第055話 花の香り、潮風に乗せて
――と、そんな風に『彼』が降ってくる、少し前。
時は遡り、僕らはついにユースティア自治領へと到着する――
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ユースティア自治領は、エストランティア皇国にありながら属領として自治を行なっている領土だ。
ユースティア家、という領主の一族が独自の法や制度を敷いて統治を行なっており、お国柄としては、非常におおらかでパワフル。エストランティア皇国の庇護下に入らず自分たちの力だけで自治領を運営しているだけあって、領民は皆力強く生活を送っている。
円環大陸、南西部。マルギットから時計回りにリドラの村、ルルーエンティを経由して山間部を超えると、一面の緑に包まれた丘陵が姿を現した。
海が近く、清涼感のある潮の香りが風に乗って僕らの元まで届いている。荒野に囲まれたマルギットから一転、360度自然に囲まれた土地は、思いっきり駆け出してみたくなるほど気持ちが良かった。
「よーやく着いたんですね。いやあ、怪我人をこんなに歩かせるなんて、正気の沙汰とは思えませんね」
もはや恒例行事と化したミスティの文句に対して、「まあまあ」となだめるアトラ。しかし、それは逆効果だったようで。
「アトラさんはいいですよね! 歩かなくていいんですから! ずっとそうしてふよふよ飛んでるだけですし!」
「なんなら、臨壊で誰かに憑依しちゃえばそれすらしなくていいわね」
「臨壊ってもっとカッコよく使うもののはずなんだけどなぁ……」
エストラ屈指のチートアビリティと名高い【霊体化】だが、今は主に移動手段として最大の力を発揮しているようだった。
「ミスティ様。いい加減愚痴がしつこいので私がおぶって差し上げましょうか?」
「えぇ、メイさんの背中金属みたいに硬いからやだ」
そりゃボディは金属だからな。
「き、金属……所詮私は機械……およよ……」
あの事件以降感情表現が豊かになり、人間らしくなったメイだが、その分「人間か機械か」という問題はより難しくなっている。今はほんの少し信じられるようになったかもしれないが、それでもまだ不安定な部分ではあるはずだ。メイも手で顔を覆い、見るからに落ち込んでいる。
僕はそんな彼女の心情を汲んで、そっとフォローを入れることにした。
「おいミスティ。そこはデリケートな部分なんだから……」
「ロボットジョーク」
「……」
「三度の飯よりエネルギー供給」
「……」
進化が著しすぎる。
どこでこんなことを覚えてきたのかは知らないが、いつのまにか自分が自動人形であることすらネタにできるようになってしまった強い女の子に、僕は感心せざるを得なかった。
「賑やかになったなぁ……」
メイが正式加入して、五人となった僕ら星天旅団。ミスティをはじめとして、もとより会話は多い方だったが、人間への道のりを謳歌するお茶目な自動人形の加入でより加速したようだった。
「……肩身が狭ぇ!!!!」
ハザマの魂の叫びに、僕は無言で頷いた。
3:2。均衡状態にあった男女比は崩れ、今や僕ら男子は少数派。あのきゃぴきゃぴした空間には、なかなか入って行きにくいものがある。
「もっとよぉ……こう、熱い男と男のぶつかり合いをよぉ……」
そんな空気が僕よりさらに苦手そうなハザマは、滾る情熱が炎として溢れ出ていた。ただでさえ暑いのにやめてほしい。
「ま、まあでも、次の街はハザマも気に入ると思うよ」
僕は手で顔を扇ぎながら、丘陵の向こうの街並みに目を向けた。
「ユースティア自治領では、毎年武闘大会が行われてる。今回の僕らの目的は、それへの参加だ」
「……待ってたぜェ、そういうやつをよォ……」
武闘大会に参加する理由。
一つは、戦闘経験を積むためだ。ルインフォードやゾロアとの戦いで、僕らに足りないものが浮き彫りになってきた。それは間違いなく戦闘経験だ。襲い来る敵に急かされるようにして街を渡り歩く僕たちは、本来の適正レベルよりも低い状態でここまで来てしまっている。どこかで集中的なレベリング──もとい、戦闘経験を積む必要があった。
もう一つは、一時的ではあるが安全の確保だ。ユースティア自治領は安全である可能性が高い。あくまでゲームでの話なので今となれば信用には値しないかもしれないが、自治領には戦火が及んでいないのである。エストランティア皇国は今未曾有の危機に陥っているが、ユースティア自治領は黒の魔術師による侵攻も退けて、平和を保っている。
丘の上から見る限りでも、ユースティア自治領は平和そのもの。独自の自治形態を持つ場所だからこそだった。
そんなわけで、僕らは腰を据えて戦力を蓄えるため、この地へとやってきたということだった。
「着いた……!」
新たな街。やはりゲーマーとしては、何よりも心踊る瞬間だ。迫り来る危機や山積みの問題を今だけは忘れて、その感覚に身を委ねる。
「っとその前に…………」
僕は辺りを見回し、未来視もフル動員して完全に敵影がないことを確認。その後、素早くそれに触れる。
街門の前。やはりそこには、例の本があった。刻まれた数列。変化したのは下四桁、1658。今僕が考えている仮説で言えば、16時58分ということだろうか。前回のセーブからはかなり時間が空いているが、それでも1時間半に満たない時間しか進んでいないことになる。
