第二章 簒奪者対反逆者 その⑦
「な、なんだっ!?」
驚愕にわななく声が中庭の各所でかさなりあがる中、ふたたび生じた轟音が人々の鼓膜をたたき、あらたな火柱がまたしても夜空を衝きあげた。
「み、見ろ、また爆発したぞっ!?」
「あれは東の館のほうだぞ!」
空に冲する猛火のありさまは、むろん露台のリンチからもはっきりと確認できた。
さすがに剛腹をもって自認するジェノン王国の覇王も、突如として生じた原因不明の爆発と猛火を前に声と顔色を失っていた。
「ギュ、ギュスター、いったいなにごとだ、これは!?」
たまらずリンチは屋敷の所有者にうわずった声を投げつけたが、返答はなかった。
それも当然で、自身の権勢と富の象徴ともいうべき屋敷が炎上する光景にほとんど喪心していたので、リンチの声など鼓膜にもとどいていなかったのだ。
「ひ、火を消せ、水場から水をひくのだ!」
鎮火をうながす声が警備兵の中からあがった。
それまで彼らは自分たちの主人同様、茫然自失の態で噴きあがる火柱をながめていたのだが、三度四度と爆発音が鼓膜をたたいたとき、彼らは自己を回復し、さすがにぼう然としている場合でないことに気づいたのだ。手にする剣や槍をその場に投げ捨てて、兵士たちが次々と中庭から駆けだしていく。
「ば、ばか者、叛徒どもをほうっていく奴があるかっ!!」
駆けだしていく兵士たちに狼狽の声を投げつけたのはフロストである。
まるで「屋敷などほうっておけ!」とでも言いたげな近衛隊長の物言いに、おもわずむかっ腹を立てたギュスターがなにごとかを口走ろうとしたとき。かさなりあう怒号のようなものがどこからともなく聞こえてきた。
その声に驚いた警備兵たちが足を止め、中庭の一角に視線を投げつけたとき。彼らは声のかわりに左右の眼球をとびださせた。
それも当然で、剣や槍を手にした男たちの群が突如として建物の陰から出現し、そのまま中庭へとなだれこんできたのだ。
「いけっ、侯爵さまをお救いするのだっ!」
「な、なんだ、あの連中はっ!?」
ふいにあらわれた武装集団の姿に「わわっ!」という警備兵たちの悲鳴がかさなった。
それは何十人という数であった。
男たちは武器を手にしているものの甲冑の類はつけておらず、かわりに薄汚れた灰色の囚人服のようなものを着ていた。
彼らは靴すらも履いていなかったが意に介することなく素足のまま芝の上を疾駆し、突然のことにあわてふためく警備兵の群に猛然と斬りこんでいった。
駆けぬけざまの一撃で頭をたたきわり、逃げだすところを背中から胸へ剣刃を突きとおす。
男たちの猛り狂う剣が薄闇の中を一閃するごとに血しぶきと絶鳴があがり、斬りつけられた警備兵たちが一人また一人と地面に死傷体となってくずれおちていった。なにぶん屋敷の消火にむかうために武器を捨ててしまっていたため、応戦することも防御することもままならなかったのだ。
この男たちの正体はライエンで活動していたところを捕らえられ、警備兵団屯所の地下獄舎に収容されていた義勇軍の兵士とその支援者。さらには無実の罪で投獄されていたライエン市民である。
日頃、獄舎でうけていた拷問の恨みをぶつけるかのように、逃げまどう警備兵たちに追いすがり、とびかかり、斬りたて、兵士たちを次々と血まみれの肉塊とせしめていった。
その恨みの矛先は露台のリンチたちにもむけられた。
数人の矢手が露台に立つ国王に狙いをさだめ、矢を撃ちこんだのだ。
命中こそしなかったものの閃光となって撃ちこまれてきた矢の群に、おもわずリンチはのけぞるように露台の中にひっくりかえった。
「な、なにごとだ、これは!? 奴らは何者だ!? いったい、どういうことだ!?」
錯乱したようにリンチはわめいたが、むろん答えられる者など誰もいない。
ギュスターもフロストも近衛隊の騎士たちも、皆、困惑の態で押し黙っている。
ただひとつたしかなことは、謎の爆発と正体不明の武装集団の襲撃をうけて、自分たちの身が危険だということだった。
まるで発狂でもしたかのようにわめく国王を抱きおこし、フロストが進言した。
「とにかく、陛下。ここは危険にございます。いますぐに退避を!」
「こ、小せがれはどうするのだ!? 奴を殺さねば予の気が……!」
リンチのわめき声がふいにとぎれた。あらたに生じた爆発音にかき消されたのだ。
