第二十一話 17歳 王太子の遺志
来賓室を後にしたエメセシル王女は、アレクス殿下を伴ってユリウス殿下の居室へと真っ直ぐに向かわれた。その後を俺とルーシアも続いた。各々がひどく緊張した表情で、王宮内の回廊を進んでおり、その間言葉を発する者は誰もいない。
俺も見知ったユリウス殿下の居室の前に着くと、入り口を警護する兵士らが戸惑った様子で俺達に反応した。
「エ、エメセシル王女殿下?!」
「どうされたのです、突然。王太子殿下は誰とも会わぬと、仰せられています」
エメセシル様はその兵士らの言葉に一度だけ視線を向けた後、しかし構わずに閉じている扉に声をかけた。
「お兄様、エメセシルです!お休み中のことと存じますが、失礼しますわ!」
そう言うや否や、直接扉の取っ手に手を掛け、自ら押し開いた。「うわっ、姫様?!」と兵士らの慌てふためく声が響くも、エメセシル様はもちろん、アレクス殿下も何のためらいもなく中へと歩みを進めた。俺とルーシアはやや躊躇するも、目を見合わせ頷き合い、やはり後に続いた。
「エメセシル王女?!」
やはり俺達を驚愕しながら出迎えたのはマクシミリアンだった。彼も数週間前に俺がここを訪問した時よりさらに疲れを溜めているように見える。目のあたりは落ちくぼみ、濃い隈が出来ている。
「マクシミリアン、ごめんなさい突然に。お兄様は寝室の方?」
「ひ、姫様、お待ち下さい!殿下は今どなたともお会いにならないと……!それに、この方は……?!」
マクシミリアンが焦って、直接続き部屋の寝室の方に進もうとされるエメセシル様の進行方向を塞ぐ。
「この方は、セイクリッド王国のアレクス殿下ですわ。……お叱りはあとから幾らでも受けますわ、もう私は、ただ人づてに聞く情報でしかお兄様を心配出来ないのは嫌なんです!!」
「悪いな、そういう理由だから、入らせてもらうよ」
ぐいぐい進んでいく王族二人に、さしものマクシミリアンも強硬手段に出ることも出来ず、押しのけられてしまう。
「お兄様!!」
応接室と、寝室を隔てる厚いカーテンを押し開き、エメセシル様は兄王太子の寝室に勢い込んで入った。
そこには、見るも無残に痩せこけたユリウス殿下がベッドに横たわっておられた。かつて、常にはっきりとした意思を宿しておられたエメラルドグリーンの瞳も、随分弱々しい光に変わっていた。
「……お兄様!」
そのあまりのやつれように、エメセシル様は小さく悲鳴を上げ両手で口元を抑えた。俺の横でも、ルーシアが鋭く息を呑む音が聞こえた。二人よりも先に一度容態を確認に来た俺ですら、ユリウス殿下のご様子に動揺を隠せなかった。
「……ユリウス、俺だ、分かるか?」
突然の妹と友人の来訪に、ユリウス殿下は驚いているのか、秀麗な眉だけが一度大きく動く。しかし、すぐに何かを判断されたらしく、目線だけで近くに控えている医師に何やら指示を与えられたようだ。ユリウス殿下に促され医師と侍従らが、丁重な様子でユリウス殿下の上体を支えながら抱き起す。ベッドの上で、腰掛けるような状態になったユリウス殿下が、弱々しくもかすかに微笑んだ。
「……驚いたよ。文を出して、たった3日で押しかけて来るなんて。エメセシルも……心配をかけて、すまない」
ひどくゆっくりと紡がれたユリウス殿下の言葉は、以前のように咳で遮られたりはしなかった。しかし、その声は老人のようにしゃがれていて、喉が完全に潰れてしまっていることを物語っていた。
「お兄様、お声が……!!」
ユリウス殿下の声音にエメセシル様が、悲痛な声で呟いた。そしてユリウス殿下のもとに駆け寄ると、その自分のとさほど変わらないほど細くなってしまわれた手をとり、両手で包み込んだ。
「お兄様……!」
「……来てくれて、ありがとう、アレクスも……、これで、遺言書を書く手間が、省けたよ」
