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08


 二人はしばらくの間、絶え間なく剣を合わせていた。部屋には金属のぶつかり合う音だけが激しく鳴り響く。


「ナサニエル――ッ!」


 攻めているのはローレンスの方だった。彼は反撃の余地を許さない程の速さで攻撃を繰り出していく。その一方で、ナサニエルはあくまで受け流すことに徹し、自分から攻めようとする素振りは見せない。だがそれはあくまでも、そうする必要がないということを意味していた。


「――はあッ!」


 ローレンスの剣がナサニエルの剣を僅かに押す。怒りに身を焦がし、目の前の敵の息の根を確かに止めようと彼は容赦なく攻撃を繰り返した。しかしそれによって体力が削られていくのもまた事実。その証拠に、雪の降り積もる程の寒さだというのにローレンスの額からは止めどなく汗が滴り落ち、息遣いも荒くなっていく。


 だがそんなローレンスをよそに、ナサニエルは涼しい顔でローレンスの剣を受け流すのみなのだ。息切れ一つすることなく――。


 どれくらい時間が経っただろうか。ナサニエルに斬り込んだローレンスは一瞬バランスを崩してしまった。体重を乗せた利き足が身体についてこられず、彼の剣の切っ先は空をかく。勿論、その隙をナサニエルが見逃す筈はない。


「――おやおや」

 低い声で呟いたナサニエルの右腕が勢いよく横に薙ぐ。その剣がローレンスの剣を弾き飛ばし、その衝撃に耐えきれなかったローレンスは床に倒れ込んだ。弾き飛ばされた剣はカラカラと音をたてて転がっていく。


「くっ」

 ローレンスはすぐさま体制を整えようとした。落とした剣を拾おうと身体を起こし、床を強く蹴って横に跳ぶと、剣に向かって右手を伸ばす。だが、それは間に合わなかった。――ローレンスが剣を拾うより速く、その右手にナサニエルの靴の(かかと)が振り下ろされたのだ。


「ぐう……ッ」

 ――速い。

 ローレンスはナサニエルの素早い動きに驚くと同時に、踏みつけられた右手の痛みに顔を歪めた。剣はナサニエルの居た場所とは真逆の方向に飛んで行ったのだというのに、彼は一瞬で先回りしたのだ。ローレンスが顔を上げれば、そこには蔑むような眼で自分を見下ろす、ナサニエルの顔があった。


「ははっ、いい眺めですよ殿下。しばらくお手合わせをしていなかった数年の間にどれ程成長されたのか様子を伺っておりましたが、……正直に言いまして非情に残念です。様子見するだけ無駄ですね。貴方は今でもあの頃のまま、全くもって隙だらけ。そろそろ体力の限界でしょう?」

「……っ」


 ナサニエルの(かかと)がローレンスの右手を容赦なく踏み潰す。痛みに顔を歪めるローレンスに追い打ちをかけるように、ナサニエルは右手の剣を振り上げた。「最初は確か耳でしたね」――と、そう囁いて。


 次の瞬間、ローレンスの右耳めがけて振り下ろされるナサニエルの剣。そして――切り落とされる、ローレンスの右耳。


「――ッ、が……ああぁああッ!!」


 刹那、右耳から真っ赤な血がどっと溢れ出た。今まで一度だって感じたことのない強い痛みに、ローレンスは断末魔の如く絶叫する。ガタガタと全身を震わせて、体中から冷や汗を吹き出して……彼はナサニエルからどうにか逃れようと必死で抵抗した。だが、ナサニエルがそれを許す筈がない。


「逃しはしませんよ。先程、そうお約束したばかりですからね」

 ナサニエルの唇がニヤリと歪む。


「ですが、左耳は後にしましょう。私の声が聞こえなくなってしまうと困りますから」

「……き……さま」

「ですから次は……左腕です」

「――ッ!」


 再び高く振りあげられる、血に濡れたナサニエルの剣。そしてその切っ先は――恐怖に顔を歪ませるローレンスの左腕めがけて、躊躇うことなく振り下ろされた。


***


 アーサーはそこまで話し終えると、一度口を(つぐ)んだ。

 風向きが変わったのか、木々の焦げる匂いと灰を含んだ風を背後から受けながら、彼は目の前のルイスをじっと見つめる。


 エドワード、ブライアン、エレックも、アーサーの口から語られた衝撃の内容に言葉無く立ち尽くしていた。


 そして、少しの沈黙が流れた。再びアーサーが口を開く。躊躇いがちに、「だが――」と呟いた。


「ナサニエルに左腕を切り落とされるかと思った瞬間――ローレンスは、ソフィアに助けられたんだ」

「何――?」

 その言葉に、ルイスは訝し気に眉をひそめる。


「何がきっかけかはわからないが、ソフィアが正気を取り戻したんだ。彼女はその力でナサニエルの剣を止めると、ローレンスの右目に口づけた。……お前にならその意味がわかるだろう?ソフィアの口づけ――その瞬間、ローレンスの右目にこの力が宿ったんだ」

