瞬間のつみかさね
山頂には沢山の碑、仏像が点在している。講の者たちはひとつひとつ参りながら、その石造たちの説明をしてくれた。中央の噴火口には大日如来が祀られていた。
その時代、本地仏は大日如来であったのだ。
富士山のご本体は数々の変遷を経てきた。時代によって形態が変わったり、加わったりする。不動明王・大日如来・天照大神・浅間大菩薩・赫夜姫・木花開耶姫命という、祭神の系譜を辿れる。
しかし、大方において女神として示現しているのが興味深い。
自由行動になり小夜は、仲間たちに話しかけた。
「ほんにここまでこられて夢のようじゃの」
旭も嬉しそうに何度もうなずいた。
「はい。小夜さまにお連れしてもらわねばきっと一生来れなかったでしょう。ありがとうございます」
それは龍才も同じだった。
富士は下から見るものだった。旅道中では役目があり山に登る余裕などなかったのだ。
「もう思い残すことはないかもしれません。大日如来様の懐に抱かれている気がいたします」
「旭、そこまで体得したのに、死ぬのはもったいないであろう。それを何かに役立てよ」
「役に立てる? ですか?」
今まで命令をきくことしか知らなかった旭は、首をかしげた。あかりも同じ顔をしている。
「まずは自分のために役立てたらどうだ?」
龍才が横目で旭を見た。
「自分のため? どうやって?」
龍才に偉そうに言われたのが不服で、目を細める。
「そんなこと自分で考えろ」
「そう言うおぬしこそ本当は分かっておらぬのではないのか」
「おれは何となく分かった」
そう言ってふん、と腕を組んだ。
「それなら、教えろ」
「ったく…… あのな、おぬし、大日如来様に抱かれた感覚がするって言ったろ。それを忘れず生きれば自然といい道がひらける、ってことじゃないのか」
「そんな曖昧な言い方じゃ分からん!」
「じゃあ、聞くなよ」
龍才の意地悪に旭はきーっとなった。
「小夜さま、何とか言ってやってください!」
その言葉をうけて小夜はちょっとだけ間を置いてから口をひらいた。
「そうだの。体感が大事ということではないか? よく念仏を唱えるが、あれは旭が感じた大仏如来様を感じられることに通じるからではないか」
「はあ……」
「もっともっと感じなければいけない。人間というのは忘れやすいからの。というわけで、長崎に行くのは、もう目的でなくなった」
「ええー?!」
小夜他、三人が同時に声を上げた。
「ど、どうしてですか」
「どこへ行くのです?」
先の言葉は旭、後の台詞はあかりのもの。
「いや、一応長崎には向かうのだが……目的地はどうでもよくなったというか……体感する心の修行? いや、遊びをしたいと思ってきた」
小夜はいたずらをする子どものように笑った。
「行く道々で発見するもの、名所もよいだろうが、有名でない土着の信仰や祭りを体感してみたい。ここに登る前に行った女の胎内潜りなど、面白いと思わなかったか」
「面白かったです」
あかりは笑ったが、旭と龍才はよく分からない、という顔をしていた。
女の胎内潜りとは、溶岩で出来た狭い洞窟を通り抜ける行為で、安産や再出産、を象徴するといわれている。
「あれは狭くて体が抜けなくなるかと思いましたよ……」
体格のよい旭はひきつった顔で答えた。
「そ……んなに面白いものとは思いませんでしたが……」
龍才も同感であった。奈落に続くような洞窟は不気味で、修行者でなければ何を好んで入りたいものか。
「それでいいのだ。その時感じたことが、そのまま自分なのだ。女胎内の洞窟でどう感じたか、を自覚すれば自分というものが分かるであろう。いや、だな、と思ったのならなぜ嫌なのか、体が抜けなくなる、なら狭さというものを感じればいいのだ。それ、旭、今はどうじゃ、一面何もないのだぞ」
そう言われて辺りをみると圧倒的な天がどこまでも広がりどこまでが自分なのか分からなくなる。足の下を雲が流れていく。風が全身に吹きつける。
真っ暗で狭い洞窟と、全面どこまでも広がる富士の山頂。どちらもこの世のものなのだ。
「違いが大きすぎる。何なんでしょう……空間とは」
旭はぼんやりと答えた。
洞窟と山は、下降と上昇の最たるものであった。人の人生も、真っ暗に思えるときあり、幸福を感じるときあり。いったいそれはどういった感じを持ったときだろう。
「そういうふうに感じることがこの旅の〝みそ〟だ」
「はあ」
不承な顔する旭にあかりは笑った。
いちばん小夜の言うことを理解していたのは、あかりだった。
――手と手をつないで、いっしょに行こう――
あの歌なのだ。
