義兄弟の日常
夏のホラー2024で投稿した「顔のない怨念」
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に登場する、義兄弟とその周辺の人々の話です。
小鳥遊陽充(はるちゃん、僕)
生真面目で面倒見が良く、お人好し。また好奇心旺盛で様々なことに首を突っ込んで痛い目にあっては義兄さかえに助けられている。
新卒で入った企業で人付き合いに悩み、うつ病になって退職した経緯を持ち、悩みを抱えやすい。お話における「ワトソン役」
烏丸さかえ(さかえ義兄さん)
極めて自堕落な自称作家。陽充の姉で故人の烏丸れおなの夫で、現在は義弟陽充と共に生活している。義弟陽充の前では彼をはるちゃんと呼び、ヘラヘラしている胡散臭いおっさん。お話における「ホームズ役」
ただいま戻りました、と玄関先で声を上げると、いつもは聞こえるはずの声が聞こえなかった。おかえり、という声を期待していた自分がどうにも面映くて、ため息をついて靴を脱ぐ。
どうしたのだろう、あの人はこういった挨拶を欠かさないタイプの人だけど。同居人のことを考えながらリビングのドアを開け、言葉を失った。
テレビに向かうソファの背もたれ。――の向こう側で天井に向かって伸びる、黒のパンツに包まれた二本の長い足。
「……スケキヨかな」
和製推理小説の名作の異様なシーンをギャグにするのはいかがなものかと思うけど、そこにあるのは確かにそんな感じの光景だった。
ため息をつきつつ、ソファを回り込んでその足の持ち主に声をかける。
「さかえ義兄さん、そんな寝方をしていると首の骨を痛めますよ」
返事はない。うーん、といううめき声だけあげて、器用に首で逆立ちしながらソファに寄りかかっていたその人に、もう一度呼びかける。
するとゆるゆるとまつげが震えて、逆さになった顔がふやけるように笑った。
「やあ、おかえりはるちゃん。逆立ちなんてしてどうしたの」
「いろいろ言いたいことはありますけど、逆立ちしているのはむしろ義兄さんのほうです」
眠気全開の義兄には、重力が認識できなかったようだ。少しずつ覚醒してきたらしい彼は心底面倒くさそうに眉を寄せ、こちらに向かって呼び掛けてきた。
「はるちゃん、ちょっと助けて」
「僕のことをちゃんづけで呼ぶのはやめてほしいんですが」
「かわいい弟なんだから愛称で呼ばせてよ。それよりこの体勢、頭に血が上ってたいへん」
「知りません。恨むなら自分の寝相を恨んでください」
殺人級に寝相が悪い義兄はどこででも眠れるが、どこででも芸術点が高い寝相を披露してくれる。今回のスケキヨなんかまだかわいい方だ。
「かわいい弟が遅れてきた反抗期で、お兄ちゃんは悲しい、えぐえぐ」
結局僕の助けが借りられないとわかったさかえ義兄さんはわざとらしく泣きながら自分の腹筋で体勢を立て直し、ソファに座りなおした。それから愛用のべっ甲柄の眼鏡を外し、レンズを自分の黒いTシャツの裾で拭いながら、こちらに質問を投げる。
「で、どうだったの、久しぶりでしょ、海行ってきたの」
朝から出かけていたのは確かだが、あいにく僕はそんなアウトドアな性格はしていない。むしろ超インドア派だ。
「今日は朝から美術館で刀剣の特集をやっていたので見に行って、昼食とって、帰りにフリマにちょっと寄っただけですけど」
「え、そうなの? 不思議だねぇ」
不思議なのはあなたの思考回路です。
言いかけたが、僕は何とか踏みとどまった。家主はあちら。僕は居候。家事全般を請け負っているのは確かだが、だからと言って相手のほうが立場が上であることに変わりはない。
何しろ彼は、僕の実姉の夫――正真正銘、僕の義理の兄にあたる人なのだから。