5.5─VI
世の中には互いの関係が非常に険悪なことを示す言葉として、「犬猿の仲」や「水と油」、「ハブとマングース」といった言葉が存在している。
何れも、互いを相容れない存在と認識して対立し、隙あらば互いに互いの寝首を掻こうとするような関係性、といったような意味合いが込められている。
そしてそれは、アストリッドとマックスという、二人の人間にも当てはまる事であった。
「あらあら、誰かと思えばマックスさん、おはようございます。昨夜は思わず叫ぶ程嬉しいものがベッドに置かれていたんでしょうね」
朝七時、屋敷の廊下で正面から歩いてくるマックスを視認したアストリッドは、昨日水浸しにされた仕返しが見事に決まったため、とてもいい笑顔を浮かべてそう言った。
「おう、そういうお前は誰かと思えばアストリッドお嬢様。響いたぜ、お前の仕込んでくれたプレゼントはよぉ」
だが、マックスも負けてはいない。「お」の部分をわざと強調し、皮肉たっぷりに反論する。
事の真相はこうだ。アストリッドは昨日、このマックスという男から嫌がらせを受けた。
それが最初の一回目であれば、まだ関係修繕の為に引き返せたのかもしれない。だが、マックスによる魔法を使用した嫌がらせは、アストリッドが弟子入りし、一気に頭角を現し始めた頃から継続的に行われているのだ。
最初の数回は目を瞑っていたアストリッドだったが、我慢の緒が切れるまではそう長くはかからなかった。
そして今回の仕返しは、別段特別な事は何もしていない。ただ庭や道端に転がっていた死にかけの蝉やその死骸を、マックスのベッドに仕込んでおいたのである。
……ガイアが転生する前の現代世界であれば、到底十五歳同士の会話とは思えぬ内容である。
しかし、この世界の一年は480日もある。つまり、年齢別の身体の成長は異世界の年齢の人間と大差ないが、過ごした日数が異なる都合上、精神年齢の成長は年齢を基準に比較すると差異が生じる、という事である。
「よくあんな手間のかかるもん用意できたな。都会派の俺にゃあ到底出来そうにないぜ」
「お褒め頂き光栄の至りね。一々委縮しているようでは、地方貴族は務まりませんもの」
「成る程成る程、それは感心だ。けどよ、整理整頓が出来ねぇってのは上に立つ者としちゃあ頂けねぇんじゃねぇか、汚嬢様よ?」
「私はどこに何があるか全て把握していますの。それに比べて、死にかけの虫一匹素手で掴めないなんて、男の子の風上にも置けないんじゃありませんこと?」
ははは、おほほと笑いながら、廊下で二人は互いに歩み寄る。
そして──互いに目と鼻の先の距離まで近づいたところで、マックスはアストリッドの鳩尾に拳を、アストリッドはマックスの弁慶の泣き所に靴越しの蹴りを入れていた。
「黙れ、そして腐れ。兄弟子より優れた弟妹弟子なんてうざってぇだけなんだよ」
「その"うざったい私の顔"を作らざるを得なくした張本人がよくそんなこと言えるわね。その本性、どれだけ腐ってるのかしら」
眉が若干震えつつも、二人は決してその苦痛を表に出そうとはしない。
何故なら、もし少しでも気を許せば、それは相手に付け込まれる隙となるからに他ならない。
しかし──
「あら、マックス君にアストリッドさん、おはよう」
「あ、おはようございます」
「私も今、丁度マックスとも挨拶したところだったんですよ」
背後に人の気配を察知した瞬間、二人は屋敷の使用人が声を掛けるまでの僅かな時間で剥き出しにしていた矛を隠し、先程までとは打って変わって"笑顔で挨拶していました"という呈を装っていた。
何故そんなことをするのかと言われれば、決まっている。まだ二人が対立を初めて間もない頃、一度だけその様子を使用人に見られ、その使用人がゼノンに報告をしたところ、凄まじい剣幕で怒られる羽目になってしまったのだ。
そして、「あと二回同じようなことがあれば二人とも破門にする」というゼノンお手製の契約書にサインをさせられていたのだ。
そしてそれ以来、二人の間には暗黙のルールが作られた。
一つ。人前では絶対に対立しない事。
一つ。人に聞かれても絶対に何かあったと悟られない嘘を言うこと。
一つ。相手から仕掛けられた悪戯の痕跡は、仕掛けられた側が始末すること。
……最早ここまで来ると、一周回って仲良しでは無いだろうかと勘ぐってしまうほどに、二人は激しく対立していた。
しかし、その仲が悪いようで良いようで本当に悪い二人の関係は、その半年後に紙の量産体制が完成しても、一向に改善されることは無かった。
──しかし、その水面下での激しい争いは、ある時期を堺に一気に収束することとなる。




