閑話2 アメリアとウィリアム 〜通じ合う心〜(2)
*
“俺と結婚してほしい”――その言葉に、私は思わず放心した。あまりの驚きに、嬉しさも愛しさも通り越し、頭が真っ白になってしまった。
それが、自分の言葉により招いた結果にも関わらず。
だって、まさか今このタイミングで言われるとは思ってもみなかったのだ。2ヵ月ぶりにやっとまともに言葉を交わしたばかりの、このタイミングで……。
“結婚”――その二文字に、私の脳裏に過去のプロポーズの記憶が蘇る。
一度目のプロポーズは、ウィリアムに不意打ちを与えるために参加した、スペンサー侯爵家主催の夜会でのことだった。
けれどあれはあくまで“駆け引き”の言葉。お互いに愛など少しも無いやり取りで、相手がウィリアムでなければ殺意さえ覚える状況だっただろう。つまり、お互い本気などではなかった。
そして二度目のプロポーズ。それは私とウィリアムが初めて二人きりで街に出かけたその日の夕方。私の声が戻った日。
あのときは確かに嬉しかった。やっと気持ちが通じ合えた喜びに、心が震えたのを覚えている。
けれど今思えば、あれだって事故のようなもの。
だってあのときのウィリアムは、決して冷静な精神状態ではなかったのだから。
彼のあの言葉に嘘があったと思っているわけではない。
けれどあの日のウィリアムは、ルイスから別れを告げられた直後で酷く動揺していたはずだ。焦りや不安、そしてルイスが自分の元を去るのではないかという恐れに、少なからず心を乱していた。
つまり、ウィリアムには失礼だけれど、あれは勢いに任せただけの衝動的な言葉だった。
――しかし、今は違う。
今のウィリアムからは、私の全てを受け入れようとする、彼の確かな真心が見えるのだ。そこには、何の打算も忖度もない。
私を真っ直ぐに見つめる彼のどことなく不安げな瞳は、彼の素直な心そのものなのだから。
「……わたし」
でもだからこそ、私はすぐに答えることが出来なかった。答えは既に決まっているというのに、「はい」――と、その短いただ一言を、どうしても口にすることが出来なかった。
「……駄目――か?」
私を見つめるウィリアムの瞳。千年も前からずっと思い続けていた愛しい人。――そんな彼の顔が、不安げに私を見つめている。
私からほんの一瞬たりと視線を反らすことなく――私の言葉を待っている。
そんな彼の熱い視線に、そして私の頬に触れる彼の手のあたたかな温もりに、私は今直ぐにでも彼の胸に飛び込んで、縋り付きたい気持ちになる。
でも……駄目なのだ。だって私は、ウィリアムに大切なことを話していない。これを伝えないままに、彼の手を取ることは許されない。
例え私の話を聞いたウィリアムの答えがわかりきっているとしても……。
ソフィアの血を飲んだ私のこの身体は、普通の人間とは別のもの変わってしまった……という事実を、伝えるまでは。
だから私は、込み上げる気持ちを押さえつけ、必死に笑みを取り繕う。
「ありがとう。とても嬉しい。……本当に、嬉しいわ。私もあなたを愛しているから。心から――あなたを愛しているから。エリオットではなく、ウィリアム……あなたのことを」
「――っ」
「でも、結婚の返事はまだ出来ないの。私、どうしてもその前に聞いて欲しいことがあって。話を聞いて、それでもあなたの気持ちが変わらなければ……」
私の声が、だんだん尻すぼみになっていく。
――私は知っていた。この話をしてもウィリアムの心は変わらないだろうと。でも、だからこそ話したくないと思ってしまう。
必ず言うと決めたのに。この二ヵ月、毎日のように――今日こそ彼に話さなければと思っていたのに。いざそれを伝えようとすると、どうしても恐ろしくなる。
ウィリアムにも責任を背負わせてしまうことが――彼をほんの少しでも苦しめてしまうことが、どうしようもなくつらくなって。私一人で抱えていた方がいいんじゃないかと……この期に及んで怖気づいてしまうのだ。
「……アメリア」
けれどそんな私に、ウィリアムは優しく微笑みかけた。
私の後頭部に腕を回し、そのままそっと抱き寄せる。それは少しの下心もないような、優しい優しい抱擁で……。
けれどやっぱり、私は何も言えなくて――そんな私の耳元で、彼は囁くのだ。
「大丈夫だ」――と。「何も心配はいらない」と。
私の話の内容なんて知らないはずなのに、それでも彼は断言する。
「大丈夫だ」と、何度でも。
「心配なんてしなくていい。それがどんな内容だろうと、全て受け止める覚悟はとうの昔に出来ている」
そう言って、彼はただ私を抱きしめる。
「確かに、君が今言おうとしていることは俺の力ではどうにもならないことなのだろう。けれど、君の心に寄り添い、共に悩み考えることは出来る。そうだろう?」
「……ウィリアム」
「だから、俺に君の痛みを分けてくれ。君のそんな顔を見ていると、とても辛くて堪らない。
それに――本当は気が付いていたんだ。君が深く悩んでいることを、俺はずっと前から知っていた。だが無理に聞き出すのは止めようと……そう考えていたんだ。
