閑話2 アメリアとウィリアム 〜通じ合う心〜(3)
*
「駄目ッ!」
そう叫んでこちらに向かって手を伸ばす彼女の身体を押しとどめながら、俺は一気にその液体を飲み干した。
小瓶に溜まった彼女の赤い血液を、一滴残らず、全て。
本当はそんなことすべきではなかったのかもしれない。けれど、その衝動をどうしても抑えきれなかった。
自分の中に沸き上がる怒りと苛立ちを、どうしたって抑えることが出来なかった。
彼女が自身の身体を傷付けたこと。そして、彼女にこんなことをさせてしまった自分自身の無力さに、腹が立って仕方がなかった。
「……嘘」
空になった小瓶を見つめ、彼女は肩を震わせる。両手で口をふさぎ、その美しい双眼に青く透き通った涙を浮かべながら、彼女はこの期に及んで俺の身を案じる。
「ウィリアム――あなた、からだは……身体は何ともない!? まさか飲み干すなんて……っ」
悲壮な表情で、彼女は俺の胸に縋りつく。
そんな彼女の姿に、俺は言いようのない苛立ちを感じていた。
――ああ、君は一体どうして、これほどまでに愚かなのだろう、と。
「……どうやら君は、何もわかっていないようだ」
「――え?」
俺は小瓶を床に投げ捨てる。彼女の肩をベッドへと押し倒し、その上に覆いかぶさった。
「……っ」
瞬間、彼女の身体が硬直する。驚きのあまり声も出せない様子で、彼女は小さく喉を鳴らす。
けれど俺だって、今回ばかりは引くわけにいかなかった。例え君を怯えさることになろうとも、俺は今、この場で君に伝えなければならないのだ。
二度と君がこんなことをすることがないように――君が君自身を傷つけることがないように――自覚させなければならない。
――そう、それこそが俺の責任だった。
ダミアの事件の後ずっと彼女を一人きりにしてしまった、俺の……。
だって、もっと早くにきちんと話をしていれば、俺が彼女に寄り添うことが出来ていれば、こんなことをさせることはなかった筈なのだから。
「君は俺を侮辱してるのか? この俺の反応を見て……試す気だとでも?」
彼女を真上から見下ろして、その首筋にゆっくりと指を這わせる。
――彼女の肩が、びくりと震えた。
「君が人ならざるものに成り代わったとして、一体それの何が問題なんだ。俺がそんなことを気にするとでも? 俺が君を恐れると――君を気味悪がるとでも思ったのか?」
「違う……違うわ。私……そんなこと思ってない。私は、ただ……」
彼女の瞳が揺らめく。青い瞳に涙を浮かべ、けれどそれでも、彼女は必死にそれをこらえて――。
その気高く美しい表情が、俺の心臓を締め付ける。
本当はこんな風に彼女を責めるつもりなどなかった。本当は、俺以外のことは何も考えられなくなるくらい、ずぶずぶに愛して甘やかせてやりたいと、そう思っているのに。
けれど今の彼女のままでは、ほんの少しだって俺に甘えてくれそうにない。――それは俺が頼りないからなのか、あるいはまだ、彼女の心の時が、はるか昔のまま止まってしまっているからなのか。
俺にはわからないけれど、ただ一つ言えるのは、もう綺麗ごとは沢山だと言うこと。
だから俺は問い詰める。
俺は知りたいのだ。彼女の本当の思いを。彼女の魂の奥底に眠る、彼女自身の願いを……。
そしてそれを叶えることこそが、俺がエリオットから託された、彼の最後の望みなのだから。
「ならば一体何故こんな馬鹿げた真似をした。“実験”などと……君は自分をモルモットか何かだとでも思っているのか? こんなことをせずとも、もっと簡単な方法があった筈だろう?」
わかっている。彼女にそんなつもりは欠片だって無かったことを。俺を侮辱するつもりも、試すつもりもなかったことを。
馬鹿げた真似だと――彼女の行いを一掃できるほど、俺はきっとまだ彼女を理解してやれていないことも。
わかっている。
きっと、君はただ不安だっただけなのだ。それを一体誰が責められるだろう。――いや、誰も責められやしない。俺も、他の誰にも、例えエリオットにだって、君を責める資格はない。
だが、それでもやはり……君は間違えたのだ。
「俺は今、君に対して怒りを感じている。何故かわかるか」
その問いに、彼女は無言を貫き続ける。その言葉の意味が、ほんの少しもわからないと言う様に、その瞳を酷く不安げに揺らしながら。
「……そうか。だがそれも仕方ない。君はずっとこうやって生きてきたのだろうから……わからなくとも無理はない」
俺は確かに知っている。
彼女はこの千年という途方もない月日をただ俺の為に、エリオットの為だけに費やしてきたことを。そしていつしか、ほんの小さな見返りを求めることさえも忘れてしまったことを。
世間ではそれを“無償の愛”と呼ぶのだろう。自分の全てを投げうってでも相手の幸福を願う。――それを“美談”だと褒め称えるのだろう。
