06
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このダイニングは離れであるとは言え、部屋の雰囲気は全体的に重厚かつセンスよく纏められていた。庭だけ見ればこの屋敷の主は少々変わった人物なのかと思われたが、この内装を見る限り子爵はそこまで可笑しな方でもなさそうだ。ウィリアムがそう思うくらいには一見普通の部屋であった。
……ただ一つ、暗すぎることを除いては。
エリオットに続きダイニングに足を踏み入れた三人は、その薄暗さに圧倒された。まず天井が暗いのだ。三人が上を見上げれば、そこにはシャンデリアがぶら下がってはいたがロウソクの灯りは付いていない。どうやらここの灯りは、十人掛けの長方形のテーブルの左右と、壁に均等に配置された数台の燭台のみのようである。
それに四人分の食事は既に用意されているものの、給仕の姿がどこにも見えない。
それを不審に思った三人の様子に気付いたのか、エリオットは困ったように苦笑した。
「ここは普段使われていないみたいだからね。わざわざ僕ら二人の為だけに天井に灯りを入れてもらうのは気がひけるだろう?……それと世話人はね、初日のうちに僕が全部断ったんだ。ユリアが嫌がるからさ。彼女は人に世話されることに慣れてないから。――あ、でも安心して。流石にユリアの朝の支度や湯浴みは僕には手伝えないから、ちゃんとメイドに来てもらってる」
そう言って、エリオットはわざとらしく肩をすくめる。
それは間違いなくウィリアムを挑発しているような態度で、あまりの非礼さにトリスタンは声を上げそうになった。ライオネルの姿をしたエリオットの得体の知れなさに、冷やりとした一種の恐怖と強い怒りを感じながら……。けれど当のウィリアムは「そうか」と短く答えるのみ。ただ、その視線はエリオットをじっと見据えて放さない。
「あれ、怒らないんだ?」
エリオットが問えば、ウィリアムは皮肉げに微笑み口を開く。
「俺を苛立たせるつもりだと分かっている相手の言葉に乗ってやる程、お人好しじゃないんでな」
「…………」
「そんなことより早く本題に入ってくれないか。話をしたいと言ったのは、エリオット。お前の方なのだからな」
「……そうだね、確かに君の言う通り。
わかったよ。じゃあさっそく話そうか。千年前、僕らの身に何が起きたのか。そして今、何が起きているのかを。僕らにかけられた呪いの正体と――ユリアの記憶が消された訳を……。
だから君も僕に教えてくれ。君はアーサーから聞かされている筈だ。千年前にエターニア王家で、ユリウスとローレンスの間に一体何があったのか。僕はどうしてもそれを知りたい。――僕らの呪いを、永遠に解く為に」
「…………あぁ、わかった。いいだろう」
そうして二人はようやく、向かい合う形で席についた。
*
結局トリスタンとマークは席につくことなく、ウィリアムの背後左右で控える形をとった。それは彼らが、あくまでも騎士でしかない自分達が、まして任務中に、主人であるウィリアムと共に食事を取ることは許されないと言い張ったからだ。勿論これは彼らがエリオットの用意させた食事を警戒してのことであり、ウィリアムもそれをよく理解していたため無理強いはしなかった。
「毒なんて入ってないよ」と呟きながら、エリオットはフォークでサラダを口に運ぶ。そして続けた。「でも、その警戒心剥き出しなところは嫌いじゃない」――と。
ウィリアムはその言葉に眉をひそめる。一体この男の言葉をどこまで信じてもいいものかと。
「さぁ、君もどうぞ」
エリオットは、トマトにフォークの先端を勢いよく突き刺しながらにこりと微笑む。そのどこか不適な笑みに、ウィリアムは背中にうすら寒いものを感じた。恐らく自分がこれを口にするまで、エリオットは何も話しはしないのだろう――そう悟って、サラダを口に運ぶ。だが、いたって普通の味だった。
――杞憂だったか。
目の前のエリオットは、ウィリアムが喉をごくりと鳴らすのを見届けてようやく本題に入る。
「千年前のことになる。今は名前が変わってしまっているけど、僕はここエターニアの西の国に住んでいた。具体的には、ダミアの南西に広がる広大な森の向こう側、国境線沿いのアストフィールドという小さな町だ。
