隼と黒騎士
フロイデン帝国は自国内での食料の供給はほとんどなく、隣国バラル王国からの貿易によって得ている。農業者がいない分、この国には工業従事者や軍役につく者が多く、それがフロイデンが強国であり続ける理由である。
セウス王の命令を受けた密偵たちの任務は、その食糧の保存場所の襲撃やルートの妨害である。バラル王国側への妨害はできないが、フロイデン帝国内ならば問題なく行える。うまく敵の補給ルートを襲い、その物資を奪えばセウスらにも届けることができる。それができなくとも敵の戦力を少しばかりでも割くことができる。
ペルゼンにより鍛えられた密偵たちは、速やかにかつ敵に悟られぬよう動き出す。警備は厳重ではあるが、第一軍がいない今、その警備は密偵たちにとってさほど恐れるべきものではない。
決死の覚悟を決めた密偵たちの工作により、フロイデン帝国内には不和が広がることとなる。
民たちへの食糧の供給が一時的に止まった。この事態に対し、皇帝は第一軍への補給を優先する決定を下した。これがセウス王による作戦と知っており、このままでは攻められる、ということを判断してのことであった。隙を見せなければ、セウス王も諦めるのではないか、という期待もあったのだ。
だが、この皇帝の決定に対し、民が不満を抱くのは当然であった。ただでさえ、水も食料も余裕がないフロイデンでは、少しの食糧の不足で多くの被害が出る。後輩地帯での体力の消耗は大きく、老人や子供に及ぼす影響は大きなものである。
今でこそ、大きな抗議の声は怒っていないが、民の不満の声は強まりつつあった。
民衆にとって、国と国の戦争よりも生活の方が大事であり、それを犯す者はたとえ敵国の物であろうと自国の支配者であろうとも同じなのだ。
皇帝マーズリートは苦渋の決断を迫られることとなる。軍への補給を最優先するか否か、と言う。
トローア王国の密偵は数人処刑こそしたが、未だにその活動は続いており、補給の目途は立たない。
このまま民の不満を増幅させ、反乱が起きてはたまったものではない。
マーズリートは軍への補給を最低レベルまで下げる、という結論を出さざるを得なかった。
第一軍への十分な補給ができなくなったことは、大きな打撃であった。
その大勢の軍勢が、この状況では仇となった。しかも、彼らはセアベリノの先の非常に体力の消耗する地に陣取っていた。セウス王を脅すための配置もまた、今の彼らにとっては苦痛となっていた。
熟練の兵士たちでさえも、水と食料が少ない中ではいくら慣れているとはいえ、消耗を防ぐことはできない。士気の低下は第一軍の中でも大きな問題となっていた。体力の低下により、病魔に侵される者さえいるのだ。このままここにとどまるのは得策ではないのは誰の目から見ても明らかである。
だが、ここで下手に動けばセウス王の思うつぼである。アガティン将軍は考える。
このままセウス王のいるセアベリノを責めるか。数の上ではこちらの方が勝っており、まだ若干の余裕がある。攻めるならば、今か。
しかし、その決断を下すのは難しかった。セアベリノには今はトローアの庇護下にいるが、帝国民もいる。民を傷つける、という危険性を冒したくはなかった。下手に自国民を害しては、他国による侵攻の大義名分ともされかねない。それに、弱小国とみなされるトローアに対し、そのような対応を取れば、フロイデンが落ちた、と他国に宣伝するようなもの。迂闊な行動をとることはできない。
アガティンは陣地の中で考えをめぐらすが、いい案が思い浮かぶこともなく、時間だけが過ぎ去っていった。
セイザーやクレオメロンといった将校たちはこの状況でも冷静さを保っていたが、他の兵士たちもそうである、と言うわけでもない。
飢餓や士気の低下は、ある意味で前方の敵よりも恐るべきものである。いくら数をそろえようとも、士気で漲るトローア軍に攻められては押し負け、帝都までの道を許してしまう、とセイザーは考えていた。
だが、だからと言って退くことも進むこともできない。戦力を割くわけにもいかない。隣国のアースウォードとの国境での戦闘にも食料や武器の補給を絶やすわけにはいかない。そちらの方にまで影響を与える行動は慎むべきである。
動くこともままならず、流石のセイザーもいつものヘラヘラ笑いを浮かべるだけの余裕はない。
ここまでフロイデンが追いつめられるのは、いったい何百年ぶりだろう、などと彼は考えていた。
そんな中、ついにセウス率いるトローア軍が動きを見せたと言う報告があった。
「敵、こちらに向かって進軍中!」
