第四十二話 未来を繫ぐ者
国王陛下、テオドール閣下の登場に、王国中を巻き込んだ反乱はあっけなく幕を閉じた。現在はアレクス殿下、テオドール閣下の配下の兵士らが、クーデターに加担した上級騎士達の身柄を拘束していた。
「……ルーシア!なんでお前までここにいるんだ!」
俺はエメセシル様の側に控えるように立っているルーシアに、駆け寄った。未だに怪我をした左腿に包帯を巻いているにも関わらず、彼女はいつもの騎士装に身を包んでいる。
「愚問ね、エリック。私は姫様の近衛騎士だもの、姫様が行かれるところならどこへでも行くわ」
「怪我で療養中の時まで無理しなくてもいいだろう!!」
相変わらず真面目な彼女の回答に、俺は何度目か分からないフレーズを口にする。なんだかんだ言ってルーシアは自分の能力を過信して、無茶をする悪い癖がある。そこだけは、本当に改めて欲しい。
俺達がそんな風に言い争いをしていた時―――。
「―――お父様!!」
という、エメセシル様のいつになく切羽詰まった声が聞こえて来た。
驚いて振り返ると、そこには国王陛下に剣を突きつけたバレン公爵の姿があった。俺はその様子に目を瞠った。一体、何が起こっているんだ!?
「―――ゲオルグ殿!!血迷ったのか!!」
テオドール閣下が色をなして、空気を震撼させるほどの大声で吠えた。その場の誰もが、突然のバレン公爵の乱心に唖然としていた。
バレン公爵はテオドール閣下の恫喝にも全く動じず、静かに、しかし全く隙のない姿勢で国王陛下に剣を突きつけている。剣を向けられている陛下は、一度大きく息を呑まれたが取り乱すことも無く、正面のバレン公爵を見据えた。
「―――陛下、無礼をお許し下さい。しかし、お尋ねしたいことがあります。……20年、ずっと疑問に思っていたことを」
「ゲオルグ……!!」
バレン公爵の鋭利な刃のような視線を向けられながら、国王陛下はその秀麗な顔をわずかに歪めた。
「……ネルソンらの疑問は、そのまま私の疑問でした。私も同じ問いを、この20年間ずっと自分の中で繰り返していた。何故、ルクレツィア様は敵国で死ななければならなかったのです。何故、彼女だけが一人犠牲にならなければいけなかった。何故、あなたは我らを信じて下さらなかったのです……このアルカディアのためなら、我らは何度でも命を賭して戦ったのに……!!!」
血を吐くような、吐露だった。剣の切っ先は狙いを一定に保ったまま、バレン公爵は苦しそうに問いかけた。
「愚問だぞ、ゲオルグ殿!!我ら騎士は、国家の剣であり盾であれば良いと常々言っていたのは貴公だろう!!そこに我らの意志など不要なはずだ!!!」
テオドール閣下が怒りを爆発させ、叫んだ。しかし、国王陛下はそのテオドール閣下の言葉を、無言で手を伸ばし制された。
「テオドール、良いのだ。ゲオルグ……、お前の言うことは尤もだ。……。20年前……、王位継承を控えた我には、トルキアとの戦争はあまりに手に余る懸念事項だった。一度は我が国が勝利したとはいえ、あれほどの巨大帝国を前にそれ以降も衝突を繰り返すのは国の存亡を危うくする、そう思ったのだ。仮に勝てる戦であったとしても、それが国民に与える影響はあまりに大きい。我の判断一つで、多くの民の平穏な暮らしが脅かされる、若い我には抱えきれぬほどの恐怖だった。一刻も早く、国を安定させたい、我のその願いを理解してくれたのが、ルクレツィアだったのだ」
「では……姫が、自ら名乗りを……?」
バレン公爵が、震える声で絞り出すように問いかけた。国王陛下は真っ直ぐにバレン公爵を見つめたまま、続けた。
「そうだ……、しかし、それを言わせたのは他ならぬ我自身だ。お前も知っているだろう、あれはあまりにも心優しい娘だった。兄を慕い、臣下を慈しみ、国民を心から愛しておった。我が不安な姿を見せれば、あれがその選択をするだろうことは容易に想像がついたのに、我はルクレツィアの前で弱音を吐いてしまったのだ。再び戦争になるのは、恐ろしいと。……今思えば、もっとお前達騎士を、信じてやればよかった。市井の民の力強さを、このアルカディア自身の生命力を……」
「陛下……そうです、我らは、あなたに信じて頂きたかった。他国のどんな圧力からも屈しない、我らの忠誠を!!そうであったなら、彼女は今でも、幸せに笑っていられたはずだ……!!!」
バレン公爵は叩きつけるように、声を張り上げた。苦しい衝動が、俺にも痛い程伝わって来た。どれだけの割り切れない想いを、公爵は長い間抱えて来られたのだろう。
冷静さを失った公爵が、本当に陛下を弑するかもしれない、俺が緊張を走らせた瞬間―――。
「……いいえ、それは間違っています」