「なんてことを仰るの、お兄様、お気をしっかり持って下さい!!」
眉尻を下げて、少し困ったように笑ったユリウス殿下の言葉に、エメセシル様は悲鳴を上げ兄の手をグッと握り締める。
「……残念だけど、もう、限界のようなんだ。視界もぼんやりして、いつまで意識を保っていられるかどうかも……」
「……そんな!」
「エメ、聞くんだ……、私が死ねば、お前が父上の後を継がなくてはならない。私には、私が学んだ多くの事をお前に伝える時間がない」
「いや……、お兄様、そんなこと、仰らないで」
「聞いてくれ……、病を得てから、私はずっと、そこのアレクス王子に、相談していた。これからのアルカディアの事、そしてお前の事を。彼は、私と考え方が近い。政治の事や、国防の事など、私がお前に教えてやれなかった知識を、彼は持っている。……他国の王族に頼む事ではないと、分かっているよ。でも、彼は信頼できる」
それまで、兄妹のやり取りを黙って見守っていたアレクス殿下が、静かにユリウス殿下の病床に近づいた。
「……お前の文をもらった時、最初は質の悪い冗談だと思ったんだ。少しくらい病をもらったとして、何を弱気になっているんだと、笑いに来てやろうと思っていた」
「……はは、ひどい、な。私の方には信頼がないということか」
「……信じたくはなかった。共に、それぞれの国をどう導いていくかお前と議論する時間が、楽しかったからな。お前がどのように俺に語った通りの治世を成していくのかと、楽しみにしていた。俺自身、第二王子とはいえどのように我が国に己の力を活かせるかを考える、良いきっかけとなっていたんだ」
「それは、良かった」
アレクス殿下の硬い表情に、ユリウス殿下は柔らかく口元をほころばせる。何もかも、対照的な二人だ。だが、その間に固い友情が築かれていることは、誰の目にも明らかだった。
「……頼めるかな?エメを」
「………他ならぬお前の頼みだ。どんな形であれ、俺の最善を尽くそう」
アレクス殿下の言葉に、ユリウス殿下は満足そうに目を細められた。その様子を、涙を堪えながら、エメセシル様が見つめていた。
「……少し、疲れたようだ。……眠ってもいいだろうか、皆がいる今なら、気持ちよく眠れそうだ……」
かすれたユリウス殿下の声に、皆がハッとなった。エメセシル様の手が、可哀そうなくらい細かく震えだす。
「お、おにい、さま。まっ……て、まだ、はやい、でしょう?」
縋りつくエメセシル様の頭を、ユリウス殿下は愛おしそうに撫でた。いや、とでも言うように、エメセシル様が首を振る。
俺達の背後で、鋭く息を呑む声が聞こえた。振り返ると、目を大きく見開き、悲壮な表情でマクシミリアンがユリウス殿下とエメセシル様を見つめていた。
「殿下……!お願いです、お気を確かに持って下さい……!!俺は……、俺は……!!」
ひどく狼狽した様子で、言葉も上手く繰り出すことの出来ないマクシミリアンにも、ユリウス殿下は手を差し伸べた。
「マクシム……今まで、私に良くしてくれて、ありがとう。感謝しているよ……妹を、大切に」
「殿下っ……!!」
マクシミリアンは堪らずに滂沱の涙を流し、ユリウス殿下の手を取り、跪いた。その様子を、ユリウス殿下は優しい顔で見たあと、再びエメセシル様へ視線を向けた。
「エメセシル……、王族である誇りを、その使命を忘れてはいけないよ。私はいつでもお前の傍にいる。どんな時でも、毅然としていなさい」
「おにい、さま……!」
そして、今度はその場にいる人間全てにユリウス殿下は目線を巡らせた後、やはり穏やかに微笑まれた。そして、一言、「ありがとう……」と。
優しい面差しの王太子は、すうっと、吸い込まれるような自然な仕草で瞳を閉じた―――。
彼の最愛の妹は、その体に突っ伏し、泣き崩れた―――。




