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犬の哲学(ディオゲネス)

【チャプター・サマリー】

オリオン侵攻編の決戦の火蓋がここに切られる。イザベラとマディ・ロール将軍に対するは、狂犬ディオゲネス。真逆の存在であるイザベラとディオゲネス……果たして勝つのはどちらか?

——汚れきった大地に、半裸同然のひょろ長い骸骨のようなサイボーグが座り込んでいる。


周囲には無数の機械犬が徘徊し、彼自身は手ずから集めた樽のような屑鉄の山で無防備に寝転がっていた。

ディオゲネスである。


そのおぞましい姿に、イザベラは露骨な嫌悪感を示した。

常に完璧なビジュアルを追求し、全宇宙の視線を惹きつける彼女にとって、この薄汚いサイボーグの存在そのものが許しがたい不快感の源だったのだ。


「こんなの、さっさと終わらせるわ。キモくて見てられない!」


イザベラは苛立たしげに片手を天へと掲げる。


ブワァァァァッ!


その手から高純度のドグマ(信仰エネルギー)が眩く放射され、ディオゲネスへと一気に放たれた。

群がっていた機械犬たちが光の奔流に怯えて散開する。


「キャハハハッ!」


迫り来るドグマの光を前にして、ディオゲネスはヒステリックに笑い出した。


避ける素振りすら見せない。

恐怖の欠片もない。


それどころか、退屈そうに欠伸を一つ零し……有刺鉄線が絡みついた腕をゆっくりと持ち上げた。


イザベラの輝かしいエネルギーが、彼を取り巻く大気に触れたその瞬間——。


ガァンッ!!


巨大な錆びたハンマーが、光の奔流を真正面から叩き潰した。


ディオゲネスの『狂犬のエコー』の前に、高圧縮されたエネルギーは数秒で腐食していく。

致命的な一撃となるはずの光輝は、ただの薄汚い灰へと成り下がった。


「……え?」


イザベラが驚愕に目を丸くする中、ディオゲネスは手のひらに残った灰をフゥッと吹き飛ばし、彼女たちへと散らしてみせた。


「これがオメェらの全力かよ? 騙された馬鹿共の歓声で作った、安っぽいお遊戯会じゃねェか! キャハハハ!」


耳障りなしゃがれ声で嘲りながら、ディオゲネスは自身のガリガリの腹を掻く。


「このゴミ捨て場じゃなァ、偽物の光なんてのは全部錆びて死ぬんだよ。プラスチックの人形さんよォ、オメェの力は脆すぎるぜェ!」


ガシャンッ、ガシャンッ……。


マディ・ロール将軍が重い足取りで進み出る。巨大な重火器を引きずりながら、イザベラを守る堅牢な盾のように立ち塞がった。


「イザベラ様、ドグマの備蓄は温存してください。奴はエネルギーを遠隔で分解する『エコー』を持っているようです」


マディ・ロールが低い声で告げ、鋭い視線で戦場を分析する。


「遠距離攻撃は通用しません……。私が、直接の近接戦闘で粉砕します」


ダダダダダダダダッ!!


将軍がガトリング銃の引き金を引く。

しかし、ディオゲネスは銃弾が放たれるよりも早く、その場からひらりと飛び退いていた。


ガウッ! ギャンギャンッ!!


主の動きに呼応し、機械犬たちが一斉に吠え立てた。

群れは戦列を組み、ディオゲネスの周囲をぐるぐると回りながら威嚇の牙を剥く。


「……なんだ、あの無軌道な動きは?」


マディ・ロールは訝しげに銃身を下げた。


グィィィィン……ッ!


機械犬たちが顎をカパッと開き、その喉奥に高出力のレーザーを充填し始める。

次の瞬間——。


ズドドドドォォォォンッ!!


無秩序。

完全にデタラメな乱射。


照準も戦術も何もない、ただ破壊を撒き散らすだけの乱撃が全方位に放たれた。


「イザベラ様、お危ういッ!」


マディ・ロールが叫び、咄嗟にイザベラを抱え込んで走り出す。狂乱のレーザーの雨から間一髪で逃れた。


ガシャァァン!


二人は巨大な屑鉄の山の裏へと滑り込み、身を隠した。


(……極めて厄介だ。私は常に敵の行動パターンを分析し、長所と短所を見極め、戦術を構築して打ち破ってきた)


マディ・ロールは荒い息を吐きながら、脳内で戦況を整理する。


(このような、一切の法則性がない『完全な混沌』を相手にするのは分が悪い。奴らは……我々の相性を完全に計算して、戦場を分断したというのか……!)