ユリアに出会ったのは僕が八歳のとき。友人たちと森に入って遊んでいたら皆とはぐれてしまってね。気付いたときには見覚えのない場所にいた。途方に暮れた僕は、友人たちの名前を叫びながらそれでも歩き続けていたんだよ。そんなときだ、突然ユリアが……空から降ってきた」
「……空?」
「そう。彼女はどうやら木の上で昼寝をしていたようで、僕の声に驚いて落っこちてきたんだ。僕はユリアの下敷きになって頭を打ってね。……あのとき僕を見下ろしていた彼女の顔は今でも忘れられないよ。それまで見てきたどんな女の子よりも可愛くて、天使が舞い降りて来たのかと思ったんだ」
「…………天使?」
ウィリアムは眉をひそめた。この出会いの話は今必要な話なのか――?と。
だが当のエリオットは満足そうに微笑み、口を閉ざすことなく続ける。
「そう、僕の一目惚れだった。笑顔が本当に素敵でね、すぐに彼女に夢中になったよ。そして彼女も、年の近い初めての友人である僕に、すぐに気を許してくれた」
「初めての友人?」
ウィリアムの問いに、エリオットは小さく頷く。
「彼女はおばあさんと二人きりで森に住んでいて、町の子供では無かったんだ。僕に出会うまで、おばあさん以外の人間にはただの一度も会ったことがないと言っていた。ユリア曰く、森に捨てられていた赤ん坊の自分を、おばあさんが拾って育ててくれた――とね。
彼女はおばあさんに言いつけられていたらしい。決して森から出てはいけないと。もしも森で人を見かけても、決して声をかけてはいけないと」
そう言って、エリオットはかすかに目を細めた。「それはどうしてだ」と問うウィリアムに、「君は既にその答えを知っているんじゃないかな」と唇を歪める。
その返答に、ウィリアムは一瞬視線を泳がせた。そう、彼は確かに知っていた。ローレンスより聞かされたユリアの正体。それが、彼女を森から出したくなかった理由――。
「彼女が、王女だったから……?」
ウィリアムが呟けば、エリオットはぴくりと眉を震わせ、ほんの一瞬押し黙る。
「……そうだ。ユリアはエターニアの王女だった。おばあさんはそれを知っていたんだろう。だから彼女を森から出さないようにしていた。でも彼女は僕と出会ってしまい、何も知らなかった僕は彼女を町に連れ出すようになってしまった。――そしてそんなある日、僕らの前に先生が現れたんだ」
「先生?」
「あぁ。ナサニエル・シルクレット――それが先生の名前だ。千年前も、そして今も、彼は医者を名乗っている。でも本当は違ったんだ。二週間前教会で僕らをさらった先生は、僕に言ったよ。自分はかつてのエターニアの王妃であった、ソフィアの騎士であると。ソフィアの命を受け、ユリウスとユリアの命をローレンスから守る為に、僕らを連れ去ったんだと」
「……」
「はっきり言って僕はその言葉を信じちゃいない。でもただひとつ確かなのは、千年前に先生が僕らの前に現れたのは、僕らを監視する為だったのだと言うこと。
だが千年前の僕はそんなこと少しも知らなかった。だから僕はユリアのおばあさんが病気で死んだのを期に、先生の反対も聞かずに彼女を連れて町を飛び出してしまったんだ。それが彼女を死に追いやることになるなんて、少しも思わずに……」
エリオットの表情が陰る。それはこの部屋の暗さも相まって酷く虚ろに見えた。彼はウィリアムから視線を反らし、フォークをテーブルに置く。小さく息を吐いて、躊躇うように口を開けた。
「実は僕、おばあさんから一つだけ聞いていたことがあるんだ。ユリアは捨て子なんかじゃない、人から預かった子供だと。おばあさんが死んだ後、それを証明する手紙も見つけた。ユリアが成人を迎える頃、迎えに行くと書かれた手紙を。……今ならわかる。それはユリウスからユリアに宛てられた物だったって。
でも当時の僕はそれがどうしても許せなくて、彼女がまだ何も知らないのをいいことに手紙を燃やしてしまったんだ。このまま森にいてはいずれ彼女は連れて行かれてしまう。そう思った僕は彼女を連れて町を出て……でも彼女が成人を迎えるころ、何者かに拐われ僕の前から姿を消した。再び彼女を森で見つけたときは、既に息を引き取った後だった。……だから、僕も彼女の後を追って死んだんだ」
