2─IX
"炙り大肉三枚ねぎだく汁ちょい"。
そのコールを発した人物がミラであるという斜め上の現実に、ガイアは自身の対人会話術を以てしても、その戸惑いを隠すことが出来ずにいた。
「「……あ」」
すると、ばっちり二人は目が合ってしまう。
ミラはみるみるうちに顔を真っ赤にさせ、ガイアに必死に説明しようとする。
「い……っ、今のは、その……!
何と言いますか、余程の常連さんか従業員さんぐらいしか知らないまかないメニューだとかそんなことは無いんですよ!?
フツー! ごくごくフツーの注文なのですよ!?」
それでは、注文がフツーではないと言っているような物じゃないか──。
内心そう思いこそするものの、ガイアはわざわざ心の傷を抉るような真似はしない。
ミラの心境を慮り、当たり障りの無い言葉を慎重に選択し──返す。
「ミラ先輩、俺もたまには甘ーいスイーツとか、そういうのが恋しくなることがあります。
だから、変だなんて思いませんよ。ちょっとコールが長いのにビックリしただけで……」
「………………」
しかし、ガイアに対してミラは疑いの目を向けたまま、何も喋ろうとしない。
沈黙が二人の間に訪れ、気まずい時間がやたらと遅く過ぎて行く──そんな錯覚に陥りそうになった、その時。
「お待たせしました! 牛丼並、Cセットのお客様!」
はつらつとした従業員の声に、ガイアは助かった、と内心安堵する。
はい、と軽く挙手をしたガイアの前に、牛丼+漬物と味噌汁が乗せられたお盆が置かれる。
そして、その直後に別の従業員が奥から現れ、盛りに盛られたそれを運んでくる。
「牛丼大、炙り大肉三枚ねぎだく汁ちょいのお客様!」
(う、お……)
はい、と挙手したミラの前に置かれたのは、並の三割増しである"大盛り"の牛丼。
そこにあの長いコールで色々と手が加えられたその全貌に、ガイアは思わず息を吞む。
肉を少な目にされた具の上に炙られた大きな肉が三枚重なり、更にはこれでもかと言うほど山盛りにされたネギ、ネギ、ネギ、ネギ。
その具を下から支えるご飯にかけられたつゆの量も"ちょいだく"となっている為、ご飯の白色の部分は、ほぼ無いと言って良いだろう。
そして、肝心の注文者であるミラはと言うと、先程までの疑うような視線はどこへやら。その瞳をキラキラと輝かせ、ビースト特有の敏感な鼻で、注文した牛丼の香りを愉しんでいる。
ガイアは従業員のまぐれのタイミングに感謝しつつ、箸立てに刺さっている箸を二本取り出してお盆に置くと、合掌して「いただきます」をする。
そして、ガイアはその箸を取らず、料理が乗っているお盆の向こう──「七味」と書かれた調味料入れの蓋を開け、専用の小匙で真っ赤なソレを具の上に山盛り二杯分、ふりかける。
「……っ!?」
右隣からやや驚いたような声が聞こえたが、ガイアはかつて元いた世界の牛丼屋でやっていたのと同じ様に、今度は紅生姜へと手を伸ばす。
いつもその量が物足りないと感じているガイアは、専用の小さなトングを使い、掴める限りの紅生姜をどさっと具の上へ。
「~~~っ!!??」
それを二回行ったところで、またしても右隣からの息を吞むような声。
その声の主が身体をぷるぷると震わせている事に気付かぬまま、盛り付けをしながらミラとの会話の話題を模索するガイア。
そして、ビンに入れて置かれているサラダ用のしそドレッシングを牛丼に掛けようとしたタイミングで浮かんだ話題を使い、隣のミラに話を──
「そう言えば、ミラ先輩のそれ、コール何でしたっけ。
確か、炙──りぼんっ!?」
話を──振るための肝心な言葉を出そうとしたところで、ガイアの右側の頬に、それはそれは見事なグーパンチがめり込んだ。
あまりにも突然の出来事に、ガイアは座っていた席からずり落ち、床に尻餅をついてしまう。
そして、その手に持っていたドレッシング用の匙とそこに掬われていた液体は、その衝撃によってあっさりと空中に飛散し、一滴も牛丼に掛かること無く落下する。
ガイアは訳が分からぬまま、その拳が飛んできた方向へと視線を移す。
すると、そこには殴った拳が痛むのをよしよししながら、憤怒の形相でガイアを睨みつけるミラの姿があった。
そして、未だ状況が理解できずにいるガイアに、ミラが怒りを露わにした声でこう言った。
「分かってません……。ガイアさん、あなたは全然分かってません!!」
「え? ……え!?」
お昼時に訪れた他の客達や従業員の視線が、なんだなんだと一斉に二人へと集まる。
だが、ミラはそんなものを一切気に留める様子はなく、先程までの気弱な面はどこにも感じられない。
それは、怒りと悲しみに満ちた者の目つき。
そして、ガイアが何か言わんとする前に、ミラはその口から怒りの文言を垂れ始める。
「紅生姜と七味までは大目に見ます……。
でも、我慢の限界です!! 最後のそれは何ですか!? 牛丼にドレッシング!? ふざけないで下さい!!