「……」

「そんなソフィアの行動に、流石のナサニエルも動揺したのだろう。奴はソフィアをローレンスから引き離そうと再びローレンスに襲いかかった。だが、ソフィアはそれを許さなかった」

 アーサーは静かな……だが、凛とした声で続ける。


「ローレンスは最初、ソフィアが自分をカイルだと勘違いしているのだと思っていた。だが、それは違った。彼女はローレンスに向けられたナサニエルの剣を防ぐとこう言ったのだ。“真実を探しなさい。これはその為の力。そして――どうかユリアを守って、ローレンス(・・・・・)”――と」


 その内容に、再びルイスの眉がぴくりと震えた。だが、彼はまだ何一つ言おうとはしない。


「ソフィアにそう言われたローレンスは、右目の力を使ってナサニエルの記憶の一部を覗き見た(・・・・)。そして知ったのだ。ナサニエルの左目に宿るソフィアの力を……。そして、ルイス――城でお前に毒を飲ませるように手を回した黒幕が、他ならぬナサニエル自身であったことを」

「……何だと?」

「だからローレンスは、ソフィアの行動にナサニエルがひるんだ隙を見計らって、隠し持っていた短刀でナサニエルの左目を切り裂いた。それは多分、どちらかと言えば衝動的な行動だったのだろう。そしてそれが、その時のローレンスに出来る精いっぱいのことだった。だがそれを最後にローレンスの意識の一部は魂の奥底に封じ込められ、また、ローレンスを守る為に最後の力を使い果たしたソフィアも、そこで息絶えてしまった。

 そして意識を失ったローレンスが再び城で目を覚ましたとき、ソフィアの亡骸はそこになく、ナサニエルも姿を消していた。それにその時のローレンスはもう本来の彼ではなく、ナサニエルへの深い憎しみに捕らわれていた。だから彼は、それ以後お前に真実を伝えることが出来なかったのだ」


 そう言って、アーサーは再び沈黙した。

 次に口を開いたのはルイスだった。


「……今の話を、信じろと?」

 闇色の瞳でアーサーを見つめ返し、続ける。


「例えそれが事実だとして、お前の犯した罪は変わらない。ナサニエルを狂気に追いやった決定打がお前の過ちであったことに……変わりはない」

「……あぁ、確かにお前の言う通りローレンスの罪は重いだろう。ナサニエルが変わってしまった理由にローレンスの存在があったことは事実だろうからな」


 アーサーは、睨むようにルイスを見つめる。


「だが、今の話を聞いてナサニエルがお前に嘘をついていることはわかった筈だ!かつてのお前に毒を飲ませたのはナサニエルだったのだと!リッキーゼンが関わっていたことには違いないが、そう謀ったのはナサニエル本人に他ならないと!そんな奴をお前は信じられるのか!?この千年、お前に嘘を吐き続けてきたあの男を――、アメリアを襲いさらったあいつを信じると!?

 ……約束通りこの力はお前に返そう。今の話を聞いても……ローレンスがお前のことを心から慕っていたことを知っても尚、この右目を抉り取りたいと望むならそうするがいい。俺はそれでも構わない。だが、これだけは言わせてもらうぞ。そもそもローレンスはソフィアから力を奪ってなどいなかったし、千年たった今も彼女の亡骸の()()など知りはしないと。この右目を抉り、その力を手にしたら自ら確かめ知るがいいさ。――ローレンスは本当に何も知らなかったと。責められるべきは彼ではないと。……それを知ったとき、お前はかつてないほど後悔することになるだろうがな」

「…………」


 アーサーのこの強い物言いに、流石のルイスも顔色を変えざるを得ないようだった。彼は何かを考えるように目蓋を微かに伏せ、――だが、次の瞬間にはアーサーをキッと睨みつけ、腰の剣を一気に引き抜く。