「最悪、最悪、サイアクよッ!! 色合いもくすんでるし、シンメトリーなんて欠片もないし、あの犬共のフォルムも吐き気がするほどダサいわ!!」


頭上を飛び交う乱雑なレーザーを見て、イザベラは美意識を蹂躙された怒りで絶叫した。


(イザベラ様……頼むから、今はその表面的なビジュアルの話はやめていただきたい……)


将軍は内心で深く頭を抱えた。


「キャハハハハハハハッ!!」


不快極まりない哄笑が響く。声の主など確認するまでもない。


「オメェらのポンコツ帝国じゃ、大層な大スター様なんだろォ!? それがどうした、白服のオッサンの背中に隠れて、野良犬からコソコソ逃げ回るドブネズミじゃねェか!」


(……まずいッ! イザベラ様は、ああいう安易な挑発に死ぬほど弱い!!)


マディ・ロールは顔面を蒼白にさせながら、隣のイザベラを振り返った。


屑鉄の向こうで、ディオゲネスが二人の隠れ場所へと指を突きつける。


「オメェが『信者』と呼んでる連中はなァ、全部フェイクに群がってるだけなんだよ! 見ろよそのツラを! 綺麗に加工された肉の塊だがなァ、その裏には数百万の嘘が塗りたくられてるんだよ!」


狂犬の言葉が、イザベラの最も触れられたくない芯を容赦なく抉る。


「オメェの笑顔も嘘! 顔も嘘! その着飾ったポーズも全部嘘っぱちだ! オメェは詐欺師だから強いだけだ。メッキが剥がれりゃ……オメェは空っぽの『無』なんだよ!」


ディオゲネスは両腕を天へと広げた。


「キャハハハッ! 見ろよ、俺様の可愛い犬共を! コイツらは『本物』だ。俺様が汚らしくてガリガリだろうが関係ねェ。自分の本能に従って、好き勝手やってるだけだ!」


「プラトンやアリストテレスの気取った信者共とは違う! ……もちろん、オメェみたいな薄っぺらい女ともなァ!」


「俺様の信条は、オメェの信条と決定的に真逆なんだよ。だからこそ、俺様はオメェを指名したのさ。俺様はなァ……オメェみたいな奴がヘドが出るほど大嫌いなんだよォ!」


(指名した……? やはり、我々を分断したのは偶然ではないということか)


マディ・ロールの脳内で冷たい思考が巡る。


(しかし、ならば……なぜこの私までもが、ここに隔離されたのだ?)


狂犬の嘲笑を浴びて……イザベラの表情が完全に凍りついた。

彼女は隠れていた屑鉄の山から姿を現し、ディオゲネスと機械犬の群れの前に堂々と立ち塞がる。


「アタシは詐欺師なんかじゃないわよ、この薄汚い駄犬ッ! アタシには何百万もの熱狂的なファンがいるんだから! その身で味わいなさいッ!」


激怒したイザベラが絶叫する。

その両手から、高密度の信仰エネルギーであるドグマが爆発的に膨れ上がった。


ズガガガガガガッ!!


ディオゲネスと整列していた犬の群れの足元から、ドグマの光が地下から噴き出す滝のように大爆発を起こす。

哀れな機械犬の大半が、一瞬にして光に飲み込まれ消し飛んだ。


「今こそ……反撃の好機ッ!」


マディ・ロール将軍マディ・ロールしょうぐんが重機関銃を構え、自らも遮蔽物から飛び出した。


ダダダダダダダダッ!!


ドグマの爆撃から逃れようとする残存の機械犬たちを、容赦ない銃弾の嵐が次々と粉砕していく。


将軍はそのまま銃口をディオゲネスへと向けるが——狂犬はそれを嘲笑うかのように軽々と躱す。

そして、何もない虚空からあの巨大な錆びたハンマーを引き摺り出した。


「キャハハハッ! これだよこれェ! 待ってたぜェ……ようやくあの《チキン野郎の皇帝》の嫁さんと殺し合えるってわけだ!」


自分の機械犬が全滅したというのに、ディオゲネスは微塵も気にする素振りを見せない。

それどころか、錆びついた金属の牙を剥き出しにして、病的な笑みをさらに深くした。


「キャハハハハ! 図星突かれてキレちまったかァ、プラスチックのお姫様よォ!」


黒い油を滴らせる巨大なハンマーをぶんぶんと振り回し、ディオゲネスが叫ぶ。


ドスゥゥッ!