ふいに静かな、しかし凛とした声音が謁見の間に響いた。―――エメセシル様だった。
エメセシル様は父王が剣を突きつけられているのにも関わらず、落ち着き払った様子で真っ直ぐに前を見据えながらバレン公爵の元に歩み寄って行く。姿勢を崩さないまでも、バレン公爵の黒曜石のような瞳に明らかに動揺が走るのが見て取れた。
「叔母様は、もしお父様に反対をされたとしても、その選択を変えなかったでしょう。何故なら、その道以上に、完全に戦争を終結させる方法はなかったのですから。……私達王族には、二番目、三番目の案などを選ぶことは許されません。常に最良を選ばなければならないのです。それが支配者たる、王族の義務です」
「エ、エメセシル……」
剣を抜いている人間に武器も何も持たず歩み寄って行く娘に、国王陛下が驚愕し取り乱したように名を呼んだ。しかし、エメセシル様は全く躊躇せずバレン公爵のまさに目と鼻の先まで進んでしまう。姫様の気迫に、その場の誰もが呑まれていた。バレン公爵でさえも。
「あなたは、直接叔母様の意志を確認したのでしょう?そして、断られた。……違いますか?」
「………そうだ……私は、彼女に、ルクレツィアに、共に逃げようと……だが、彼女は……」
熱に浮かされたように、バレン公爵は呟いた。その公爵に、エメセシル様はさらに一歩近付く。
「でも……あなたには、叔母様のお気持ちが、伝わらなかったのですね……。愛されていないと、思ってしまったのでしょう……?」
「……」
「間違いなく、叔母様はあなたを愛していました。私には、叔母様の気持ちが、手に取るように分かります。だって……人を愛することと、自分の使命を果たすことは、決してどちらがより尊いなんてことはないのですもの。叔母様は迷わなかったわけではないと思います、あなたに手を差し伸べられて……でも、知っているから。王女である私のために、命を懸けてくれる騎士達にもまた、愛する人がいることを。その彼ら自身の命の重さを……。だから、私達は、別の選択肢なんて、許されていないのです」
大きなエメラルドグリーンの瞳に涙をいっぱいに湛えながら、姫様はそれでも凛とした姿勢で告げた。
「ルクレツィア……!」
想い人に生き写しのエメセシル様を前にして、バレン公爵はとうとう息苦しさに耐えきれなかったのだろう。ため息交じりに、ルクレツィア王女の名を呼び、後方によろめくように後ずさった。そのバレン公爵を、まるで聖母のような佇まいで、姫様は静かに見つめる。
「あなたに叔母様の代わりがいないように、叔母様にとってもあなたの代わりはいなかったのですよ……ゲオルグ将軍。だって、叔母様がトルキアに嫁ぐときに持って行かれた唯一の持参品は、あなたと交わしたタリスマンのみだったのですもの」
「……っ……」
ついに、バレン公爵は剣を落とし胸元から取り出したタリスマンを握りしめた。その目からは滂沱の涙が滴り落ちていた。その胸が痛くなる光景に俺まで息苦しくなる。そんな俺の手を、いつの間にか隣に来ていたルーシアがギュッと握った。
「……彼女を失ったあとの時間は……果てしなく、地獄のようだった……。出口のない迷宮を、彷徨っているようで、何も、信じられなかった……彼女の心も、自分自身も……。ずっと、彼女に裏切られたのだと、私だけが、彼女を必要としていたのだと……しかし、私が、彼女を理解していなかっただけだったのだな……」
溢れる涙をぬぐうこともせず、バレン公爵はタリスマンごと自分の胸を掻き毟るような仕草でうずくまった。そんなバレン公爵に、エメセシル様は静かにその背中に手を重ねた。
―――暫くは誰も身動き一つ出来ず、バレン公爵とエメセシル様の様子をただ黙って見守っていた。その沈黙を破ったのは、他ならぬバレン公爵だった。
「……どれだけ自分が罪深いかは分かっている。命乞いなど、する気もない。早く、皆のところに逝かせて欲しい」
バレン公爵は、自らの剣を自分から遠くにやるとテオドール閣下に向けて、頭を垂れた。まるで、首を落とせと言っているかのように。
その様子に取り乱したのは、国王陛下だった。
「待て、テオドール!全ての責任は、我にある。我はゲオルグを罰するつもりはない!」
「……陛下、しかし、今のゲオルグ殿に生きろと言うのも酷な話です……!」
バレン公爵に剣を構えようとするテオドール閣下と、それを止めようとする国王陛下が互いに顔を見合わせる。エメセシル様も、ここに至ってはどう対応していいか分からないのか、両手を胸の前で組み合わせ、困惑したように父王とテオドール閣下、バレン公爵を見比べている。当然、俺やルーシアが口を挟める状況にもない。
それぞれの意見に、誰もが答えを見いだせないでいた時―――。