今度の爆発は本館近くの建物で発生し、強烈な爆風をうけて露台がごうとゆれた。地上からまたもしても矢の雨がふりそそいできたのは直後のことだ。
とっさに王の盾となって矢撃をうけた数人の近衛兵の悲鳴がかさなり、血しぶきが露台内にとびちった。
苦痛のうめき声を漏らす部下たちを横目で見やりつつ、フロストがさらに叫ぶ。
「屋敷内にとどまられていては、陛下をお守りすることはかないません。いまは御身のことだけをお考えください、陛下!!」
近衛隊長の進言をうけいれるだけの理性が、まだリンチには残っていた。
屍蝋のような表情で起きあがり、地上での乱戦に血走った視線を投げつけると、リンチはぎりぎりと上下の歯を噛みならした。
「お、おのれぇ……あと一歩というところで……!!」
顔を真っ赤にして激情に身をふるわせるリンチであったが、幾度めかの矢の雨がその身をかすめると、ふたたび蒼白顔になった王はあわてて露台から姿を消していった。
†
「侯爵さま、いずこにおわします!?」
悲鳴と乱刃と血しぶきとが交錯する中庭を、腰までのびた漆黒の長髪をはげしくゆらしながらハンナが駆けてきた。
立ちはだかる警備兵を手にする小太刀の露とせしめること幾数回。前後左右にあわただしくうごいていたハンナの視線がやがて一点に固定された。
中庭のほぼ中央。数名の義勇軍兵とともに、ランベール伯爵と負傷したロベールを守るように剣刃をふるうフランシスの姿があった。
驚喜したハンナはその周囲に群がっていた警備兵をことごとく斬りふせると、フランシスの前に駆けより、ひざまずいた。
「侯爵さま、ご無事でございましたかっ!?」
「おおっ、ハンナではないかっ!」
足もとにひざまずく女性兵士の姿が、フランシスにはこのうえなく頼もしいものに見えた。
ハンナの衣服はこびりついた人血によって赤く塗装されていた。それが敵兵のものばかりでないことはあきらかである。どれほど苦労してこの場にたどりついたかがうかがい知れた。
「ああ、私は大丈夫だ。しかし、あの爆発はいったいなんだ。あれもハンナたちの手によるものなのか?」
ハンナは頭をふり、
「いいえ。あの爆発は、ある御方が仕組まれたものにございます」
呼吸をととのえながらハンナが説明する。
計画を見ぬかれ、敵兵に包囲され、窮地におちいった自分たちを敵の手から救ってくれたその人物は、その場において驚くべき提案を口にした。警備兵団の地下獄舎から仲間の兵士を解放し、彼らとともにあらたな戦いに挑め、と。
屋敷に爆発物をしかけ、攻めいる隙をつくってやる。それから先のことはすべて神の御心によるものだ。それだけ言うと黒い覆面頭巾で顔を隠したその人物は、自分たちの前からこつぜんと姿を消した……。
ハンナの言葉を無言で聞き入っていたフランシスは、やがて得心したようにうなずいた。
「そんなことがあったのか……しかし、その人物はいったい何者なのだ?」
問われたハンナはうつむき、ゆっくりと首をふった。
「わかりません。覆面頭巾で顔をかくしておりましたので、私も仲間たちもその素顔を見ていないのです。ただ、おそるべき手練れの……」
「ハンナ!」
ふいにフランシスが叫んだ。ハンナの背後から一人の警備兵が斬りかかってきたのだ。
せまりくる敵の存在と殺気をすばやく察知し、ハンナはふりむきざまの一刀をはなった。
悲鳴と血しぶきをとばして横転する兵士を一瞥したのち、ハンナはフランシスにむきなおった。
「ともかく、いまはこの場からはやくお逃げくださいまし!」
「いや、だめだ!」
激しく頭をふって拒絶するフランシスに、ハンナはおもわず目をみはった。
ハンナ自身、これまで見たことがないほどの苛烈な光が、若き指導者の両眼にあった。
「これこそ天があたえてくれた千載一遇の好機。いまをおいてリンチを、あの簒奪者を討つことはかなわぬっ!!」
「こ、侯爵さま……」
決意の炎が若き指導者の両眼に燃えあがるのを、ハンナはじっと見ていたが、やがて呼応の意を面上にたたえてハンナはうなずいた。
フランシスもうなずきかえし、近くにいた義勇軍兵にランベール伯爵とロベールの警護をまかせると、自身は長剣を片手に猛然と中庭を駆けだしていった。
わずかにおくれてハンナも駆けだし、さらに数人の兵士がそのあとにつづいた。




