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閑話1 孤児院の少女ハンナ(2)



 時はほんの数分前に遡る。

 シスターの手伝いの為、孤児院の裏庭で洗濯済みのシーツを干していた赤毛の少女ハンナは、建物の中から聞こえてくる聞き覚えのない声にふと手を止めた。そのよく通る少女の話し声は、どうも自分たちのような田舎者とは違って品がある。


 ――そう言えば、今日王都からお客さまが来るって、シスターが言ってたっけ。


 ハンナは物干しを中断し、孤児院の外壁に近づいていった。声は寝室の開いた窓から聞こえてくる。背伸びをして窓から中を覗けば、部屋から廊下に繋がる扉の向こう側に、美しい金の髪をした可愛らしい少女が立っていた。

 だが、少女はただそこに立っているだけではない。なんとその少女は自分と同じくらいの歳であろうに、大人顔負けの口調であの陰険な院長モリスを叱責しているのだ。


「……っ」

 瞬間、どういうわけかハンナの胸は高揚感で一杯になった。あの方なら私達を――そしてこの孤児院をなんとかしてくれるのではと、瞬間的にそう思った。そうして気が付けば彼女は、その場から走り出していたのである。



「あなた、歳はおいくつ?」


 “私を雇ってください”発言をしたそのすぐ後にこう聞き返されたハンナは、ハッと我に返った。何故なら本当は彼女は、自分を雇ってくれなどと言うつもりはなかったからだ。


 今日訪れる客人が貴族の令嬢で、“10歳前後の侍女を探している”ことはシスターから聞かされ知っていた。だから今日のこの時間、年頃の目ぼしい少女たちはいつもなら立ち入りを許されない来客用の塔に集められているのだ。


 けれどハンナはその中に含まれていなかった。理由は簡単。彼女にはまだ3歳になったばかりの病弱な弟がいたからである。

 それに二人はここに入ってまだ3ヵ月と経っていない。その上幼い弟は身体が弱いとなれば、姉であるハンナが候補から外されるのは至極当然のことだった。

 当然ハンナもそう思っていたし、例え候補に選ばれたとしても、幼い弟を置いて自分だけ王都に行くなど考えもしなかった。


 にもかかわらず、ハンナは思わず口にしてしまっていた。“自分を雇ってくれ”――と。

 そのことに、ハンナ自身が誰よりも驚いた。


「ねぇあなた、わたしの話聞いていらっしゃる?」

「……あっ」

 いつまでも返ってこない返事に痺れをきらしたのだろうか。目の前の美しい少女が自分をじっと見つめてくる。そのあまりにも真っ直ぐな視線に、ハンナは目を逸らさずにはいられなかった。


「いえ、その、申し訳ございません! 今の発言は……なかったことに」

「……え?」

 少女の碧い瞳が、訝し気にひそめられる。

 ハンナはその眼差しに、しまった――と思った。高貴な方の気分を害してしまった、と。


 ――どうしよう。

 まだ子供のハンナにだって、今の自分の発言や態度が無礼であることくらい理解できた。だからこそ、彼女はこれ以上どうしたらいいかわからなくなってしまったのだ。


「……そうね」

 そうやって顔を上げられずにいるハンナに向けて、少女が何かを考えるように呟く。と同時に近づいてくるのは、あまりにも優雅な靴音で……ハンナはごくりつばを飲み込んだ。


「顔をあげて。怖がることはないのよ」

「――っ」

 そうして次に聞こえてきたのは、優しい優しい声だった。彼女の震える右手が、少女の両手で包み込まれる。


「……っ」

 あまりの驚きに顔を上げれば、目の前には先ほどモリスに見せていた高圧的な態度はどこにもなかった。そこにあるのは、花の様に可憐な笑顔だけだった。


「あ……あの、お嬢様。……私」

「アメリアよ。わたしの名前、アメリアって言うの。ごめんなさい。人に名前を聞くときは自分から名乗りなさいと言われていたのに、わたしったら」

「い……いえ、そんな! 私の方こそ、申し訳ありません。院長へ対するお嬢様の先程の言葉を聞いていたら……私、感動してしまって、ついあんなことを」

「“雇って欲しい”って言ったこと? なら別に気にすることないわ。わたし、あなたも知っての通り、ここには侍女を探しにきたのだから」

「ええ。……それは存じております。けれど……」

 ハンナはもごもごと口ごもる。

 するとその煮え切らない態度に、アメリアはその背後に立つハロルドを見上げる。そうして小さく首を傾げた。けれどハロルドの方も、さっぱり事情がわからない、と首を横に振るだけだ。


