十話目
くっくっ、と堪えきれないように喉を鳴らしながら笑うアレクス殿下に、その場にいた全員が、訳も分からず呆けた顔で突っ立っていた。
「ア、アレクス……?」
先ほど啖呵を切ったばかりのマティアス殿下も、毒気を抜かれ、力が抜けたようにアレクス殿下を見つめた。
「……くくっ、どうした……良かったじゃないか、兄上、夫婦のわだかまりも解けて、お前もやっと自分のやるべきことに腹を括ったんだろう?」
「あ、あ、アレクス……あ、あなた!!!」
誰よりも真っ先に、アレクス殿下の言動の意図を理解したらしいメルヴィナ様が、今度は顔を真っ赤にして、アレクス殿下を指さした。
そのメルヴィナ様が怒り狂う様子を見て、俺も薄々分かり始めていた。つまり、アレクス殿下は―――。
「たばかったわね!!!!」
メルヴィナ様のヒステリックな甲高い声が、狭い塔内に響き渡った。
そう、この一連の不審なやり取りは、アレクス殿下がマティアス殿下に決意を促すための発破だったのだ。なんてことだ、その迫真の演技に俺までまんまと騙されてしまっていた。そうだ、この人はこういう人だったんだと、今までのアレクス殿下の突拍子もない行動の軌跡を思い出し、俺は噛みしめる。
だが、さすがにさっきのエメセシル様とのやり取りまで計算だなんて言わないよな?
「酷い言い草だな、俺に言うべきことを言って欲しいと頼んで来たのはお前だろう、メルヴィナ。むしろ感謝して欲しいものだな、お前達が収まるところに収まってくれないと、俺がエメセシルに誤解されたままだ。本当はエメセシルを追いたいところを我慢して、お前達に説教してやったんだ」
事実は事実だろうが、傲岸不遜にも程があるよな……。
すっかり脱力している面々を前に、アレクス殿下は真面目な口ぶりで持論を展開した。
「本当に世話の焼ける兄夫婦で困る。これで俺が本当にエメセシルに振られたらどう責任を取ってくれる」
「……アレクス、お前は、本当にセイクリッドの王位に興味がないのか……?」
マティアス殿下が、半信半疑というような表情で問い質す。そんなマティアス殿下にアレクス殿下が、口の端をにやりと上げた。
「……父上がお前を指名した時に、何も思わなかったわけじゃない。だが、突然指名されたお前が、周囲の期待に応えようと努力しているのは知っていた。もしお前が、何も疑問に思わず、与えられた権利だけを享受するような人間ならそもそも最初から譲ったりはしない。それに、俺も自分が守るべき唯一の存在を既に見つけている、俺に迷いはない」
アレクス殿下、その言葉が意味するのは、つまり……
「俺は、エメセシルに出逢って、あの細い肩でアルカディアの全てを背負おうとしているあいつの重圧を、少しでも肩代わりしてやりたいと思った。それは、あいつが親友の妹だったからでも、か弱い女だからでもない、俺があいつに惚れているからだ」
アレクス殿下、それは、本人に言わないと伝わりません……!!!
俺は思わず心の中で叫んだ。だが、アレクス殿下はどんな時でもアレクス殿下だよな、自分の流儀を貫いていらっしゃる。
「だがお前が議員達も含め実質的に後継者に認められないことには、俺もいつまでも安心が出来ん。マティアス、先程も言った通り、お前には王としての資質を証明してもらわねばならん」
「……それは、承知している……それでお前は私に、何をさせたいのだ?」
「ア、アレクス……まさか……」
訝しがるマティアス殿下よりも先に、何のことか思い当たったらしいメルヴィナ様が、動揺を隠せずに上ずった声をあげた。アレクス殿下の青い目がすっと細められた。
「そうだ……マティアスには、王の試練を受けてもらう。早いに越したことはないからな、明日早速向かってもらおう」
「そんな……王の試練は、もう何代も前の王位継承から、廃止されたはずよ!!無茶だわ!!」
メルヴィナ様が悲鳴まじりの悲痛な声で叫んだ。な、何なんだ、王の試練って!?