「……そんなことが」
この話が真実だという証拠は何一つない。全てエリオットの虚言の可能性だってある。だがウィリアムにはどうしても嘘だとは思えなかった。トリスタンとマークは終止困惑した表情で時折ウィリアムに声をかけるのだったが、ウィリアムはそれを静止しエリオットの言葉を一言一句聞き逃すまいとした。
エリオットは続ける。暗く震えるような声で、ユリアに宛てられた首飾りの存在を。――そこに込められたソフィアの力を狙ったローレンスの手によって、ナサニエルが殺されたことも。そしてその黒曜石にとある願いをしてしまったことで、エリオットの魂は二つに割れ、ユリアは記憶を無くすことなく何度も転生を繰り返すことになってしまったことも。
「ウィリアム、君はもう気付いている筈だ。ユリアがどうして君を遠ざけようとしたのか、何故君に嫌われようとしていたのか――」
エリオットの瞳が細められる。ウィリアムを射るように――その心の奥底を見透かすように。
「それは彼女が、自分と心を通わせた君は必ず命を落としてしまうとわかっていたからだ。彼女はこの千年の間、何度も君と想いを通わせようと努力していた。君に好かれようと、何も覚えていない、思い出しもしない君の心を繋ぎ止めようと……必死にね。
でも駄目だったんだ。何度やり直そうとも、ユリアと愛し合った君は、死ぬ運命から逃れることは出来なかった。……魂の欠けた君の身体では、ユリアと結ばれることはないんだよ。今のままの君では永遠に彼女を幸せに出来ない。
わかるだろう?――このままだと、君は直ぐにでも死ぬ」
「――っ」
刹那、見開かれるウィリアムの瞳。
――彼は思い出したのだ。以前ルイスから告げられた自分の秘密を。それは、今のエリオットの話した内容と酷似しているのでは……と。
だがエリオットの言葉を信じられないマークとトリスタンは、いよいよ顔を赤くして声を荒げる。
「黙れライオネル!お前が何者だろうが今の言葉は貴族への侮辱罪に値する!この場で切り捨てられても構わない覚悟あっての言葉だろうな!?」
「伯爵!まさかこんなお伽噺のような話を信じるなどとは仰られないですよね!?余りにも内容が馬鹿げています!」
彼らは腰の剣に手を添え、全身から殺気を解き放った。今にもテーブルに飛び乗りエリオットに斬りかからんとする勢いで、構えの姿勢を取る二人。――だが。
「やめろ」
低く――唸るように呟く声。それは紛れもなく、ウィリアムのもので――。
「ですが!」
「こいつは貴方を――!」
瞬間、振り上げられたウィリアムの右手――その拳が、勢いよくテーブルに降り下ろされる。食器が悲鳴を上げ……倒れたグラスから赤いワインが零れ出た。
「止めろと言っている」
「――っ」
「……で……ですが」
「聞こえなかったのか、俺は今この男と話をしてるんだ。お前たちは黙っていろ。いいと言うまで口を開くな」
それは怖いくらいに冷静な……けれど酷く冷たい声だった。その鋭く研ぎ澄まされた氷の刃のような声音に――マークとトリスタンは今度こそ静止した。顔を見なくてもわかる。――ウィリアムは今、怒っているのだと。
「話を続けろ」
そう告げたウィリアムの瞳からはいつの間にか色が消えていた。まるで虚空を見つめるように、エリオットの居るそのずっと先を見据えて放さない。
そんなウィリアムの様子に、エリオットは小さく唇の端を上げる。
「――先生は言っていた。彼の目的、それはアーサーの右目と、この僕の魂に刻まれたソフィアの力をユリウスの手に取り戻すことだ、と。その為に教会で、僕とユリアを拐ったんだと。
でも、それっておかしいと思わないかい?ユリウスは君を痛く気に入っているようだったし、アーサーに敵意を持っているようにも感じられなかった。それだけじゃない、ライオネルの中の僕の存在に勘づいたユリウスは、僕とユリアを引き合わせようとまでしたんだ。ユリウスがあのまま上手くやっていれば、もしかしたらこんな大事にせずに話し合いで済んだかもしれないじゃないか。
それなのに先生は教会を壊し、コンラッド卿を死に追いやってまで僕らを拐った。アーサーや君に、敢えて喧嘩を売るような真似をしてね……。こんなの、どう考えたっておかしいだろう?」
「……」