「大丈夫よ。本当に。何かあるなら全部話して? 絶対に怒ったりしないから」

 このままではらちがあかないと思ったのだろう。アメリアは自分より少しだけ背の高いハンナを見上げるようにして微笑んだ。するとようやく、ハンナがポツリぽつりと話し出す。


「実は、私――」



 ハンナはアメリアに語った。半年前に両親を事故で無くし、その後親戚の家に引き取られたこと。けれど病弱な弟の存在を疎ましく思った親戚らによって、孤児院に入れられてしまったこと。けれどここではまともな治療を受けられないこと。

 そんな弟を置いて自分だけがここを離れるわけにはいかない。にもかかわらず、アメリアに対し雇って欲しいなどと口にしてしまって、後悔していることなどを――。

 それらを語った後、ハンナはこう続けた。


「本当は私、お嬢様にこうお願いしようと思っていたんです。弟をお医者さまに診て貰えるようにしてもらえませんか、って。お嬢様が院長に、私達に読み書きを教えるようにって言って下さっていたから。もしかしたら、お医者様も手配して下さるんじゃないかって……。

 でも、それってとても失礼なことですよね。読み書きを教えてもらえるだけでも十分すぎるのに……それ以上を求めるなんて、私、とても失礼なことを……」

「……そうだったのね」

 アメリアはそれを聞いて、今度こそ深く考え込んだ。


 その弟がどの程度病弱なのかはわからない。が、こんな状態の孤児院ではいくら医者に見せたところで、根本的な解決は難しいだろうと考えたのだ。


 それに、真っ先にこの少女に出会ったのも何かの縁かもしれない……と。


 侍女候補の少女は何人もいる。けれど実際に採用するのはただ一人。そしてその一人には少なくとも十年は努めてもらう必要がある。愛だの恋だのと言って、すぐに辞められても困るのだ。


 これはアメリアの打算的な考えだったが、その点で言えばこのハンナという少女は、幼い弟がいる分すぐに辞める心配はない。勿論、その弟を一緒に王都へ連れ帰る前提での話だが――。


「ねぇハンナ」

「はい、お嬢様……」

「もしわたしの侍女になれば、その弟さんの問題が解決するとしたら、あなたはどうする?」

「えっ……ええ?」

「わたしの侍女に、なってくれるのかしら?」

「――っ」

 アメリアの真っ直ぐな視線に、ハンナは目を見開く。


「も……勿論です。私がお嬢様の侍女になれるなんて……光栄すぎて、想像も出来ませんけど」

「そう。なら問題ないわね」

「……え?」

 そこまで言ってアメリアは、くるりと後ろを振り向いて再びハロルドを見上げた。


「ねぇハロルド」

「……はい、お嬢様」

 ハロルドの頬が引きつる。アメリアが言おうとしていることを、既に察しているのだろう。


「お父様に電報を打ってくれる? 連れ帰る人数が一人増えそうだって」

「お嬢様、それは……」

「あら、弟の為に身を引こうだなんて健気だと思わない? それに病弱の弟が可哀そうよ。こんな劣悪な環境じゃ、良くなるものも良くならないわ」

「ですが……」

 ハロルドは口ごもる。


 確かにアメリアの言う通りではある。が、だからと言って病弱な弟まで引き取るなど、普通ならあり得ない。それも相手はまだ3歳の幼児である。ただでさえ手がかかる年齢なのに病弱となっては、流石のリチャードも承諾しかねるだろう。


 かと言って、一度言い出したら人の言うことなど聞かないアメリアだ。それにこの言い方からすると、アメリアの中では既に確定事項のようである。


「大丈夫よ。弟さんはハンナと同室にするし、薬代もハンナのお給金から出せばいいじゃない? わたしの侍女ならそれなりのお給金は貰えるはずだし。

 勿論、最初から沢山ってわけにはいかないでしょうけど」


 アメリアのこの念押しに、ハロルドはそれ以上何も言うまいと口を閉ざした。アメリアの向こう側で、アメリアの言葉に感極まって今にも泣きだしてしまいそうなハンナの心を尊重したのだ。