牛丼という料理に込められたお店の皆さんの努力を全部台無しようだなんて真似がよく出来ますね!!」
その先程までと似ても似つかぬ勢いの人物に、ガイアは混乱する。
しかし、そんな様子など知ったことかと言わんばかりに、ミラの熱弁は勢いを増す。
「いいですか!? そもそも牛丼の具という物はですね! 厳選した脂身の少ない牛肉をタマネギと一緒に赤ワインで何時間も煮込み、一晩寝かせる事によって更に味を馴染ませているんです!
でも、当然こだわっているのは具だけじゃありません!
ご飯だって、上から汁気の多い具をかけることを前提に、お水を少なくして少し固めに炊いているんですよ!
そしてなにより、ご飯の上に具をかける技術! タマネギと牛肉のバランスによる彩り! 多すぎず少なすぎない汁加減!
その全てが合わさって、初めて牛丼は完成するんですよ!!
そんなお店の皆さんの苦労が詰まった一杯を、それ以上台無しにしようと言うのなら──」
そこまで言って、はた、とミラの動きが止まる。
冷静になって、ふと周囲を見渡すミラ。
目に付くのは、ガイア、お客、お客、従業員、お客──。
その場に居る全員の呆然とした視線が、ミラへと注がれていた。
「……あれ? 私……、今、一体何を……?」
沈黙が訪れたが故に、その小さな声はやけにはっきりと店内に響く。
そして、ミラはその冷静になった頭で自らの行動を振り返り──瞬く間にその顔面が真っ赤に染まる。
「その……、お騒がせしました……」
深々と頭を下げると、目を丸くしていた店内の全員も頭を下げる。
呆気にとられていたガイアも正気に戻り、ズボンに付いた埃を払うと、申し訳なさそうに席に座った。
そして改めて手を拭くと、牛丼を細々と食べ進めながら、小声でミラに謝罪を行う。
「あの……先輩、本当に申し訳ありませんでした……」
「いえ……、私の方こそ、ついカッとなっちゃって……。
食べ方なんて人それぞれなのに、偉そうに説教なんてしてしまって、申し訳ありません……。
その、基本一人きりでこっそり食べに来ることしか無いので、つい……」
先程までの剣幕はすっかり息を潜め、ミラも癇癪を起こしてしまったことについて謝罪する。
そして、そのミラの怒りについて理解できないガイアではない。
「いえ……。でも、それだけこのお店の味に自信があったって事ですよね?」
「……はい」
ほんの少し間を置いて、ミラは小さな声でそう答える。
「それだけ、牛丼という料理を愛しているんですよね?」
その問い掛けに、ミラは黙ったまま、小さく頷いた。
そして、とうとう耳まで赤くなったミラは、ガイアに言う。
「あの……、今日のこと、皆さんにはどうか内緒に……」
「ええ。ミラさんの牛丼好きも、カッとなっちゃった件も、バラしませんよ。第一、他人に話すようなことじゃありませんし」
久々にドレッシングが掛かっていない味を噛み締めながら、ガイアは静かにそう返すのだった。
慮る:よくよく考える事。




