第四十一話 恋焦がれた夢の行く先
―――俺達が謁見の間に駆け付けた時、王座の前でネルソン将軍がバレン公爵に剣の切っ先を突きつけていた。しかしそれにもかかわらず、バレン公爵は自らの剣を抜くことも無く、取り乱した様子もなく直立している。
その光景に、俺だけでなく同行していたアーウィンや他の騎士らも面食らい、勢いを挫かれる。
「バレン公爵!」
「……っ!?エリックか!!」
俺が思わずバレン公爵の名を口にすると、そこで初めて公爵は俺達の登場に気付き、驚いた様子でそれまで対峙していたネルソン将軍から注意を俺達に向けた。途端に、バレン公爵の顔に動揺が生まれる。
「何者だ!!」
しかしそれ以上に逆上したのはネルソン将軍だ。バレン公爵の意識が一瞬俺達に逸れたのをいいことにバレン公爵の後ろ手に回り、公爵を羽交い絞めにした。そのネルソン将軍の剣は、バレン公爵の首元に突き付けられている。しまった!俺が公爵に呼びかけたことが公爵の命を危険に晒してしまった!
見ると謁見の間には、ネルソン将軍とバレン公爵の他にも彼らと同年代の上級騎士達が剣を抜き、俺達を睨み付けていた。くそっ、バレン公爵を人質に取られているために、下手に攻撃を仕掛ける訳にもいかない。俺は歯噛みして、ネルソン将軍に向かって声を張り上げた。
「ネルソン将軍!!エメセシル殿下とセイクリッドのアレクス殿下の連合軍が王宮を制圧にかかっており、既に国王陛下はテオドール閣下に救出されています!!これ以上抵抗しても無意味です、大人しく投降して下さい!!」
「貴様は王女付きの近衛騎士、エリック・カーシウスか!!」
ネルソン将軍は俺の姿を認めると、表情をさらに険しくした。憎々し気に俺達を睨み、見下した様子で鼻を鳴らす。
「貴様の妨害のせいで、王女はセイクリッドの青二才のところに逃げ込めたらしいな!!王国騎士である誇りを忘れた、この売国奴の犬め!!」
「騎士であることを忘れているのは、ネルソン将軍、あなたの方だろう!!何故国王と国民を守るべき騎士のあなたが、陛下に剣を向け国内を混乱させているんです!!」
売国奴の犬、呼ばわりされ俺は思わずカッとなりネルソン将軍に言い返す。ネルソン将軍は俺の反論にますます怒りの形相を強めた。
「あの男は正統な王などではない!!常に他国に媚びへつらい顔色を窺う臆病者など我らの主とは認めぬ!!あの男の息子も同じだった、奴らは国内の貴族を馬鹿にし我ら騎士をないがしろにし続けている!!
この国をトルキアから守ったのは我らだ!!それなのに我らを正当に評価もせず、他国を刺激するからと不当に兵力を抑制している。本来ならば、この国は救国の英雄であり正しい王家の血を引くゲオルグ閣下が治められるべきなのだ!!」
「なっ……!その正統な王だと崇めるバレン公爵に今まさに剣を突きつけているのは、他ならぬあなた自身だろう!!」
全く言っていることが滅茶苦茶だ。そもそも王位を望んでいる訳でもない人間に、無理やりそれを押し付けること自体間違っている。
バレン公爵は羽交い絞めにされ、剣を首筋に突き付けられているにも関わらず、落ち着いた様子で神妙な表情を保ったまま俺達の会話を見守っている。
「黙れ!!近衛騎士の貴様に我らの何が分かる!!国王は自分や王女を守る近衛騎士だけに重きを置き、それ以外をただの飾りのように扱っている!その上、王位継承権を満たす王女の配偶者に国内からでなく他国の王族を迎えると言う。これではまるでセイクリッドは戦もなく我が国を無傷で手に入れたようなものではないか!!なぜそこまで他国の出方を窺わねばならぬ!!どんな国と戦おうと我らはいつでもアルカディアを守って見せると言うのに!!」
「ネルソン将軍、あなたの言っていることはおかしい、今の我が国はどの国とも敵対関係にあるわけじゃない。むしろ今あなたがしている事は、この国の弱みを露呈させ、いたずらに諸外国との衝突を生み出そうとしているじゃないか!!」
そうだ、国王陛下の賢明な政治と外交のお陰でトルキアとの戦争以後、我が国は周辺諸国と良好な関係を保って来た。それは陛下が国を安定的に豊かにするために長年努力されて来たからこそだ。俺達騎士は、有事の際にその真価を発揮すればいいわけで、平穏な時代に存在感が薄れるのはごく自然な流れであり、誰に文句を言えると言うのだ。