高遠藩の上屋敷に押し込められていた時聴いた、子どもたちの歌。なぜかあの時すっと心に入ってきた。般若心経も頭を整理するにはよかったが、なぜか、あの歌のほうが心に
しみいった。
だって、わたしの幸せは愛しい人と手と手をつないで、歩いている瞬間、瞬間を感じることだったから。
その手がちょっと多くなってしまったことが計算ちがいだったけど。
こういった計算違いは大歓迎。
この手がもっと、もっと増えていけば、もしかしたら、この世は幸せになるのではないのか。あかりはちょっとだけ夢想家になってみた。
小さな子どもは一番気力がある。だって、あの小さな手できゅっとされたら心が温かくならない人はいないから。だから、小さな子どもたちにまず手をつないでもらって、その友達、兄弟、そして大人たちが徐々に参加していく。
山を越え、村を過ぎ、関所もなくなって日本中の人が手をつなぐ瞬間を……夢想したら、ものすごく幸せな気分。泣きそうに嬉しくなった。
――そう、だから感じることが大事――
嬉しい。
いま、この瞬間が。
真っ青な空を背景に、あかりは小夜に微笑んだ。
小夜も笑顔を返す。
あかりは走って龍才と旭の手を取った。
右手に龍才、左手に旭。
「さあ、いっしょにいくぞー」
両手を高くあげた。
きょとん、とするふたり。
「がんばるぞー」
「お、おお……」
「声が小さーい。もういちど!」
「がんばるぞー」
「がんばるぞー!」
「楽しむぞー」
「楽しむぞー」
「楽しいぞー」
「楽しいぞー」
最後のセリフはノってきてふたりは大声で叫んでいた。
本当に楽しかった。
そして。
そんなあかりを小夜は強く抱きしめた。
(完結)
【あとがき】
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
またまたもって、途中で計算外の日常が起こり本当に完成するのか、と心配なりました。
(次回からは、もう少し余裕を持ってUPすることにします)
しかし、しっかり作品にその時の自分を入れていく、というのが、ころんでもタダでは起きない、物書き?の習性なのでしょう(笑) 常に日常とリンクしながら作品は進んでいきました。
今回のお話しは「新しい時代」を迎える「不安」と「個人の葛藤」を描いたものになっております。大きく意識を変えなければならない時代が動くとき、人は不安を感じ(私だけ?)どう生きていいか戸惑います。
「このままではいけない」
そう思っていても、なかなかどうしたらいいか分からなくて……
小説の中の小夜は、めちゃくちゃにやってくれます。普通は出来ないであろう事をやってくれる、というのが、小説の醍醐味です(笑) (小夜は好き勝手言うし……家賢と龍才が可哀相になってきます。あ、江川さんも被害者だな)
そんな被害者を出しつつも、小夜は気兼ねしません。自分の信念を貫こうとしたら、人に迷惑かけるのは当然だからです。他人は他人の信念がありますから摩擦が起こってあたりまえ、と思っているんですねー。これはあかりも同じです。
小夜とあかりは、もうひとりの自分です。小夜が知性を、あかりが愛を、お互いに分け与えながら補完しあう。名前も〝対〟になっております。
お互いが影響しあうことで、色んな波紋を起こしていく。それがまた色んな波紋を起こし……やがては少しずつ、世界も変化していくのでしょう。少し書きましたが、仏教の〝縁起〟なるものになるのでしょう。
ひとり・ひとりの行動、考えはそのまま宇宙に反映されていく。ひとりひとりが宇宙の創造者なのだと。
では、どう行動したらいいか。そういった悩みを後半のテーマとしております。小夜の生立ちを振り返りながら。感じること、という言葉が何度も出てきます。
富士山を登るのも〝感じること〟の一環だったのです。そこで旅の形が変化します。
〝感じること〟はとても大切です。考えることも大事ですが、宗教や哲学、精神世界では、感じるがないがしろにされている傾向があります。
もちろん、瞑想やイメージ法なども発達していますが、それはどちらかというと体を滅して、精神を高めることです。
わたしの示す〝感じること〟はあくまで五感を使って感じるものなのです。五感を使って感じる「幸せ」を集めていきましょう、と。いうことです。それは資本主義に洗脳された「欲望」ではなく、「自然」の一部としての「快感」。
さてさて、【あとがき】が長くなってはいけません(じゅうぶん長いですが)
ここまで読んでいただいた方には、本当に感謝をしております。
どうもありがとうございます。
とても、とても感謝しております。
2011年12月13日 かなこ