「殿下ッ!」

 咄嗟にエレックが動いた。だが、アーサーは右手でそれを制する。


「……やはり、信じられないか。俺の……言葉は」

 アーサーが尋ねれば、ルイスは苦々しげに吐き捨てる。「勿論だ」――と。そして続けた。


「ローレンス、聞こえているんだろう。今の話、非常に興味深かった。だが、自分に否がないと考えているのならば、何故自分の言葉で伝えない。何故何時までもその身体に閉じこもっている。お前が僕を慕っていると言うのなら……ナサニエルこそが裏切り者だと言うのなら、お前はアーサーの助けなど借りず自分で伝えるべきだった。……それすらも出来ない臆病者の言葉など、聞くに値しない。そうは思わないか」


 そう言ったルイスの剣の切っ先が、アーサーの眼前に据えられる。それは、ローレンスに「出てこい」と……そうでなければ、アーサーの右目を抉ってやるぞ――と、挑発するように。


「…………」

 するとそれに反応したのだろうか。アーサーの両方の目蓋がゆっくりと閉じた。そして――再び目を開くと――ふわりと微笑む。それは決してアーサーの表情では無く……。


「……確かに。昔も……今までも、兄上に見限られるのが怖くて、私は貴方の前に姿を現すことが出来なかった」

 アーサーの身体で静かに微笑む彼は、紛れもなく――。


「……ローレンス」


「心からお詫び申し上げます、敬愛する我が兄上。貴方が望まれるのならば……どうぞ、この右目……お返し致します」


 そう告げたローレンスが、ゆっくりと右足を踏み出す。ルイスの掲げる剣に、自ら突き進むように。

 その躊躇いのない弟の表情にルイスは一瞬肩を揺らしたが、それすらも愛おしいと言うようにローレンスは笑みを深くして――突き進む。そして遂に剣の刃がローレンスの右目に――触れた。


 だが――その刹那。


 唐突に上空から羽音がし、同時に鳥の甲高い鳴き声が響き渡った。ルイスはその声にびくりと背筋を震わせ、我に返ったように剣を引っ込めたのだ。


「べネス……!」

 鳴き声の主はルイスの白いフクロウだった。べネスはルイスの上空を2、3度回転すると元来た方角へ飛び去っていく。その一連の動きは、ルイスに何かを伝えているようだった。


「……兄上?」

 べネスの飛び去った空を見つめ顔を険しくするルイスに、ローレンスは尋ねる。


「どうかなさったのですか?今のフクロウは、ソフィア妃の……?」

「……」


 だが、ルイスはその問いには答えなかった。彼はローレンスを一瞥し剣を鞘へ納めると、まるで何事も無かったかのように馬に(またが)り立ち去ろうとする。だが、ローレンスはそれを遮るように馬の前に立ちはだかった。


「兄上、どちらへ!何があったのです!?」

「お前には関係ない」

「いいえ、関係ない筈がない。一体どうしたと言うのです。言うまで私はここをどかない!」

「……」


 その言葉通りその場から動こうとしないローレンスに、ルイスは小さく息を吐く。


「ウィリアムがナサニエルと接触した。……ユリアもそこにいる」

「――っ」

 その内容に、ローレンスだけでなくエドワードらも顔色を変えた。

 ルイスは続ける。


「だからお前は後回しだ、僕は行く。そこをどけ」


 それは威圧的な声だった。だが、ローレンスはそこをどこうとはしない。それどころか彼は馬に駆け寄り、馬上のルイスの腕を強く掴む。


「私も行きます。兄上が認めずとも、ユリアは確かに私の娘。彼女の身を守る義務と……その理由がある。それに私は……兄上、貴方を放ってはおけません。もう二度と後悔したくないのです。ですから――どうか」

 その真剣な眼差しに、ルイスは一瞬眉を震わせた。こんな状況であるというのに、掴まれた右腕の感覚が――(いにしえ)の感覚を思い起こさせる。

 そのせいだろうか、彼はつい――口にしてしまっていた。


「お前の身の保証は出来んぞ。それでも行くか」――と。

 そして我に返った。こんなこと言うつもりではなかったとでも言うように。勿論、今の言葉をローレンスが見逃す筈はない。


 ローレンスは小さく微笑むと、ルイスの許可を得ることなく馬に飛び乗った。ルイスの背中にぴったりと身体をつけると――手を前に伸ばして手綱を掴む。


「……っ、ローレンス」

「参りましょう、兄上」

 そう言って手綱を引こうとし、けれど一度だけ背後を振り返った。そこには自分を射るように見つめるエドワードらの姿がある。


 ローレンスはそんな彼らに、穏やかな声で命じた。


「お前たちはそこに寝ている娘を連れ安全な場所に移動しろ。そして大人しくしているんだ。後のことは全て私がなんとかする。これはアーサーからの命令だ」――と。


 そしてルイスとローレンスは、立ち尽くす3人を残しその場を後にした。


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