「ネルソン……エリックの言う通りだ。何故分からないんだ、騎士の役目は国民を守ることであり、その力をむやみに振りかざすことではない。私がかつて軍に身を置いていた時、私がなまじ王族の血を引いているためにお前達を始め、当時の騎士らが軍主体の支配構造に無理やり作り変えようとしただろう。しかし平和な時代に武力の誇示など不要だ、私は自分が新たな火種になることを懸念して身を引いたのだ。それはお前も知っていたはずだ」
静かに諭すようにネルソン将軍に語りかけるバレン公爵に、ネルソン将軍の表情が辛そうに歪んだ。一瞬、彼の持つ剣の切っ先が震える。
「ゲオルグ閣下……!しかし、私はあまりにも悔しかった!!なぜ国王はあなたを正当に評価もせず、あなたのものになるはずだった、ルクレツィア王女をよりによってトルキアなんぞにくれてやったのです!!トルキアは我らの姫をまるで戦争奴隷のように扱い、散々嬲り者にした上たった3年で殺してしまった。国王自体が妹姫を生贄にしたも同然ではないですか!!!我らは……あなた方に幸せになって欲しかったのに!!!」
そのネルソン将軍の悲痛な魂の慟哭に、さしものバレン公爵も顔を苦しそうに歪めた。ネルソン将軍の糾弾に動揺したのはバレン公爵だけではない、俺達も彼のあまりに激しい怒りと悲しみに心が揺さぶられていた。
「そ……そうだ、あなたは我らの勝利と栄光の象徴だった!!あなたがルクレツィア王女と結ばれることが、我らにとっても悲願だったのに!!」
「そうです、我らの真の主はゲオルグ閣下、あなたです!!」
ネルソン将軍につられたように、他の上級騎士達も涙ながらに想いを訴えた。次第にバレン公爵の瞳が傍目にも動揺し、苦悩に彩られて行くのが分かった。
「ルクレツィア王女が亡くなられてから、閣下が生きづらそうにしているのを我々は皆気付いていました。救国の英雄が何故、こんな扱いを受けなければならないのです!!!」
ネルソン将軍の深い悲しみ、怒りが周囲にも伝播し今や、反旗を翻した騎士らの全員がむせび泣いていた。彼らがバレン公爵の名を口々に叫ぶ。
「……お前達……!」
見ると、バレン公爵の目からも涙が溢れていた。公爵は一度苦し気に眉根を寄せ、瞑目した。
その様子から、彼らがどれだけ長い間苦しい時間を耐え過ごして来たのか、20年前の戦争を知らない俺でさえも理解出来た。彼らは自分達よりもはるかに巨大な勢力を持っていたトルキア帝国に勝利した栄光を称えるその証明に、崇拝するバレン公爵とルクレツィア王女が結ばれる未来図を夢見ていたのだろう。しかし、それが実現されることはなかった。
夢を裏切られた人間にとっても、期待を持たれそれに応えられなかった人間にとっても、残酷な現実だ。夢を見ること自体は罪じゃない、だがその望みが大きければ大きい程、あとに返って来る失望も大きい。
しばし痛みに耐えるように、バレン公爵は天を仰いだ。恐らく様々な葛藤が、バレン公爵の内側で荒れ狂っているのだろう。バレン公爵がこれまで、正気を保っていたこと自体が驚異的な彼の精神的な強さを伝えて来る。ああ、でもここまでの強い願望をぶつけられて、平静でいられるはずはない。公爵は、かつての同胞の手を取ってしまうのだろうか―――?
俺がそんな風にバレン公爵の出方に疑念を抱き始めた、次の瞬間―――。
カッと閉じていた瞳を見開き、バレン公爵は自らを羽交い絞めにしていたネルソン将軍の腕を、目にも留まらぬ速さで掴み投げ飛ばした。ネルソン将軍の持つ剣の刃が自らの首筋に赤い線を描くのにも躊躇せず。
あっさりとネルソン将軍と体を入れ替え、その剣を奪い取ったバレン公爵はその切っ先を、地面に仰向けに倒れているネルソン将軍の首元に突き付けた。
その間、その場の誰も身動きも出来ず、凍り付いたようにその光景にただ見入っていた。バレン公爵の表情は、顔にかかる灰色の髪で見えない。しかし、その剣先は微動だにせず真っ直ぐにネルソン将軍の首に向けられている。
バレン公爵が低く呻いた。
「……ネルソン、お前達の想いに答えてやれなくて、すまなかった。お前達を惑わしたのは、私の責任だ……!!しかし、我らがアルカディアの騎士である以上、アルカディアに剣を向けることは許されない。それが、私がずっとお前達に伝えて来た、ただ一つの精神だ…………!!」
「か、閣下……!!」
その断固としたバレン公爵の口調に、ネルソン将軍は苦し気に公爵の名を呼んだ。その苦悶の表情は地面に叩きつけられ、締め上げられていることだけが理由ではないだろう。
「部下の過ちは、上官であった私が正すべきだろう……安心しろ、お前達だけに罪を被せたりはしない、私もすぐに後を追おう……!!」
バレン公爵はそう言うが早いか、その強い意志をぶつけるかのように構えた剣を振り上げた―――!
