万里小路の思い
「と、とにかく時間をかせごう。そなたの身の潔白を証明するまで……それまで少し辛抱するのじゃ」
「上様……」
あかりは何も言えなくなった。自分の身は潔白などではない。それを信じている家賢の誠実さに悲しくなった。
「わたくしは大丈夫でございます。上様、そのようにお嘆きになってはいけません」
「そなたは殺されようとしておるのだぞ」
「仕方ございませぬ。それもさだめなら」
「そのようなさだめは許さぬ。このまま死ねばそのほうは大逆賊として語り継がれる。それが余には我慢ならん」
その表情には、生まれついての誇りの高さがあった。自分に連なる者たちへの誇りでもあるのだろう。
「横井の父にも類が及ぶのでありましょうか」
「今は藩の意向で自宅蟄居になっておるそうだ……」
家賢はうなだれるように下を向いた。懲罰は確実であろう。自分への実刑が確定しないことにはどうなるか分からないが、下手をすれば一族として処刑、よくて切腹か。家は断絶であろう。
養父・横井 定利。ほんの数年であったが養父となった男はどうなるのだろう。そして、黒川藩と水戸藩はどうするのか。自分の失態が今になって大きな影響を与えている、という事実にそら恐ろしさを感じてきた。
「あと万里小路は京にかえすことにした」
「万里小路さままで?」
失脚なのか。
「なぜでございますか? 万里小路さまはわたくしをただ、大奥に入れてくださっただけです」
「それだけならよかったのじゃが……少し乱心しおったのだ」
「乱心?」
「御台所の墓を荒らしたのだ」
あかりには全く意味が分からなかった。あの冷静で口のたつ万里小路が御台所の墓を荒らす? 想像が出来なかった。
家賢は、はぁ、と大きくため息をつくと、よほど疲れていたのか、牢の前に腰を下ろしあぐらをかいた。
「万里小路が死んだ御台所、教子に京都から着いてきたのは知っておるな。あれは教子の乳姉妹で姉のようなものだ。ふたりは心底に信頼しあっておってな、教子が死ぬとき『京に帰りたい、父母に会いたい』と言うの聞いて、骨を京都に埋めてやろうとしたのだ」
徳川に嫁ぎ、御台所となれば一族の墓に入ることしか許されない。しかし、その話がなぜ自分の事件と関係があるのか、それが分からなかった。
「そなたと類ある万里小路は自分に嫌疑が及ぶのでは、と取り乱したらしい。自分がそなたのように捕まる前に、骨をもって京へ帰ろうとしたのだ」
そう聞いても、あかりはやはり納得いかなかった。そもそも、なぜ黒川藩からの頼みを聞いて、自分を大奥に入れたのか、が分からない。
いや、ちがう。反対なのだ。京都に骨を持って帰りたい、という願いが先だ。もし、自分が御台所の骨を持って帰りたい、としたら、どうするだろう。徳川の墓からは決して出られない。と、すると……大胆な発想しか出てこなかった。
――徳川幕府がなくなればよい――
そうだ。幕府がつぶれれば帰れる。なんという不可能な願いであるか。しかし、それしか出てこなかった。
もちろん、本気で幕府転覆を、しかもひとりで出来るなど思ってもいなかっただろう。 が、水面下では幕府の抵抗勢力があり、それを密かに応援することは可能だ。あかりは万里小路の熱い思いを知った。
「あまり気にするでないぞ。万里小路は本当に少しおかしかったのだ」
だんまりと考えこんでいたので誤解を与えたらしい。万里小路のことに責任を感じていると思われていたのだ。
「万里小路さまにまで多大なご迷惑をかけました」
「あやつも生まれ故郷の京に帰れるのだ。御台の髪と共にの。そんなに気に病むな。人のことより自分のことを考えよ。そなた……」
家賢は急に悲しそうな顔をした。そして牢屋の部屋入り口を気にしながら、格子の間からあかりに手を差しのべた。
「手を握ってくれ。そなたを本当に愛しく思っておったのだ。本当に、そなたまでいなくなってしまうのか」
「上様」
あかりは泣きながら手を握った。何度も上様、と繰り返しながら、その暖かさを感じていた。
家賢のことは好きだった。政治的なことがなければ本当に愛せたのかもしれない。
――水戸のお殿さま、親方、あかりは本当につろうございます。お役目は果たせませんでした。死んでお詫びをしたいけれど、それも出来ません――
自害をして、さらに家賢や月島を悲しませること、は出来なかった。
――月島さまは、わたくしの文を待っておられるのに……どうしよう――
この先どうなるか、全く分からなかった。