06
「……誰?」
中から聞こえた声に「僕だよ」とエリオットが応えれば、少しして扉が開かれた。けれどそれはようやく顔が覗けるかと言うほどの隙間のみ。一体どうして――そう思ったエリオットが「ユリア」と呟けば、ドアの向こうのアメリアの髪が微かに揺れた。
それと同時に、彼は悟る。――彼女は泣いていたのだ、と。その証拠に、隙間から覗くアメリアの瞼は赤く腫れていた。
「……っ」
その痛々しい姿に、エリオットは地図を握り締める右手に力を込める。罪悪感が彼を襲った。――アメリアを泣かせたのは間違いなく自分なのだ、と。けれどそれもこれが最後。彼女の記憶を消しさえすれば、もう苦しませることはない。――エリオットは一瞬揺らいだ決意を、再び固く心に決める。
「中に入れてくれないかな。君と話がしたいんだ」
「……」
けれどアメリアは答えなかった。そのまま部屋の奥へと消えていく。しかし、駄目だと言わないということは良いということだろう。エリオットはそう判断し、アメリアの背中を追って部屋に入ると静かに扉を閉めた。
「……話って」
その声は掠れていた。――泣いた後の声だ。
窓際に立ち、自分に背を向けたままのアメリアに、エリオットは静かに語り掛ける。
「さっきはごめんね、僕、ほんとうは知ってたんだ。君がウィリアムを愛しているって……本当は知ってたんだ」
その言葉に、アメリアの肩がびくりと震えた。
「知ってたのに……君を困らせるようなことを言った。また、君を泣かせた。ごめんね、ユリア。こんなことになったのは、僕のせいなんだ。君の記憶が消えないのも、全部全部僕のせいなんだよ」
「――っ」
その告白に、アメリアはエリオットの方を振り向いた。
――それは一体どういう意味なのか。そう言いたげに顔を歪めたアメリアの碧い瞳が、エリオットをこれでもかと言うほどにじっと見つめる。エリオットはそれに応えるように、切なげに微笑んだ。
「昔話をしよう。僕が犯した罪を……、そして、君を苦しめた僕への罰を」
そう言って彼は、静かに静かに語り始めた。
*
エリオットはアメリアに話して聞かせた。千年前、ユリアに宛てられた手紙を燃やしてしまったこと。そこに同封されていた首飾りを妹に渡してしまったこと。その為に、ユリアがさらわれてしまったこと。そして、あの日森でナサニエルがローレンスに殺され、首飾りを取り返しはしたがユリアの命を助けられなかったこと。――その全てを、アメリアは俯いたまま黙って聞いていた。
「そしてあの日、君の亡骸を抱えて僕は湖に沈んだんだ。君と永遠に一緒になれると思って……。だけど――」
エリオットは俯く。その瞳は、深い自責の念に揺れていた。
「……僕は死ぬ間際、無意識のうちに首飾りに願ってしまった」
石にソフィアの力が込められていることを知らずに――。そう、エリオットが悲し気に告げる。
アメリアの瞳が揺らめいた。
「……何を、願ったの?」
アメリアの呟きに、微かに微笑むエリオット。窓から差し込む夕日が、エリオットの頬を赤く染める。
「君が僕を忘れないように、って。僕がもう一度君に会いに行くまで、決して僕を忘れないでいて、って」
それはエリオットの、嘘偽りのない言葉。紛れもない、真実。
ライオネルの姿をしていてもそれは確かにエリオットの言葉で、彼の真摯な眼差しで――アメリアは、切なげに瞼を伏せた。
「でも、それは決して願ってはいけないことだったんだ。石の力は絶大で……僕の魂はその力に堪えられず、二つに割れてしまった。そして僕は、永遠に身体を失ったんだ」
「……そんな」
その言葉に、アメリアはようやく理解した。どうしてウィリアムは昔のことを覚えていないのか。自分だけが記憶を忘れられないのか。――それはエリオットの魂が二つに分かれてしまったから。あの頃の記憶を持った方のエリオットは、身体を失くしてしまったからなのだ、と。