「バレン公爵!!」
「ゲオルグ閣下!!」
「ネルソン将軍!!」
「閣下!!」
居合わせた全ての人間が思い思いの名を呼ぶ。しかし、その誰もがとっさにそれ以上の反応をすることは出来ない。
バレン公爵の力強い剣が、大きく弧を描く―――。
―――しかし、その剣はネルソン将軍の首を刎ねることはなく、弾き飛ばされた!バレン公爵に組み倒されたネルソン将軍が、死に物狂いの抵抗でバレン公爵の腰にある鞘に入ったままだった剣を抜き、バレン公爵が振り下ろした剣を驚くべき膂力で受け返したかと思うと、流れるような動きで公爵の体を力一杯蹴り飛ばしたのだ。予想外の反撃に、バレン公爵の体は後方に吹っ飛ばされる。
俺は戦慄した、今度こそネルソン将軍がバレン公爵に斬りかかるのではないかと。―――しかし、ネルソン将軍はバレン公爵から奪った剣を、ためらいなく自分の腹部に突き刺した―――!
「ネルソン!!」
蹴り飛ばされ倒れ込んだバレン公爵が、上体だけを起こし叫んだ。あっけに取られた俺達は誰も動けなかった。
「ネルソン、何故だ!!」
「……閣下……あなたの…お手を汚すわけには、いきませんから……。……お気づきですか……私は、初めてあなたから一本とれたのですよ…20年かけて、やっと……」
「しゃ、喋るな、ネルソン……!!私も共に逝く!!」
ごぼり、と血の塊を吐き出し、地面に膝をついたネルソン将軍にバレン公爵は涙ながらに駆け寄る。ネルソン将軍の腹を貫く剣を引き抜こうとすると、ネルソン将軍の手がそれを押し止める。
「……いいのです……戦場であなたに命を救われた時から、この命、忠誠は、全て、閣下に……。あなたは、私の……憧れであり……夢でした……。あなたが、我らを……そしてアルカディアをいつまでも、導いて下されば良いと……しかし、それは私の身勝手な、妄執だったのですね……」
「違う!!私は分かっていたのだ!!お前達の想いを!!最後まで私が責任を持って、お前達を導いてやらなければならなかったのに、私はその責任を放棄した、臆病者だったのだ!!」
「閣下……心より、お願い申し上げます……幸せになることを、諦めないで下さい……」
「逝くな、ネルソン、逝かないでくれ!!」
バレン公爵の涙の訴えに、ヒューヒューと荒い呼吸をしながら、ネルソン将軍はゆっくりと首を振った。
「閣下……ここで、お別れです。あなたの下で戦えて、私は幸せでした……」
バレン公爵は、何度もネルソン将軍の肩を揺さぶる。しかし―――ついに最期までバレン公爵に剣を抜かせることを許さず、ネルソン将軍はバレン公爵に傅いたまま、息を引き取った。
「ネルソン!!!」
バレン公爵が力を失い、姿勢を保っていられなくなったネルソン将軍の体を受け止める。
「ネルソン将軍……!」
「将軍……!」
「お一人では、逝かせません……!!」
ネルソン将軍の自決に、他の反国王派の上級騎士にも動揺が広がる。それだけではない、中には感化されたのか、後を追おうとする動きを見せる者もいた。
「やめろ、お前達!!!」
彼らの行動に動揺し青ざめたバレン公爵は、その彼らの剣を奪おうと丸腰のまま飛び掛かる。抵抗する騎士らとバレン公爵が取っ組み合いになり、もんどりうって倒れる。我に返った俺達も、バレン公爵に加勢しようと、動き始めたその時―――。
「―――やめぬか、お前達!!!」
ビリリと空気を震撼させる、落雷のような一喝と、同時に飛んで来た複数の矢が狙い違わず反国王派の騎士達の手を打ち、剣を取り落とさせた。
「テオドール閣下!!国王陛下、姫様まで!!」
―――振り返ると、そこには複数の兵士を連れたテオドール閣下、軟禁から解放された国王陛下、そして駆け付けて来たのだろうアレクス殿下と後方で待機しているはずのエメセシル様と、ルーシアの姿まであった。
「ネルソンは死んだ。お前達の反乱は失敗に終わったのだ、大人しく投降せよ」
有無を言わさぬテオドール閣下の眼光に、その場にいる誰もが動きを止めた。




