依依
※ 本編第51話「叱責と記憶」あたりの話
(番外編ソフィーナ視点「虚と実と」は本話と同時刻)
「百歩譲って、命令違反ではないとしよう。だが、考えが足りなさすぎる――いつものことだが」
「妃殿下を連れて一度王宮なり騎士団なりに戻り、許可を取って準備を整えた上で改めて密行に出るべきだった――思いつきと勢いで動く癖を何とかしろと、ずっと言っているだろう」
カザレナに戻ったフィルは、事前の許可なくソフィーナ妃殿下のハイドランド行きに手を貸した件で、今、幹部会議で吊るし上げを喰らっている。
今日の朝礼で召喚令状を手渡されるなり、「げ、戦地でも散々怒られたのにまた!?」と口にして、コレクト侯爵兼騎士団長に「……そんなふうだからだろう」と白い目で見られていた。
そして、団長は正しい。
「考えなしに動いたわけじゃないって言ってるじゃないですか」
騎士団の正副団長を前に、周囲を海千山千の騎士団屈指の猛者たちにとり囲まれ、責められているというのに、彼女には怯えも反省もまったく見られない。
以前、ヘンリックに怖くないのかと聞かれ、「あのレベルの人たちがあれだけいたら絶対に勝てないけど、逃げるだけなら逃げられる気がする」と答え、「うん、全部の問題を命の危険があるかそうじゃないかで考えるの、いい加減やめようか」と言われていた。
(ほんと、変わらない……)
第一小隊長補佐の肩書を持つアレックスは、幹部の一人として一角に陣取り、自身の妻を呆れ半分に眺める。
(まあ、まず間違いなく今回も懲りないだろうな……)
同じ件で午前に呼び出されたヘンリックが、表向き殊勝な顔で反省を繰り返し、早々に解放されたのとは対照的に、フィルは開き直っている。もっとも本人は思ったままのことを言っているだけで、開き直っているつもりはないのだろうが。
「だって、仕切り直したら、あちこちからあれこれ注文がついて、好きにできないでしょ? 妃殿下は特に難しい立場でいら――」
「っ、そう思うなら、なおのことすんじゃねえ!」
「あー、そっち? それは考えたことがなかっ――」
「なお悪い!」
予想は当たった。
第二小隊長に至近距離で怒鳴られて、「人の話は最後まで聞くべきでしょ……」と顔をしかめるフィルを見、アレックスは額に手を当てる。
「我が国がいずれシャダと対峙する予定で準備していることは、当然知っているだろう……。事実、シャダの拡張を防ぐべく、ハイドランドへの派兵は叶った」
「でも、事実、決定まで時間がかかった」
怒れる幹部たちを制した団長の疲れたような物言いに、フィルは素で返す。
「妃殿下にはその時間は耐えがたいだろうと思ったんです。じゃ、結果はどうせ一緒なんだし、今行っちゃえって。その後はフェ……殿下がなんとかするだろうって」
「……行っちゃえ、に、なんとかする、だろう……」
あまりに軽く、無責任な物言いにだろう、腕を組んで成り行きを見守っていたポトマック副騎士団長のこめかみに青筋が立った。
すべての騎士が怯えるその顔を正面にしても、フィルはどこ吹く風だ。
(見慣れすぎていて、フィルはこれが彼のデフォルトの顔だと思っているのだろうな)
アレックスは自らの手のひらの下で、こっそりため息をつく。
「実際フェルドリック殿下は、私たちの行動を問題ないと仰っているでしょう」
「……確かに殿下は、緊急事態ゆえに直接お前に命令と裁量を与えた、責めを負うのは自分であるべきだ、と仰っていた。謝罪もいただいている。だが、問題はそこじゃない」
「じゃあ、妃殿下が立場をなくして、カザックに戻れなくなるところだったということ? でも、その辺も殿下がちゃんとしたと聞いています。両陛下はもちろんのこと、アンナさんや他の人たちの協力も取りつけたって。そこだけは評価してもいいかも」
「妃殿下のお立場が守られたことは喜ばしいが、問題はそこでもない……」
コレクト団長が「というか、王太子殿下を上から目線で評価するな……」と頬を引くつかせれば、フィルは「大事な大事な、超かわいい妃殿下を任せるに足る人間かどうか、未だ検証中なので」と真顔で返した。
「大体その妃殿下が、私たちをつき合わせたのは自分だと騎士団にまで謝罪に来てくださったと聞いていますが?」
アレックスの横の席に座るウェズ第一小隊長が、「上の権威を笠に着ることを覚えたか。少しは成長してんじゃん」と楽しそうに呟いたことで、アレックスの頭痛は増す。
ウェズはウェズで、隠密旅の最中の妃殿下たちを見つけておきながら見逃したという。
『私に下された命令は国境の監視、その後シャダ軍のハイドランド国内からの排除であります。妃殿下の捜索や確保ではなかった……つーか、とびっきりかわいい子が、自分を犠牲にする覚悟でどうしてもやりたいって一生懸命言うんだ。それもこれも全部他人のため――あれを止められる騎士がいたら、連れてきてくれ。ぶん殴って退団届け書かせるから』
彼は問い詰められて、笑いながら開き直ったそうだ。
フィルのあの性格に拍車がかかったのは、騎士団に入った当初、この人が率いる隊に入ったせいな気がしてならない。
「……妃殿下はお優しく、責任感のある方だ。すべて自分のせいだと仰って、全面的にお前たちを庇ってくださった――だからこそ甘えるな」
「ディラン、お前の言うとおり、両殿下のお言葉もあって、外部では問題になっていない。問題は、団としての規律をお前たちが軽視したことだ。お前たち、とくにお前は反省しなさい……」
ポトマック副団長の諫めに続いて、コレクト団長がげんなりと肩を落とした。