ついに来たか、とセイザーは立ち上がりクレオメロンを見る。副官である女騎士は頷き、鞘から剣を抜く。
セイザーも顔を引き締めると、第三軍の兵士たちを招集し、トローア軍を迎え撃つために歩き出す。
第一防衛ラインと定めた地点を瞬く間に超えると、セウス王の率いるトローア軍は迎え撃つフロイデンを相手に奮戦する。
セウス王自らが率いるために、トローア側の士気は高い。また、消耗しているフロイデン側と違い、トローア側は消耗はほとんどない。指揮系統も保っているために、部隊での連携も取れている。
一方のフロイデン側は、指揮系統は乱れ、士気も下がっており、トローア側に押され気味である。
数の上では勝ると言っても、このような状況ではあまりそれは優位とはなりえない。
情報の錯綜により、友軍への攻撃、という混乱まで生まれていた。
精鋭部隊と言えども、これほどの恐怖に襲われた経験などあるはずもない。有能な指揮官をトローア軍は早急に倒したために、指揮が届くことはなく、精鋭部隊は見事に翻弄される。
第二、第三防衛ラインを超え、トローア軍は進撃する。
とはいえ、黙ってフロイデン側もやられはしなかった。
セイザー・アルカンシエルの第三軍はいち早く体勢を立て直し、第四防衛ラインを形成し、トローア軍と交戦。
セイザーによる命令により冷静さを保った第三軍はそれまでのトローア軍の勢いを殺すことに成功した。
「トローア軍め、覚悟しろ!」
クレオメロンはそう言うと、つばぜり合いする騎士の剣を叩き折ると、その騎士の喉笛を切り裂いた。
友軍はいずれも苦戦をしており、彼女自身も苦戦を余儀なくされていた。彼女のスキルはトローア側に伝わっているようで、彼女のスキルに対抗できるスキル持ちや遠距離からの攻撃など対策をとられていた。とはいえ、彼女も一軍の副官であり、そうやすやすとは倒れない。
そんな彼女は乱戦の中、ある人物を見つけた。彼女の敬愛するアルカンシエル将軍を倒した仇。隼のフォーリヴズである。
クレオメロンは敵を打ち倒すと、味方と戦っているフォーリヴズの方に向かって奔っていく。そして、剣を振りながら彼女は叫ぶ。
「フォーリヴズ・バイラス!」
その叫びで彼女に気づいたフォーリヴズが咄嗟に懐から出した短剣を投げつけるが、それはクレオメロンに弾き飛ばされる。クレオメロンは即座にフォーリヴズの左側面に回り込み、その剣を突き出した。
フォーリヴズがその剣を受け止めた瞬間、彼の剣は音を立てて崩れ落ちる。フォーリヴズは舌打ちをして、周囲に落ちていた剣を手に取る。
「いくら武器があろうとも、壊すまで!」
「ちぃ!」
フォーリヴズの持つ武器をまたもや壊すクレオメロン。まともに打ち合うこともできず、流石のフォーリヴズも苦い顔である。だが、隼の異名はだてではない。すぐさま体勢を立て直し、武器を手に持ちクレオメロンと互角に戦う。
「死ね、フォーリヴズ!」
「残念だが、俺は死にたくないんだよなァ。死ぬなら寝台の上か、女の胸の中、って決めてるのさ」
顔に汗を浮かべながらも、フォーリヴズは余裕の顔を浮かべ、笑う。それに激情したクレオメロンはさらに熾烈にフォーリヴズを攻める。
「ならば、惨めに貴様を殺してやる!そのような笑えない冗談も言えないようにな!」
「あんたのような美人に殺されるのも、悪くないけどちょっとごめんだね」
そう言うとフォーリヴズの目が光る。
「さて、御嬢さん。そろそろ終わらせてもらうぜ。これ以上あんたと戦っている暇はないんだ」
「なにを!」
その時、フォーリヴズの十の指にはめられた指輪が一斉に光る。
クレオメロンが目を見開くが、すぐに余裕の表情を見せる。
「ふん!武器を取り出したところで、私は何でも壊せる!この間のような巨大な岩如き・・・・・・・・・」
その時、にやりとフォーリヴズが嗤う。
「なら、やってみな、よ・・・・・・・・・・・・・!!」
十の指輪が光り、九個の武器が現れる。短剣だったり、槍だったりするが、それはクレオメロンにとって問題ではない。
撃ち落とし、叩き落とし、クレオメロンは次々に向かう武器を壊す。普通の兵士ならばこれで倒せるだろうが、クレオメロンとてインサニアフォースズの将校であり、この程度で倒れるわけにはいかない。
彼女は九個目の武器を叩き落とし、フォーリヴズの眼前に迫る。
「終わりよ」
「いいや、あんたの終わりさ」
そう言い、フォーリヴズが両手を見せる。両手の指輪はすでに存在しない。だが、クレオメロンが壊した武器は全部で九個。あとひとつは?