「……はぁ。もう勝手にしてください。電報は打ちますが――私は反対したと報告させて頂きますからね」

 ハロルドはそう言って大きなため息をつく。

 けれど、アメリアはそんなことにはお構いなしのようだった。彼女は再びハンナを見やり、にこりと微笑む。


「ではハンナ。改めて、わたしの侍女になってくれるかしら?」

「――っ!」

 アメリアが右手を掲げれば、ハンナはさらに目を大きく見開いた。アメリアのその行動が、およそ信じられないと言うように。


「そんな……本当に、いいんですか?」

「あら、今の話聞いてなかった?」

「――っ」

 聞いていた。聞いていたに決まっている。


 ハンナは再びつばを飲み込んだ。そして今度こそ、ゆっくりとアメリアの右手を取った。


「はい、お嬢様。私、一生お嬢様にお仕えさせていただきます!」



 こうして、ハンナはその弟レオと共にサウスウェル家に引き取られることとなった。

 もちろん父親であるリチャードは最初反対したが、アメリアが一度決めたことを撤回するなどある筈もなく、結局はしぶしぶ承諾した。


 ハンナはまず侍女見習いとして働くことになった。

 彼女の仕事の覚えは早く、あっという間に屋敷になじんだ。また弟のレオは、食事を含めた生活環境と適切な治療により徐々に健康になっていった。

 ハンナの給金の殆どがレオの生活費や薬代に使われたが、それでも衣食住が全て保障された職場で働ける安心感は何物にも代えがたいようで、彼女はその恩を返そうとするかのように真面目に働いた。


 またその一方で、アメリアとハロルドの報告を受けたリチャードによって、ハンナのいた孤児院だけではなくその他の全ての孤児院の運営方法が調査された。その結果判明したのは、小さな不正や子供たちへの過度な躾けを含めると、約4割もの孤児院で問題があることだった。

 それを問題視したリチャードが運営方法を改めことにより、ほどなくして子供たちの生活環境は改善されたのである。


 もちろん、アメリアの宣言した読み書き算術の教師も派遣された。最初はハンナのいた孤児院だけだったが、子供たちはよく学びどんどんと知識を吸収していった。これにより孤児だろうと子供たちには無限の可能性があることを悟ったリチャードは、孤児院の改革を推し進めたのである。


 ――そうして、いつしか10年の月日が流れた。



 それは天気のいい昼下がりのこと。

 ハンナは一枚の便せんを片手に、アメリアの居室を訪れていた。


「お嬢様、見て下さいこれ! レオから手紙が届いたんです!」

 そう言ってアメリアの前に便せんを差し出すハンナは、いつも以上の満面の笑みだ。


「レオから? 私が読んでもいいの?」


 レオは去年からグラマースクールへと通い始めた。

 グラマースクールとは中産階級の子供たちが通う学校で、本来なら労働者階級のレオが通うことは叶わない。けれどレオはとても賢く、才能を潰すのはもったいないと考えたアメリアの計らいによりグラマースクールへと進学したのだ。

 彼は今、以前アメリアの家庭教師をしていた女性の家から通学している。


 そんな彼から手紙が届くのは珍しいことではない。けれど、ハンナがこれほどうれしそうなのは始めてのことだ。一体どんな理由だろうか。


 そう思ったアメリアは、ハンナから手紙を受け取り文面を追っていった。するとそこには几帳面な文字で、奨学金を受けられることになったという内容と、そしてアメリアへの感謝の意が綴られていた。


「凄いわ、レオ」

 アメリアの頬が緩む。

 奨学金を受けられるのは成績上位者2パーセントだけである。つまり、レオの成績は非常に優秀だということだ。

 それに、きっと彼はこれで学費の心配はいらないと言いたいのだろう。アメリアはレオに学費の心配はいらないと言ってあったが、それでは本人の気がすまなかったのだ。


 まぁ何にせよ、レオの成績が優秀なのは喜ばしいことである。


「何かお祝いを送らないとね。何がいいかしら?」

 アメリアはそう言ってハンナに微笑みかけた。

 が、ハンナは両手を振って全力で遠慮するそぶりを見せる。


「そんな、お祝いだなんて、そんなつもりは……!」

「あら、いいのよ。別に宝石を送ろうってんじゃないんだし。

 ひいきするつもりじゃないけど、レオは私の実の弟みたいなものだから」

「お嬢様……そんな、恐れ多い! 本当に私たちは、そのお言葉だけで……」

 感極まったハンナは目じりに涙を浮かべる。それでも当然祝いの品など受け取れる筈もなく、彼女は必死に首を横に振り続けた。



 ――こうして、この後ハンナが根負けしてアメリアの言葉を受け入れるまで、二人の押し問答はしばらくの間続くのだった。



-Fin-

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