確かにそうかもしれない。その解釈に、きっと間違いはない。
けれど、俺はそんな愛を求めているわけではないのだ。無償の愛など、くそくらえだ。
俺は彼女に――アメリアに、そんな“親子”のような愛情を求めているわけではない。
俺は君に守られたいとは思わない。君に何かをしてもらうとも思わない。
俺がただ唯一君に望むこと。エリオットがかつて君に望んだこと。
それは、君が俺の隣で笑っていてくれること――ただ、それだけなのだから。
「君は少しも考えなかったのか? 傷跡が残るかもと……後遺症が出るかもしれないと、少しも考えなかったのか?」
「……それ、……は」
――わかってる。わかっている。
彼女のことだ。絶対にそんなことにはなり得ない。
傷の深さも、毒の量も――彼女は万に一つも間違えない。そんなことは言われずとも理解している。だが、だからこそ許せないこともある。
「アメリア、よく聞くんだ。俺は、君が自分を大切にしようとしない……そのことに怒りを感じている。いくらそれが浅い傷だろうと、害のない量の毒だろうと……その目的が何であろうと、君が自分の身体に傷をつけ……そしてそれを少しも躊躇おうとしないその態度に、言いようのない苛立ちを感じている」
――俺は彼女を真っ直ぐに見下ろし、その頬にそっと手のひらを添えた。
「……話してくれたことは嬉しいと思ってる。俺に信頼を寄せてくれた証拠だと――頭では理解している。だが……だがな、アメリア。俺が君に最も望むことは、俺を愛してくれることじゃない。君が君自身を大切にすることなんだ。俺のために俺を愛そうとしてくれなくていい。俺のために悩み苦しんでくれなくていい。君は君自身の幸せのために、ただそれだけのために、もっと貪欲に生きて欲しいと……俺はそう願ってる」
「……っ」
彼女の瞳が、見開かれる。
俺から少しも、視線を反らすことが出来ないと――。
「さあ、アメリア。俺の気持ちは伝えたぞ。君と共に生きる意志は変わらない。例え君が何者であろうと、決して俺の気持ちは変わらない。
後は君が決めてくれ。俺の望むことではなく、俺の幸せのためではなく、君自身の望みを言ってくれ、アメリア」
「――ッ」
瞬間、彼女の顔が再び歪んだ。
そして次の瞬間には、赤く腫れあがったまぶたから、一筋の雫がこぼれ落ちる。
その表情はとても愛らしくて、けれど同時に女神のように美しくて。
俺はその泣き顔に、今にもその唇をふさいでしまいたい強い衝動に駆られる。
けれど、まだだ。彼女の返事を聞くまでは――まだ……。
「……ウィリ、アム……、私――」
彼女の震える声が、俺の名を呼ぶ唇が……紅色に染まる頬が、俺をまっすぐに見つめる青い瞳が……その全てが、あまりにも愛おしい。
「私……、あなたと……ずっと一緒にいたい」
「――っ」
ああ、それこそ、ずっと俺が待ちわびていた言葉。
彼女自身の本当の願い。
「ああ、アメリア……勿論だ」
俺はとうとう彼女を抱きしめた。
そして今度こそ口づける。
お互いの気持ちが同じであることを確認できた喜びに、俺は自制することすら忘れ、彼女の唇を何度もふさいだ。
すると少しずつ、熱を帯びていく彼女の吐息。身体は小刻みに震え、その瞳はただ俺だけを映し出す。
その姿があまりにも愛しくて、そんな彼女をもっと見ていたくて――俺が彼女の耳元で愛を囁けば、彼女は頬を紅に染めた。
「ああ……君は本当に可愛いな」
「……っ」
「止まらなくなりそうだ」
ああ……彼女とは既に初めてではないのに……俺の中に込み上げてくるこの気持ちは一体何だろう。
心が通じ合うというのは、これほどに幸福なものなのか。
俺は今にも理性の途切れてしまいそうな頭でそんなことを考えながら、今度は彼女の首筋に吸い付いた。欲望のまま舌を這わせ、鎖骨をゆっくりと舐め上げる。ネグリジェから覗く白い肌に、いくつもの赤い印をつけていく。
「――んっ、……あ、ぁっ」
愛撫のたびに彼女の瞳が潤んでいく。その表情が悩まし気なものに変化していく。
それは何と形容しがたく、美しい光景か――。
「もっと見せてくれ。君の……全てを」
彼女の薄く開いた唇に舌を侵入させれば、彼女はもう少しの躊躇いもなく自ら舌を絡ませる。
そんな彼女が愛しくて、あまりにも愛しすぎて、俺はさらに深く口づけた。
彼女をもっと知りたくて、俺を彼女で一杯にしたくて……。
「――あっ、……ん、んんッ」
「アメリア、もっと聞かせてくれ。……君の声を、もっと」
彼女を腕に抱きしめながら――俺は一人、心に誓う。
必ず君を幸せにしてみせる、と。
エリオットのためでもなく、ルイスに頼まれたからでもない。俺は俺の意志で、自分自身の全てを駆けて彼女を愛し抜くと。
――今度こそ彼女を守り、幸せにしてみせると。