……だが、これに関しては新たな情報が増えるまで手詰まりといった感じだった。数列の謎はやはり保留。
気を取り直して街へ向かう。門は開け放たれていたが、そこには警備の兵が立っていた。
「止まれ。今は特別警戒態勢が敷かれている」
やはりか。ゲームでもそうだったが、出入国にチェックが入るらしい。謎の黒き魔術師たちによって国が荒らされている今、当然の警戒だ。
しかし、うちにはそんな検問も顔パスできる少女がいる。
「あの、私アトラ・ファン・エストランティアって言うんですけど」
被っていたフードを取る。ふわりと広がる金髪。髪はいつのまにかショートからミディアムくらいまで伸びていて、時間の経過を感じさせた。
(そうか、もう一ヶ月くらい経つのか……)
始まったばかりだと思っていた旅も、いつのまにかここまで来ていた。まだまだ終わらないと分かっていても、時間の経過は早いものだ。
「あ、アトラ様……?」
「ほ、本物だ。俺見たことあるぞ……!」
慌ただしく駆け回る検問所の兵たち。すぐに許可が降りて、僕らは街へと踏み入った。
──ユースティア自治領。海沿いに築かれた街並みは、まさに壮観だった。
建物の外壁は全て白く塗装されて、統一感のある意匠。街中にまで海路が引かれており、ボートが行き交う水面は陽の光を反射してキラキラと輝きを放ちながら揺れている。
その海路をまたぐように架かる大橋には沢山の人々が行き交っており、活気が溢れている。
そこには、平和があった。失われたと思っていた平和が、ここには残されている。
「……さて」
今回僕らがまず向かうべきなのは、領主の館だ。検問所より護衛としてついてきた兵たちに案内されて、街の中心部にある一際大きい建物へとやってきた。
豊かな自然に囲まれた白い館は、現実世界で見た建物で言うなら外国にあるペンションのようだった。
広い庭。色とりどりの花が植えられていて、潮風と花の香りが混ざり合って漂ってくる。空気が綺麗な分、そういった香りをダイレクトに感じることができた。
また、ちょっとした高台に建てられているため、テラスからは大海原が一望できそうだ。さすが領主の館、一等地に建っている。
役目を終えた護衛の兵たちが敬礼して持ち場に戻っていくのを見送って、アトラは向き直った。
「今いるかしら……」
ドアをノックしようと、手を伸ばしたその時だった。
背後から声がかかった。
「もしかして、アトラ?」
そこに建っていたのは、アトラと同じくらいの歳の少女だ。
薄桃からアメジスト色へとグラデーションのように色味の変わる、特徴的な髪を花飾りでツーサイドアップにまとめた女の子。立ち振る舞いには自信が溢れており、一目見ただけで勝気な印象を抱く。
「わ、ユリっち!?」
アトラが『ユリっち』と呼んだ少女は、恐らく庭で花たちに水やりをしていたのだろう、水差しをその場に置いて駆け出した。
「久しぶりね! 何年振りかしら?」
手を取り合ってはしゃぎ合う二人。僕はもともと知っていたが、他のみんなは面食らっていた。
「この人たちは?」
「私の仲間! 一緒に国を救うために、旅をしてるの!」
「へえ! なかなか肝が据わってるじゃない!」
そしてその少女は、僕らに向き直って胸に手を当てた。
自信に満ちた表情。力強いその紫色の瞳が、僕らをまっすぐに射抜いた。
「私の名前はユリス・ユースティア。この自治領の領主の娘よ!」
TIPS ユースティア自治領
円環大陸南西部、海にほど近い場所を領土とするエストランティア皇国属領。
属領とは言っても支配関係にあるわけではなく、友好関係を築いている。ユースティア家とエストランティア家は親戚関係にあり、エストランティア家が宗家、ユースティア家はかつての三国合併後に分家として独立したと言われている。
ユースティア自治領は、自国の運営のために大霊杯の庇護下に入る必要がある。エストランティア皇国は大霊杯の恩恵を貸し与える代わりに、ユースティア自治領の誇る強力な兵を借り受けている。
ユースティア自治領はその性質上、本国の力を借りずとも国を守れるだけの力が必要になってくる。その観点から、歴代のユースティア家は『武』に力を入れており、定期的に武闘大会を開催するなどして領民の関心を高めている。
加えて特徴として、「男女ともに強くあれ」という精神が根付いている。というのも、ユースティア自治領の元となったのは旧オストレーア国である。今では知る人間も減ったが、オストレーア国はかつてとある女性が戦女神として国の頂点に立っていた。その女性は国の期待を一身に背負って戦場を駆け抜けたが、あまりの負担に倒れてしまった。
戦場に散った戦女神。そんな過去を持つ国民たちは、一つの反省を得た。誰かに任せていてはいけない。国を守るためには、男も女も関係なく強くあらねばならないのだと。
そうして新たにユースティア家を中枢に据えて、ユースティア自治領として再スタートを経た。
今も領民性として一人に頼らない国づくりをしているのは、大切な人を失ったかつての過ちが、そこに生きる人々の血に受け継がれているからかもしれない。