だが、もう我慢の限界だ。俺は君を生涯の伴侶に迎えたいと思っている。ならば、どんな苦楽も共にするべきなんじゃないのか? 苦しいときこそ話し合うべきなんじゃないのか?」
それはとても心地のいい声で。いまだに溶け切らない私の心を――あっという間に溶かしてしまって。
私はすぐにでも、泣き出したい気持ちになる。
「それにな、アメリア。不謹慎だが……俺は今嬉しいんだ。君はいつだって俺より強くて気高くて、それにとても聡明だ。俺が君に適うものなんて、それこそこの腕の力くらいなものだろう。それでもそんな君が、こうやって弱さを見せてくれている。それが嬉しくて堪らない」
ウィリアムは――続ける。
「本当はずっと、こうやって君に触れたかった。今だって君を押し倒してしまいたいのを必死に我慢しているんだ。――君の涙の一粒さえも、俺のものにしたくて堪らないほどに。
だからアメリア、どうか話してほしい。君の胸の内を、この俺に」
「――ッ」
――ああ、ウィリアム。
もう……耐えられない。胸がもう、一杯で。
気が付けば、私の頬は濡れていた。次々に溢れ出す涙を、もう少しも堪えきれなくて……でもそんな顔を見せたくなくて、私は彼の胸に顔を埋める。
恥ずかしくて、みっともなくて……でも、嬉しくて、切なくて……、あまりに申し訳なくて。
「……ふ、……うっ」
――私はただ嗚咽する。声を上げて、まるで子供の様に泣きじゃくった。
それは本当に無様な姿で……千年生きて来た私からすれば、とても他人に見せられるようなものではなかったけれど、それでもウィリアムは、何も言わずにただ黙って私を抱きしめ続けてくれた。
*
こうして、私は少しずつウィリアムに話して聞かせた。
この2ヵ月の間、私が私の身体で行った実験を。そしてその結果わかったことと、これから予想されることを。
ソフィアの血を飲んでからと言うもの、私の身体の治癒力は著しく向上していた。
私がその可能性に気が付いたのは、以前ガラスで切った右手の傷が無くなっていることに気付いたとき。
古傷がきれいに消えるというなら、新しい傷は一体どうなるのだろうかと、――もしや、新しい傷さえもすぐに治ってしまうのだろうかと、そう思い当たったのだ。
だから私は実験した。
手首をナイフで切りつけ、傷が塞がるまでの時間や、摂取した毒が身体から抜ける時間を繰り返し何度も計測した。
その結果、自分の身体が通常の人間の十倍程度の速さで治癒することがわかってしまったのだ。
決して不死身になったわけではない。瞬間的に治るわけでもない。傷や毒はよくても、病気ではどうなるかわからない。
けれどそれは明らかに人の治癒力を超えているレベルで、私は自分自身がとても恐ろしくなった。そしてそのことを、ウィリアムに話すべきかずっと悩み続けていた。
話せばウィリアムは自分を責めるかもしれない。私の命を助ける為だったとは言え、私にソフィアの血を飲ませてしまったことを悔いるかもしれない。
私はそれが間違いだったとは思っていないけれど、ウィリアムがどう捉えるかはわからない。――だから、この事実を話すべきか迷っていた。どうしても決められなかった。
だって、こんな身体の私がウィリアムと結婚したらどうなるだろう。もし子供が産まれたら――その子は本当に普通の子として生きられるだろうか。もしもその子がかつてのルイスのように、人より成長が遅かったら? 治癒力が勝っていたら? 一体どうなってしまうのだろう。
そんな風に考えると、怖くて怖くてたまらなくなった。
気付かなかったふりをしてしまおうとまで考えていた。
――私はそんなことを、彼の腕の中でぽつりぽつりと話して聞かせた。
そして、彼に見せた。
赤い液体の入った小瓶を。私の“血液”の入った小さな瓶を――。
「――ッ」
瞬間、ウィリアムの瞳が大きく見開かれる。先ほどまで冷静を取り繕っていた彼の顔が、驚愕の色に染まった。
「……アメリア、これは――」
そう声を震わせて、私の右腕を掴むウィリアム。
その腕の力はとても強くて――とても、痛くて……。
私を見つめる瞳が、あまりにも鋭くて。
「……ウィリ、アム?」
――私は、悟った。
彼を怒らせてしまった……と。
でも、私にはその理由がわからなかった。
私の手のひらから、無言のまま小瓶を取り上げるウィリアムの怖い程に冷めた表情の理由が、どうしてもわからなかった。
――どうしてあなたは怒っているの? その小瓶をどうする気なの……?
私はそう尋ねようとした。けれどそれよりも早く、彼は私の目の前で、静かに小瓶の栓を抜く。怒りに顔を歪めたまま、彼は小瓶を口元に運ぶ。
「――え」
その瞬間、私は理解した。そこまでされて、わからないわけがなかった。
彼が今からしようとしていることに。
「駄目ッ!」
私は急いで手を伸ばす。
だって、それはまだ誰にも飲ませていないのだ。飲んだらどうなってしまうのか、分からないものなのだ。
けれど私の制止は間に合わず――彼は唇に小瓶をつけ傾けると、そこに溜まった液体を一気に喉の奥へと流し込んだ。