マディ・ロールが地を蹴り、ディオゲネスの側面へ回り込んでその頭蓋へ致命の一撃を叩き込もうとする。


だが……ディオゲネスが狙ったのは将軍でも、イザベラ本人でもなかった。


ビョォォンッ!


バネ仕掛けのようなデタラメな跳躍で空へと舞い上がった狂犬は、ハンマーを大きく振りかぶる。

その狙いは——イザベラの頭上に聳え立つ屑鉄の山にぶら下がった、巨大な化学薬品のタンクだった。


(——違う……ッ! 我々が標的ではない! あのタンクが狙いだ!)


マディ・ロールは内心で絶叫し、主君を守るべく全力で駆け出した。


だが……遅かった。


ドゴォォォォンッ!!


金属のタンクが爆発的に破裂する。

中から溢れ出したのは、粘着質で真っ黒な油と、悪臭を放つ化学ヘドロの濁流だった。


将軍はその濁流の一部をその胸で受け止めた。

だが……最も大量で、最も最悪な汚泥の波は——イザベラの全身へと、容赦なく降り注いだ。


ビチャァァァァッ……!


その悍ましい汚物が彼女を包み込んだ瞬間、イザベラの両手で輝いていたドグマの光は、ジュッと音を立てて完全に掻き消えた。


真っ白で美しいドレスは真っ黒に染まり、完璧にセットされた髪型は崩れ落ち、ベタベタになった髪が顔に張り付く。

入念に施されたメイクはドロドロに溶け落ち……その姿は、見る影もなく醜悪なものへと成り果てていた。


ピタリ……。


イザベラは完全に動きを止めた。

その場に縫い付けられたように立ち尽くし、油に塗れた前髪で両眼を隠すように、深く首を垂れている。


「キャハハハハハハハッ!!」


ディオゲネスが腹を抱え、錆びたハンマーで地面をバンバンと叩きながら、かつてないほどの狂笑を爆発させた。


「見ろよ見ろよォ! 作り物の嘘っぱちをよォ! 人形がドロドロに溶けちまったぜェ! ゴミはゴミ箱へお帰りだ! オメェのそのピカピカの光はどこへ行っちまったんだァ、この薄汚い詐欺師がァ!!」


マディ・ロールの動きが止まる。

彼は今、目の前に迫り来る『とてつもない巨大な危機』を肌で感じ取っていた。


(——マズい。これは、非常にマズい……ッ!)


将軍は戦慄する。


(ドグマの波長が完全に乱れている……いや、論理的な限界を超えて異常に膨張している……! あの愚かな狂犬は、自分が一体『どんな地獄』を呼び覚ましたのか、全く理解していない……!)


イザベラが、虚ろで、死んだような、途切れ途切れの低い声で呟き始めた。


「アタシの、ドレス……天王星てんのうせいの職人が、三百時間もかけて手縫いしたのに……。ライティング……アタシの、肌……」


毒蛇の威嚇にも似た恐ろしい声が、その唇から漏れ出す。


「全部……汚れちゃった……汚い……汚い……汚い……汚い汚い汚いッ!」


ギギギ……ッ。


イザベラが、極めてゆっくりと首を上げる。

見栄っ張りで文句ばかり言っていたアイドル気質の女は、完全に死んだ。


油に塗れたその顔面——かつて星々を魅了した輝かしい瞳孔は完全に光を失い、ぽっかりと空虚な闇を湛えている。

そして、毒の油でドロドロになった顔には、極限まで裂けたような……狂気に満ちた、どこまでも加虐的な笑みが浮かんでいた。


バチバチバチバチッ!!


イザベラの全身から、再びドグマのエネルギーが噴出した。

だが、それはかつてのような美しく対称的な真紅の光ではない。赤と黒が悍ましく混ざり合った、おぞましい形相のエネルギー。

空間そのものを引き裂くような、不気味なノイズを撒き散らしている。


「マディ・ロール……」


純粋なサディズムの悦びに打ち震えるような声で、イザベラは囁いた。


「殺さないで……。四肢だけを切り落としてちょうだい。身動き一つできない無様な達磨にして」


歪みきった笑みがさらに深く裂け、混沌とした爆発のドグマ(ばくはつのドグマ)を宿した手が、ゆっくりと持ち上がる。


「この汚らしい油を、あの屑鉄の臓物の中でグツグツと煮沸してあげるわ……。綺麗になるまで、ドロドロに溶かしてあげる……。とびっきり、美しくねェッ!」



チャプター質問:

ディオゲネスの《エコー》の能力は、イザベラのヒステリックな怒りを防ぎきれるのか? それとも、マディ・ロール将軍の戦術が戦局を早期に決着させるのか?

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