「確かに僕の願いは叶ったよ。君は決して僕を忘れなかった。何度死んでも、何度生まれ変わっても、僕の半身を追い続けた。――でも、半分の魂しか宿さない半身の身体は、君の愛に堪えられない。不完全だから、君とは決して結ばれることは無いんだ」
エリオットの顔が――酷く歪んだ。それは自分を責めるように、今にも泣きだしそうに――。
「ごめんね、ユリア。こんなことになったのは、全部全部僕のせいなんだ。ずっと君に謝りたかった。あんなこと、願ったらいけなかったんだ、僕――」
エリオットはとうとう俯いた。奥歯を強く噛み締めて、――アメリアから視線を逸らす。そんな彼の姿に、アメリアは窓際から一歩一歩とエリオットに歩み寄った。
彼女も理解したのだ。千年――その長い時間を辛く過ごしきたのは、自分だけでは無かったと。エリオットも、同じように記憶を忘れられず、ずっと彷徨っていたのだと。
だからアメリアは、エリオットの苦し気な顔をそっと覗き込んで、優しく微笑んだ。
「……エリオット、あなたも……苦しんだのね。私だけじゃ、なかったのね」
「――っ」
その柔らかな笑顔に、再びエリオットの中に罪悪感が沸き上がる。――本当にアメリアの記憶を消していいのかと、再び彼の決意が揺らいだ。けれど、もう彼にはそれしか方法がなかった。アメリアを手に入れる為には、それしか残されていなかった。
エリオットの唇が、再びゆっくりと開かれる。
「最初は――領主とただの町娘だったね」
「……!」
そう――それはアメリアの最初の転生のこと。辛く長い記憶の始まり――。
エリオットはアメリアの記憶を呼び起こすように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕は屋敷の窓から君を見ていた。半身のすぐ隣で――屋敷の門の前で泣いている君の姿を見ていたんだよ。でもあれは僕の身体ではなかったから、どうすることも出来なかった。本当はすぐさま駆け出して、君を抱きしめてあげたかった。――でもそれは決して叶わない。そんなある日、僕は君が病で死んだことを知ったんだ」
エリオットはアメリアを見つめたまま、落ち着いた声音で続ける。
「――君は不思議に思わなかった?君が生まれ変わるとその度に必ず僕がいる。それも君と同じくらいの歳で……。おかしいとは思わなかった?」
「……え?」
刹那、エリオットの顔が自嘲気味に微笑んだ。
「僕はね、君が死んだと知る度に、僕の半身を殺していたんだ。生まれ変わる君が再び僕の半身と出会えるようにって。最初の頃は、君が僕の半身と結ばれてくれればって思っていたから。僕じゃないけど、それでも彼は僕だから。君が幸せになってくれさえすれば、僕はそれで良かったから。――でも」
そして再び辛そうに顔を歪めて、言葉を飲み込むエリオット。アメリアはそんな彼の左手を、震える両手でそっと包み込んだ。彼女はエリオットの言葉を補うように、口を開く。
「……私と想いが通い合うと、もう一人のあなたは必ず死んでしまった」
「……そう、君と心を通わせると、僕の半身は必ず死ぬ。何度繰り返しても、決して君とは結ばれない。そしてそれに気づいた君は、とうとう僕を遠ざけた。――だから僕も、諦めたんだ」
それはあまりにも辛い現実だった。結ばれたいと願った故に、二度と結ばれることは叶わなくなったのだ。
「暫くの間僕は眠っていた。他人の身体の中で。僕とよく似た人間の心の奥深くで――ずっとずっと眠っていた。でも、再び目覚めたんだ。――君が、ウィリアムと出会ったからだよ」
「――っ」