「反省と言われても。規律より実利を取った――シャダも旧王権派も、暗殺されかけた直後に妃殿下がいなくなった、しかも護衛がたった二人とは絶対に思わないはずですから、その方が安全という判断あってのことでもあります。私たちの行動を騎士団もフェルドリック殿下も知らない以上、真剣に追跡せざるを得ないというのも利点でした」
だが、フィルはそれでも悪びれない。それどころか「相手の手の内を知らないでやる追いかけっこの方が本気になるでしょ? シャダを騙せる」と得意そうに付け加えた。
「いっ」
「その通りだとは思うが、なんかムカつくから一発殴らせろ」
「殴ってから言わないでくださいよ……」
フィルの頭をはたいたのは、横にいた第十七小隊長だ。妃殿下の追跡を命じられた挙げ句、捕捉できなかったことを悔しがっているらしい。
騎士団が誇る諜報部隊の彼らも王族の私的な諜報部隊も、妃殿下とフィル、そしてヘンリックを捕まえられず、何とか接触できたアレックスの実家の諜報員も殺される寸前だった――妃殿下が望めば、フィルたちは彼女をカザック、そしてフェルドリックから逃がすことができると証明されたと言っていいだろう。
そうと知っていて、二人を妃殿下につけた自らの従兄を思って、アレックスはため息を重ねる。
(大事で仕方がないからこそ自分から逃げる選択と手段を与える、ね……リックには被虐趣味の傾向があるかもしれないな……)
彼女を失ったら、彼はおかしくなるに違いないというのに――。
「場当たり的に、適当に動いてるようにしか見えないのに、何も考えてないわけではないんだよなあ。……余計性質がわりぃ」
疲れと諦めを口にして、天を仰いでいるのは、アレックスの斜め前にいるフィルの今の上官、カーラン第三小隊長だ。フィルとヘンリックが不在していた間に傷めた胃は治ったのかと訊ねていいものかどうか。
「……」
視線に気づいたのか、彼の目がおもむろにアレックスに向いた。
(お前も大変だな、なのか、なんとかしろよ、なのか、物好きだな、なのか……)
――多分全部正解だ。
アレックスは逃げるように、窓の外に顔を向けた。
秋の澄んだ青空高く、刷毛で掃いたかのような巻雲がたなびいている。その下にそびえるのはカザック王城だ。
あの場所に戻ってきてくださった、聡明で心優しく、気高い女性、ソフィーナ・ハイドランド・カザックの姿を思い浮かべる。
名高きハイドランド賢后に一国を背負えるよう教育されてきた彼女は、王女・王太子妃としてごく優秀で、その実力に見合うだけのプライドも自信もある。アレックス自身深い敬愛を抱かずにはいられない。一方で個人として、女性として、とてもかわいらしい方だ。
(普段あれだけ堂々としていらっしゃる分、私的な部分で妙に自信がなかったり、実は少し抜けていらっしゃったりするところも、騎士たち的に全部ツボなんだろうな。ハイドランド騎士からの人気も凄まじかったし……)
彼女がハイドランドからカザックに戻る時、見送りについてきたギャザレン騎士団長をはじめ、涙ぐんでいた騎士たちが少なくなかったことを思い出す。
それを見たフェルドリックが心底居心地悪そうに視線を泳がせていたことも、その彼をセルシウスハイドランド新国王がおもしろいものを見る目で見ていたことも。
「お前みたいな非常識人間を妃殿下のおそばに置いておいたら、ろくなことにならん。やはり俺が代わりに護衛に……」
「っ、抜け駆けすんなっ」
「それなら俺だ! 俺にもいい加減癒しがいるっ!」
(……リックが頷くわけないだろうに)
フィルとヘンリックがソフィーナの護衛になったのは、第一に、二人なら国よりフェルドリックより何より彼女を優先するとわかっていたから。第二に、(リック本人はおそらくまったく自覚がなかったが)二人なら彼女に恋情を募らせる可能性もその逆の可能性もゼロだから――。
「待て。気持ちはよく分かるが、シャダなどの脅威がのぞかれた今、妃殿下の護衛は人数・機会共に減らし、近衛騎士団に移譲していく予定だ。ディランやバードナーも例外ではな――」
「フィルっ、妃殿下の次の外出はいつだっ、なおのこと次は俺が……!」
「お前はこないだハイドランドから帰ってくる時、妃殿下と一緒だっただろっ」
「カザレナ出身の俺がいいって、穴場とか案内できるから!」
「……私、一応団長……話、聞いて……」
「……」
どうせ無駄になるのに、誰が妃殿下の護衛につくかで盛大に揉め始めたいい年の幹部たちと、癖の強い彼らに今日も振り回されている騎士団長をアレックスは憐れむように見る。
(この彼ら以上に彼女に沼っているのが、リックというわけだ……)
最近、ごく自然に柔らかい顔を見せることが増えてきた自らの従兄を思い浮かべて、アレックスは微苦笑を零す。
恋など馬鹿のすることだ、絶対にないと鼻で笑っていた彼を意識もせずにとらえ、その上、どうしようもなくひん曲がったあの性根を素で矯正しつつある彼女――。
「忙しそうなので、じゃ、私はこれで」
「っ、勝手に判断すんじゃねえっ」
「幹部会議っ、お前は正式に召喚されて、尋問されてる身だっ」
「……幹部、関係ない会話してたくせに」
怒鳴られて嫌そうな顔で耳をふさいだ妻を眺めつつ、アレックスはこれまでにない希望を持つ。
(今度妃殿下に、「リックのついでに、フィルに常識を教えてくださらないでしょうか」と頼んでみることにしよう)
不可能を可能にする人だ、彼女ならきっとなんとかしてくれるに違いない。