「メルヴィナ……私も、聞いたことがある。かつて王位継承者がその武勇を示すために受けた試練、だが、あまりに過酷なために命を落とす者も多く、とうの昔に廃止された慣習だ…」
「……そうだ、その試練を潜りぬけることが出来れば、もはやこの国の誰一人お前の王位継承に異を唱える者はいなくなるだろう」
「でも……危険すぎるわ、マティアスが死んでしまったら元も子もないじゃない!!無茶を言わないで!!」
強張った表情で、アレクス殿下に必死に訴えたメルヴィナ様をマティアス殿下が引き止めた。
「メルヴィナ……、私は、今まで何事も受け身で流されるままだった。だが、今は自らを奮い立たせる時だと思う。アレクスの言う通りだ、人望も実力もまだまだ及ばない私は、それを得るための努力を惜しむ訳にはいかない。私は必ず、この試練を乗り越えて見せる、そして、誰からも認められる正真正銘の王になりたい。君の隣に、自信を持って立てる男になりたいのだ」
「マティアス……」
しっかりとメルヴィナ様の目を真っ直ぐ見つめ、迷いなく告げたマティアス殿下を、眩しそうにメルヴィナ様は見つめ返した。二人とも、絶世の美男美女であるだけに、実に絵になる光景だ。
「……分かりました。私は、夫であるあなたを信じます。必ず、試練を乗り越えて、私のもとに戻って来て」
「メルヴィナ……約束する」
そして二人は周りの目線も気にならない様子で、再び二人の世界を作り始めた。……すっかり中てられた俺と、アレクス殿下は他の騎士らと共に、音を立てずに塔の階段を降り始めた。去り際に、残された二人のシルエットが重なり合ったのを、俺は見て見ぬふりをした。
……いいなぁ、俺も新婚なのに……。
当の俺の奥様が、怒り心頭で立ち去って行った場面を思い出し、俺は現実に引き戻された。
階段を降りながら、俺は前を歩いているアレクス殿下にそもそもの事の起こりを訪ねることにした。
「……で、何でアレクス殿下はこんな誰も寄り付かないような密室に、メルヴィナ様と二人きりでいたんです?」
しかも、発見された当初、誰がどう見ても、何か訳ありの雰囲気を匂わせて。
俺が改めて問いかけると、アレクス殿下が不快そうにちっ、と舌打ちした。
「俺もメルヴィナもどうやら嵌められたらしい……大方、叔父上あたりが仕掛けたのだろうな、俺はメルヴィナからマティアスについて相談があると、メルヴィナは俺から同じようにマティアスについて話があると従者を通じてあの場所に呼び出されたが、互いに心当たりがない。しかも、嫌な予感がして部屋を出ようとしたら建付けの悪い扉が、中途半端に引っかかり開けることも出来ない状態だった。雨の吹き付けて来る室内の温度は、メルヴィナの体に毒だ、仮にも王太子妃を凍え死にさせる訳もいくまい。それで仕方なくああいう手段をとった」
なるほど……、やむにやまれず、ということか。しかし、ドゴール卿は何で二人を呼び出したんだろう?