「死ぬことは許さんぞ、バレン公爵」
一人、全く動揺もせず、はっきりとした声音で口を挟む人物がいた。アレクス殿下だった。
「感傷に浸っているところ悪いが、貴様に死ぬことは許されていない、バレン公爵。貴様には今回のクーデターの責任をとってもらう、ネルソンや他の上級騎士達の代わりにな」
「ア、アレクス様!?」
エメセシル様が、ご自身の婚約者の思わぬ介入に顔色を変える。アレクス殿下、一体何を考えられているんだ!?バレン公爵は、確かに今国王陛下に剣を向けられたという意味では反逆者だが、クーデター自体には関わってはいないと言うのに!!突然のアレクス殿下の物言いに、その場の誰もが不審な目を向けるが、アレクス殿下は全くいつもの様子で気にするそぶりもない。
「余所者が口を出すなと思われるだろうが、俺もアルカディアに婿入りし、骨を埋めると覚悟をしている以上、この国を何としてでも守って行くつもりだ。……仮にそれがセイクリッドからでもな。そのためには、この国をより強い国に鍛え上げねばならん。ネルソンらの意見も一理あるのだ、今は平和でも10年後20年後もそうだとは限らん。バレン公爵、貴様にはそのために力を貸してもらう」
「……どういった、意味、でしょうか……」
尊大に言い放つアレクス殿下に、バレン公爵も途方に暮れたように、困惑した声を漏らした。俺自身も、アレクス殿下の真意が分からない。この方はいつも唐突過ぎる。
「クーデターで王国軍は勢力を二分し、弱体化した。俺は形骸化した王国軍を、真に王国の剣となり盾となりえる絶対的な勢力に作り変えたい。バレン公爵、貴様にはその顧問として、このアルカディアのために尽くしてもらう。それであれば、少しはネルソンも報われるだろう」
例によって独特の節回しで持論を述べるアレクス殿下に、全員が全員、怪訝な表情でアレクス殿下を見つめている。
「……まさか、それでは罪の贖いにならないと思っているのではあるまいな?これは決して楽な道ではないぞ。若い騎士の間には貴様のかつての武勇など知らず、反国王派を焚き付けた最大の国賊と思う者もいるだろう。謗りや、嫉みも受けるだろう。しかし、今の貴様に失うものなど何もないはずだ。どうだ、俺がアルカディアを正しく導いて行くために、力を貸してくれないか?」
その場にいる誰もが、アレクス殿下の言葉にあっけに取られていた。……いや、エメセシル様だけがアレクス殿下の言葉に、いちはやく反応した。
「バレン公爵、そうです。まだ未熟な私達に、どうか力を貸して下さい……!私も、叔母様が愛したこのアルカディアを、次の100年もずっと平和を守って行けるように、精一杯のことをしたいのです。そのためにあなたのお知恵を、私達に授けて下さい……!!」
「エメセシル王女……!!」
祈るように跪き、一生懸命に訴えるエメセシル様に、バレン公爵は明らかに動揺していた。堪らずにバレン公爵は、国王陛下の方に顔を向ける。国王陛下はそんなバレン公爵に深く、頭を垂れた。
「ゲオルグ……我からも頼む。我は多くの騎士の想いに答えてやれなかった。これからは少しでも、その無念に報いてやりたいのだ」
「陛下……!!」
がっくりと、バレン公爵は肩を落とした。片手で頭を押さえ、首を振る。バレン公爵の中で激しい葛藤があるのが俺にも伝わって来た。
長い、沈黙だった。しかし―――。
「……彼女が、ルクレツィアが真に愛したアルカディアのために、まだ私に出来ることがあるなら……この残りの命を捧げましょう……!」
そう、全てを観念したようにバレン公爵が低く唸り、傅いたのを見て、その場の誰もが安堵し力を抜いた。
俺もルーシアと顔を見合わせた。彼女の琥珀の瞳もいつしか潤んでいた。
よかった、バレン公爵が少しでも未来に目を向けて下さって。……俺も心底ほっとしていた。
俺が胸を撫でおろし、やっと全てが終わった、そう思った頃だった。
「―――良く決断してくれたな、バレン公爵。むろん、俺とて貴様にただ一人で王国軍を鍛え直せ、とは言わん。有能な補佐役をつけてやろう」
ようやくその場の空気が緩み始めていた時に、またもや唐突にアレクス殿下がバレン公爵に声を掛けた。怪訝な表情をするバレン公爵に、アレクス殿下はいつもの不敵な笑みを浮かべる。……ん?待て、なんでアレクス殿下はそこで俺に視線を向けるんだ?
アレクス殿下のにやりと引き上げられた口角に、俺は嫌な予感しかしなかった。
「エリック・カーシウス。お前をバレン公爵の副官兼、王国軍師団長に任命してやろう。精々、アルカディアのために働け」
―――突然の指名に、俺はぽかん、とこの上なく間抜けな顔でアレクス殿下を見つめた。