そうして俺たちは一晩中、互いを深く愛し合った。
それは互いが互いの存在を魂に刻み付けるかのごとく……長く甘い一夜だった。
*
*
こうして二人は、共に夜を過ごした。
ウィリアムは惜しげもなくアメリアへ愛の言葉を囁き、そしてアメリアもそれに応えた。
それは明け方近くまで続き、二人がようやく眠りに落ちたのは太陽が全ての姿を現したころのこと……。
そのため二人は、アメリアの朝の支度のために部屋を訪れたハンナがノックをしたことにも気づくことなく――、中の様子を伺おうと扉を開けたハンナの黄色い悲鳴を聞いてようやく目を覚ますありさまだった。
「お、おおおおお嬢様ッ!!??」
ハンナは目をくぎ付けにする。
ベッドの中で、産まれたままの姿で抱き合い眠るアメリアとウィリアムの姿に。
自分の悲鳴によって目を覚ましたのか――ウィリアムの腕の中で「んっ」と愛らしく声を上げるアメリアの姿に、彼女は堪らず鼻血を吹き……そしてその場で、卒倒したのだ。
こうしてこの後、今度こそ目を覚ました二人が大量の鼻血を出して床に倒れているハンナに気が付き、医者を急ぎ呼びつける騒ぎにまで発展するのだが……それはまた、別の話である。
-Fin-
こんにちは、夕凪ゆなです。
いつもお読みくださっている読者の皆様、ありがとうございます。
突然ですが、まずは謝罪させてください。このお話、本当はエリオットがユリアに渡す筈だった指輪のお話にするつもりだったのですが、どうにも長くなりそうだったので指輪の話は全て失くし、一旦完結にさせて頂きました。(それに合わせて、タイトルも変更させて頂いております。)
またそのうち書くかもしれませんが、もう書かないかもしれません。(割ともう満足してしまったので)申し訳ありませんがご了承ください。
またこれは余談なのですが、この3話……何度か書き直しました。気分のおもむくままに書いていたら何度も18禁的な内容になってしまい……削除の嵐(笑)15禁はどこまで書いていいのやら毎度悩みます。最終的にキスのみ!!……とはいきませんでしたがその辺りまでで収めました。通報されても困りますしね……。
(ときどきガチのベッドシーンを書きたい衝動にかられるのですが、本当にときどきなのでXアカを作る程でもないのですよね。とか言いつつ、)もし需要があるならスピンオフ扱いでX側に投下してもいいのなぁと考えたりもするのですが……皆さんどう思われますか。
基本的にはノーマルしか書いたことないのでBLは無理かなーと思いますが、公式カプでなくても(例えばルイス×アメリアとか(近親相姦になっちゃうけど)エドワード×アメリアとか)需要があれば書いてみたい気もしております。
※※以下本編裏設定(本編以上のことを知りたくない方はブラウザバックお願いします)※※
さて話は変わって、ここだけの話、誰も気にしてはいらっしゃらないでしょうが、設定上はヴァイオレットの初めての相手はルイスと言う。(アーサーではないんですよ~)
これ、本当は本編で書きたかった。ルイスががっつり出て来る回になるので。けれど長くなりすぎるので割愛した、ヴァイオレットの過去。いつかこちらで書けたらいいなぁ。
読む人いるかな……?
他にも、まだルイスがいたときのほのぼのピクニックとか、普通にデートする回(やっぱり尾行付き)とか、ウィリアムとアーサーの学生時代の話とか、書きたいことは山ほどあるのですが……。時間があまりないのが問題ですね。時間は作るものだというのはわかっているのですが……。
でも、少しずつでも書いていきたいです。頑張ります。
……という長い独り言でした(^^
すみません。何とも取り留めも無い内容になってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。
次の更新はいつになるかわかりませんが、気長に待っていただけると嬉しいなと思います。
ではでは皆さま、多分これがここでの今年最後の挨拶になるかと思いますので、年末の挨拶で締めさせていただきます。
★★皆さま本年も当作品にお付き合いくださり誠にありがとうございました。読者の皆様のおかげで今の私が、そしてこの作品がこうやって存在し続けていられます。
また、感想を下さった方、コミカライズを購入して下さった方々、この作品に関わってくださっている全ての方々に、心からお礼を申し上げたいです。本当に本当にありがとうございます。
本編は完結しておりますが、コミカライズはまだまだこれからですので、是非来年もアメリアたちに会いに来て下さったら嬉しいなと思います。★★
以上!
ではでは、これにて今度こそ締めさせていただきます。
皆さま、よいお年を! 来年もよろしくお願いします!
夕凪ゆな