「恐らく、二人きりにしたら、かつて恋人だった俺達が色めいた事態にでもなると思ったのだろう。だが、あんな寒い空間ではどうにかなるものも、どうにもならん」
「いや、そう言う問題じゃないですよね」
しまった、つい、常識的な突っ込みが俺の口を突いて出てしまった。
「冗談だ。そもそも、俺とメルヴィナは実際に恋仲だったことなど一度もない」
「……え?」
俺は寝耳に水、という状態で間抜けな声を出した。え?だって、マティアス殿下が王太子に指名されるまで、二人は恋人だったと当人同士が認めていたじゃないか。
俺が納得出来ない顔で見ているのに、アレクス殿下は居心地の悪そうな表情をした。
「……将来どうせ夫婦になるのだからと、俺達がまだ思春期に差し掛かったばかりの頃、興味本位で付き合ってみたのは事実だ。だが、俺もメルヴィナも自分の道を貫く性質だからな、まったく馬が合わず、とんと良い雰囲気になることはなかった」
「……はぁ、しかし、付き合ったと言うことは、それなりのご関係はあったんですか?」
出歯亀と言われようと、ここまで聞いてしまっているんだ、遠慮しても仕方ないと俺は好奇心のまま尋ねた。
「……俺もさすがにそこまで見境が無いわけでも、理性が利かないわけでもないぞ。当時未成年だったメルヴィナに、手を出すものか。指一本触れてなどいない」
憮然とした表情のアレクス殿下に、俺は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。アレクス殿下でも、子供のようにむくれることがあるんだな。
ということは、そもそもアレクス殿下とメルヴィナ様の間には、友情以上の関係は発生しえなかったということか。それでアレクス殿下を推す議員達がメルヴィナ様をだしにどれだけアレクス殿下の関心を引こうとしても、全く意味をなさなかったんだな。
ルーシアじゃないが、俺もやはりエメセシル様びいきではあったので、内心胸を撫でおろす。
そして、残された問題を思い出す。泣きながら、アレクス殿下の前から逃げ出すように立ち去ってしまったエメセシル様と、そのエメセシル様に肩入れをして怒髪天を突いているだろうルーシアのことを思い出し、俺は気が重くなる。
今のエメセシル様の精神状態も心配だが、むしろ誰よりも感情的になっているに違いない俺の奥さんが、どうエメセシル様に対応するかということの方が厄介な気がする。これは早めにアレクス殿下にきちんとエメセシル様と直接話してもらわねば……!
「アレクス殿下、これからエメセシル様のところに向かわれますか?」
「……やめておこう」
「……え?」
俺の提案に渋面になったアレクス殿下の返事に、俺は思い切り不審な顔をした。え?さっきエメセシル様を追いたい気持ちを抑えて、マティアス殿下に説教をしたと自分で言っていたよな?
「え?誤解を早く解かなくていいんですか?エメセシル様泣いていたんですよ?それに、ルーシアと一緒になって今頃アルカディアに帰りたい、と話しているかもしれません」
「……すべての決着が着いたら必ず話す。お前の妻には何としてもエメセシルを、セイクリッドに引き留めて置けと伝えろ」
「……アレクス殿下、後回しにするのは、名案とは思えませんが?」
珍しく、煮え切らない態度を見せるアレクス殿下に、俺は困惑と苛立ちで、つい畳みかけてしまう。アレクス殿下も苛立ったように、長めの前髪を掻き上げた。
「……だから、今、まだマティアスの王位継承が解決していない状態で、俺がアルカディアに行くと言ってもエメセシルを安心させられないだろうが……!」
そう、逆切れのような形で吐き捨てたアレクス殿下の顔が、耳まで赤くなっている。お、おお……!?
「まさか……アレクス殿下、先ほど姫様に拒絶されたことが、それほどショックだったんですか……?」
「……言うな!!!」
すごい意外だ……アレクス殿下が、まるで10代の少年のような反応を返すなんて。
どうやら、完全にエメセシル様を迎えられる状況が整うのを待つつもりらしい。確かに、マティアス殿下の王の試練を発案した手前、アレクス殿下もその責任を負わなければならない。万が一、マティアス殿下が失敗した場合に、セイクリッドを継ぐという可能性は皆無ではないのだ。
だが、あの傍若無人のアレクス殿下が怖気づいてしまうくらい、エメセシル様の反応を気にして振り回されている様を見るのは、いつもアレクス殿下の気まぐれの被害を被っている身としては痛快な気持ちだった。
俺が内心、胸がすく思いでいると、またも、アレクス殿下の思いもよらぬ指示が飛んで来た。
「明日、マティアスの出発を見届けて、俺達も後を追う。今日はしっかり休み体力を回復させておけ。だが、その前にお前の妻にきちんと話をつけておくことを忘れるなよ」
大真面目な顔で、俺にそう告げたアレクス殿下に俺は意味が理解出来ず、固まった。
「……申し訳ありません、仰る意味が分からないのですが」
「明日、俺達もマティアスを支援すべく、王の試練の地に赴くぞ」
……何で俺まで?