そう思ったクレオメロンの身体を、電撃が襲った。空から降り注いだそれが、彼女の身体を貫いた。
それは魔術によって作り出された雷撃である。雷撃、という非常にあいまいで実体のないものを収納できるのは、それを「武器」としてフォーリヴズが認識できるため。
時間差で発動するために、フォーリヴズの前に来るその瞬間まで来なかったのだ。少しでもタイミングがずれていれば、当たらなかった。だが、フォーリヴズの期待したとおりに女騎士は動いてくれた。
雷撃は彼女の命を燃やし尽くすことはなかったが、その意識を刈り取ることには成功した。
フォーリヴズは気を失った女騎士を抱きとめると、その身体を縄で縛り、近くにいた騎士に後を任せる。
彼女の気を失った顔を見て、黙っていればいい女なのにな、などとフォーリヴズは思うとまた戦場に向けて歩き出した。
騎士たちを相手取り、善戦していたセイザーだが、彼の前に一人の騎士が現れる。
以前、セウス王を襲ったとき彼の剣を防いだ黒髪の騎士、バルドバラス。それがセイザーの前に立っていた。
セイザーは蛇腹剣で自身と戦っていた数人の騎士を一度に切り裂くと、バルドバラスを見る。
無言で剣を構えたバルドバラスが奔ってくる。セイザーの放った剣はその巨大な盾に弾かれる。バルドバラスは重装備ながら軽やかにセイザーの前に立つと、その剣を向けてくる。その瞬間、体が重くなり、セイザーは目を細めるが、慌てることなくバルドバラスの剣を受け止める。
「君のスキルか、なるほど」
セイザーはそう言い、笑う。バルドバラスは効果がないわけではない、と思っていたが、それでも重力操作されてもなお、セイザーは満足に戦える状況であった。
セイザーの身体能力は彼のスキル、強化により常人以上となっている。五感は強化されており、まさに野生の獣、といえる。
重力操作されたところでそれが普通の人間並みになった程度でしかなく、セイザーは別段焦る必要はなかった。バルドバラスのような使い手がもう二、三人にいるならばまだしも、周囲にはこの戦いに割り込む敵も味方もいない。
余裕の笑みを浮かべるセイザーを忌々しげに見たバルドバラスは、なおも剣を振るい、セイザーの剣を防ぎながら戦う。
彼の目的はセイザーの撃破ではなく、彼の無力化である。とりあえず、アガティンを討つまでの間、彼を止めておければそれでいいのだ。セイザーは飽くまで一部隊長程度であり、その軍を率いるアガティンが最重要目標である。
セウスか、他の騎士がアガティンを討つまでセイザーを止める。それができるのはバルドバラスくらいのものだ。守りに特化したバルドバラスならば、そのスキルも相まってセイザーと互角に打ち合える、とセウスが判断したのだ。
フォーリヴズやアノガル、ツェツィーリエもセイザー相手に戦えるだろうが、彼らにはほかの指揮官の無力化を頼んでいた。セウスはこの最も危険な敵を親友に任せることにしたのだ。
その期待通りにバルドバラスはセイザーを押さえることに成功していた。
セイザーは渇いた唇を濡らした。虚勢を張ったものの、バルドバラスは存外に強敵であり、彼も舌を巻いていた。
隼のフォーリヴズと言い、この騎士と言い、なかなかどうして。
セイザーは苦々しい思いを浮かべながらも、そこかそれを楽しく感じる自分もいることを感じた。
下手に軍団など負かされず、こうやってただ戦えるだけならば、どれだけいいだろうか、などと彼は考えた。
そんな彼の命を狙うバルドバラスの剣を受け止め、セイザーは躍る。




