫様に一番近くで仕えているからこそ、判断を間違えてはいけないんだ。一時の感情でただ命令に従うんじゃなくて、本当に姫様が幸せになれる道がどこにあるのかを見極めなくちゃいけない」
「……エリック……」
俺なりに言葉を選んで彼女に伝わるように、俺の考えを述べた。ルーシアは神妙な顔で瞬きもせずに聞いている。
「考えて欲しい、あの二人が今までに、きちんとお互いの気持を曝け出し合ったことがあったか?ないだろう?彼らはまだ、互いの気持を伝え合ってもいないんだ。言葉にしないと伝わらない気持ちがあるのは、俺達がよく知っているだろう?それを疎かにしたまま、離れてしまっていい訳ないんだ。エメセシル様にとっても、アレクス殿下にとっても。二人はすれ違っているだけだ、ちゃんと奥底では通じ合っているのにそれを知らないまま諦めてしまうなんて悲しいじゃないか。俺達は、その二人を繋ぎとめる役割をしても、引き離す役目なんて絶対にしてはいけない」
「……エリック……、そうね、エリックの言う通りだわ。……ごめんなさい、私、感情的になって、周りが見えていなかったわ。それに、あなたに酷いことを言って、ごめんなさい……。本当に冷酷な人だなんて、思ってないわ」
殊勝な様子で、感情的になっていた自分を恥じ、謝った彼女に俺も怒鳴ったことを詫びる。俺が微笑み彼女の頬に手を当てると、緊張していた彼女の表情もほっとしたように緩んで俺の手に自分の手を重ねて来た。まるで温もりを確かめるように、首を傾け瞳を閉じた彼女に俺は愛しさが込み上げて来る。
「……分かってる。ルーシアが思いやりが深いことも、エメセシル様をどれほど心配しているかも、全部。俺はお前のその無鉄砲なところも含めて、全部が愛しいんだ」
「……エリック……!わ、分かったわ、今は、私達のことはいいから……!姫様とアレクス殿下の仲を取り持つことを考えましょう!」
「……。そうだな」
俺が正直な気持ちを言うと、少し慌てた様子で彼女がせっかく生まれていた良い雰囲気を遮った。
……やっぱりアルカディアに戻るまでは夫婦の甘い時間はおあずけなのか。俺の切ない想いもしらないで、既に気持を切り替えたらしいルーシアが、決意に満ちた表情で、グッと拳を握った。
「とにかく、明日になったら姫様も少しはお気持ちも落ち着いているかもしれないし、私からもきちんとアレクス殿下にお話をして頂くようお願いするわ」
「ああ……アレクス殿下は、俺の前ではっきりとエメセシル様を好いていると言及された。それに、メルヴィナ様との過去のお付き合いについても俺達が勘繰るような、深い仲ではなかったようだ。お二人の間に、友情以上の感情はないと断言なさった。メルヴィナ様とマティアス殿下の関係も、ずっとそのことが引っかかったいたようだがつい先ほどその誤解も解けたらしい。だから、エメセシル様とアレクス殿下がきちんと話し合って頂ければ、これ以上彼らの関係がこじれることはないと思う」
「……そうだったの!!ああ、だからエリックは誤解だって言ったのね……ごめんなさい、私、あなたの話を聞きもしないで」
「それはもういいさ」
ようやくさっき見た一部始終を彼女に説明すると、彼女は表情を明るくさせた。嬉しそうなその顔に俺も嬉しくなる。しかし、もう一つ彼女に伝えておかないといけないことがあったな。
「……ただ、2日くらいはアレクス殿下はお時間が取れないかもしれない」
「……?どういうこと?」
きょとんとする彼女に俺はどう説明したもんかな、と頭を掻いた。
「マティアス殿下の王太子位の正当性を議員達も含めて国中に認めさせないと、エメセシル様へ正式に求婚出来ないということをアレクス殿下も考えられているようで、まずはマティアス殿下の王太子位の確立を助けるおつもりらしい」
「そうなの……でも、どうやって?」
「……俺も詳しいことは良く分からないが、古い慣習でセイクリッド王家には王位継承者に課せられる試練があったらしい。今は廃れてしまっていたらしいが、その試練をマティアス殿下が突破することで、彼の王としての資質を証明できるとアレクス殿下が提案されたんだ。明日、マティアス殿下はそれに挑戦なさる、だがアレクス殿下としては自分がアルカディアに婿入りする条件を満たすためにも、絶対にマティアス殿下に失敗して欲しくない。だから裏からそれを手伝うつもりらしい」
「……そんなことして、もしバレたら試練の正当性を疑われるんじゃないの?」
不審げに眉をひそめる彼女に俺も、同感だと頷く。
「……俺もそれは疑問だが、アレクス殿下のことだ、上手くやるだろう。……ただ、何故か俺もそれに駆り出されるらしい」
「……そう。……頑張ってね」
「………ああ。……だから俺を置いて、先にアルカディアに帰らないでくれよ。俺だけここに残されたら、セイクリッドに仕えろ、なんて言われかねないし」
「……そうね。わかったわ」
この短い説明の中に色々感じとったらしいルーシアが心底同情の目を俺に向けた。俺が貧乏くじを引きやすいのは、長年の付き合いから彼女も熟知している。ただ、やや半笑いなのは引っかかるが……。
「……じゃあ、明日朝早く出発するようだから、俺はもう休むことにする。ルーシア、寝る前に邪魔して悪かったな」
アレクス殿下の言われる『王の試練』というやつがどんなものかは全く想像がつかないが、その危険性から廃止された制度だ。ルーシアをむやみに心配させたくはないので、俺はその点については伏せたままでいたが、体を万全な調子に整えておくに越したことはない。取り合えずルーシアに伝えるべきことを伝えた俺は、すみやかに自分の滞在している部屋に戻ろうと、踵を返した。すると、急にルーシアが俺の袖をつん、と掴んだ。
「あ……エリック」
「……なんだ?」
俺が頭を傾げながらルーシアを見つめると、少し憮然とした表情になったルーシアが、何故か視線をついと横にそらした。
「……な、なんでもないわ。気を付けて行って来てね」
「……ああ?」
突然顔を赤らめたルーシアが、今度はややぶっきらぼうに言うと、部屋から押し出すように俺の背中を両手で押した。いや、急に何だよ!?