「君が彼に出会って、僕はライオネルの中で目覚めたんだ。再び君が僕を愛そうとしてくれている。――本当に嬉しかった。でも、僕は知ってしまったんだ。ルイスや――アーサー……そして先生が、僕の魂に刻まれた石の力を欲していることを」
「……どういう、こと?」
アメリアの顔が強張る。――ルイスと、アーサー、そして……ナサニエル。その三人の名前に、アメリアの中で思い出されるのは、ルイスの語った彼の過去、そして、自身の古の記憶。
「ルイスも先生も石を欲していた。そして昔のアーサー……ローレンスも石の力を狙っていた。だから彼らはウィリアムに近づいたし、彼の記憶を呼び起こそうとした。それが難しいとわかって今度は君にも近づいた。――でもその力を、ウィリアムも君も持っていない。ありかだって知る筈もない。だってその力は僕が持っているんだから。千年たった今も、未だ僕の魂に刻まれたままなんだから。――でも、とうとう先生にそのことを気づかれてしまった。だから先生は僕らをさらったんだ。僕らがアーサーの手に落ちる前に」
「――っ」
そのあまりの内容に、アメリアは絶句し言葉を失くした。彼女は確かに知っていた。ルイスがアーサーを憎んでいることを。アーサーに近づく為にウィリアムに近づいたのだろうということを。
けれどそれでも信じていたのだ。ウィリアムを愛し愛されれば、彼の命を助けると言ったルイスのその言葉を。それなのに今のエリオットの話が本当なら、それらは全て嘘だったということになるのではないのか。ただその石の力を手に入れる為だけにウィリアムに近づいたのだとしたら……このまま自分がウィリアムの傍に居続ければ、やはり彼は命を落とすのだと、そういうことになるのではないか。
――アメリアの顔から、一瞬で血の気が引く。
「――嘘」
茫然と呟くアメリアの身体から力が抜け、そのままその場にへたり込んだ。エリオットはそんなアメリアを安心させようと、その肩をそっと抱きしめる。そして、どこか切なげに微笑んだ。
「でも安心して。――大丈夫だよ。一つだけ方法があるんだ、ウィリアムを助ける方法が」
その言葉に、アメリアの俯いた顔がエリオット仰ぎ見た。その顔には、不安と微かな期待が垣間見える。
「僕が――ウィリアムと一つになればいいんだよ。そうすれば、彼は助かる。君とも、結ばれる」
「それは……」
――一体どういう意味?
アメリアが呟けば、エリオットは目を細めた。
「僕の二つに割れた魂を一つに戻せばいいんだ。そうすれば、もうウィリアムは死なない」
「――でも、そうしたら……あなたはどうなるの?ウィリアムはウィリアムのままでいられるの?」
「大丈夫、僕の魂の本体はウィリアムの方だから。僕の意識は消えるけど……彼は彼のまま、君と生き続けることが出来るよ」
「――あなたは……消えちゃうの?」
アメリアの問いに、エリオットは悲し気に小さく頷く。そして微笑んだ。
「いいんだよ。身体は無かったけど……僕はもう十分長く生きた。それに、もう一度君とこうやって言葉を交わすことが出来た。それだけで十分だよ。――それにね、ユリア。僕の意識が消えても、それは僕が死ぬってことじゃないんだ。僕はウィリアムの中で生き続ける。だって僕は、ウィリアムでもあるんだから」
「……でも、だって――それじゃあ……」
その言葉に、アメリアは声を震わせる。
――やっと会えたのに……、と。
「ユリア、本当にいいんだ。僕はもう疲れちゃったんだよ。――これは君の為でもあるけど、僕の為でもあるんだ。僕は君が幸せになってくれればいいと思っていたけど、でも同時に、もう一人の僕に嫉妬していた。――君に愛される彼を、僕自身を見ているのが本当に辛かった。随分勝手だけど……もう、楽になりたいんだ」




