魔術師の少年
リケンは一人、訓練場近くの森にいた。
ひときわ大きな木の下、そこがリケンが指定された場所である。周りの木々は紅葉しており、鮮やかである。ついこの間までは青々としていたのだが、とリケンは時の過ぎるのを実感した。
思えば、セウス達と出会ったことも、兄を失ったことも、それほど時間が立っていないように思っているが、思えば数年が経過しているのだ。
兄を失い悲しみに沈んだが、セウスやバルドバラス、セリーヌもまた大切な人々を失い、哀しみを共感し、ともに歩んできた。その日々を、リケンは忘れたことはない。
自分が思うように、彼らが自分を親友と思ってくれているかはわからないが、それでもリケンは胸を張って彼らを親友と言えるし、そのことに感謝していた。
けれど、彼自身も感じているのだ。いつまでもセウスやバルドバラスにばかり頼っていてはいけない、と。
告白されて、相談したリケンは、そう思った。自分はいつもそうだ、肝心なことはセウス達に任せている。今だって、自分のことなのに、と。
兄プレアデスは、リケンとは違い、常に自分で考える人物であった。そんな兄の姿を見て、リケンは尊敬のまなざしを向けた。兄のような騎士にはなれずとも、兄に少しでも近づきたい、と。
リケンはすう、と息を吐き、頭上を見る。
少しばかり、指定の時間には早いが、心を落ち着けるには最適であろう。
名前も書かれていないため、相手の顔も何もわからないが、話だけでも聞くべきだろう。
リケンはしばらく、そうやって待っていた。
数分ほど経ったころ、ガサリ、と草の揺れる音がした。リケンがそちらに目を向けると、王立アカデミーの女子の制服に身を包んだ少女が一人、リケンの待つ木の方へと向かってくる。
目を引くような緑色の髪を横で結わえた少女。左右で色の違う瞳であり、赤と金の瞳がセウスをまっすぐに見ている。顔はセリーヌやツェツィーリエのように目につくような華美さはないが、十分に美しい。知性的で穏やかな感じを醸し出し、それが不思議に彼女に合う、とリケンは思う。
首元をスカーフで巻いており、少女はゆっくりとリケンを見ながら進んでくる。リケンの記憶には、少女の顔には覚えがない。上位クラスではないか、それとも他学年か。
リケンがバクバクと音を立てる心臓の音を聞いているうちに、少女はリケンの目の前まで来ていた。
リケンは乾いた口を開く。
「あなたが、僕をここに?」
リケンの問いに、少女は頷く。
「ええ、そうです、リケン・メイルシュトロム」
少女はそう言うと、緊張しているのか少し強張った顔でリケンを見る。同じくらいの視線の高さであり、二人の目が絡み合う。だが、自然とそれが不快ではないな、などとリケンは感じていた。
「私の名前は、テレサ・ヘンドリクセン・フォルテシウス。三年上位クラス所属です」
そう言ったテレサと言う少女の名前をリケンも聞いたことはある。
魔術の名門の一つ、フォルテシウス家とヘンドリクセン家。対立する両家だが、近年の他国の魔術師の台頭に危険を感じ、友に手を取り合い政略結婚を行った。その結果、三人の子どもたちが生まれた。上の二人の男子は王宮魔術師であり、末の娘が今、アカデミーに在籍する、ということ。
そして、その娘は三年の魔術師の中でもひときわ優秀だ、ということ。
リケンが知るのはそれくらいである。
リケンと彼女が顔を合わせたことはないし、話したこともないはずである。そんな人物がなぜ、自分に告白するのか。
リケンはどうしても自分との接点を考えられない。あるとすれば、優秀な魔術師の血を望んでいる、ということか。
今はセウスやバルドバラスなどがけん制しているため、リケンにそのような目的で近づく者はいない。が、彼女がそうではない、とは言い切れないのだ。
「・・・・・・・・・・・どうして、僕を?」
リケンは疑念をそのまま口にする。疑うようなその言葉に、テレサはふと笑い、リケンを見る。
「やはり、そう聞かれるとは思っていました。それはそうでしょう、こちらが一方的に知り、あなたを想っているにすぎないのですから」
テレサはそう言い、思い出すかのように空を見て、口を開く。
「そんなに、特別な理由はありません。あなたも知っての通り、私は魔術の名門の名を二つも背負って生まれました」
筆頭王宮魔術師ペルゼンの一族ロイ・フォクスと並び、トローア三大魔術家と呼ばれる二つの一族の血を継いだ少女。
そんな少女にかかる重圧は相当のものであった。なまじ、兄たちが優秀であり、王宮魔術師になっていたから、少女の重圧はより大きなものとなっていた。
そんな少女は、兄たちと同じようにアカデミーの門をくぐった。
一年次から彼女は優秀な魔術師として知られていた。教員たちや家族からの期待に応えようと、必死になって何事にも励んでいた。
しかし、彼女は生まれ持った血筋こそ立派だが、実際は普通より魔力が高い程度であり、あとは努力と知識でカバーしていた。
だから、二年に進級した時には、自分の限界がわかっており、このままでは自分が「優秀」から「ふつう」の域にまで落ちて行くだけ、と彼女は悟った。
「アカデミーで出される課題も、多くが私にとっては苦痛であり、私の限界ギリギリの域でした。私は絶望し、一度アカデミーを抜け出したのです」
アカデミーの寮を夜間に抜け出し、彼女が向かったのは王宮近くの庭園である。
そこで一夜を明かしたという。泣いて、泣いて。誰にも言えない悩み。家族にはもちろん言えないし、彼女には友人らしい友人はいなかった。
「そうして夜をそこで過ごし、朝になり、私はなんとなく王宮の方に向かいました」
貴族であるから、別段咎められることはなかった。アカデミー生の制服を着ていたし、彼女の兄たちは有名であったから。
「そんな中、私はある少年と会いました」
そう言い、少女はセウスを見る。ヘテロクロミアが、少年を射抜く。
「少年は言いました。『どうして泣いているの?』と。私は泣いてはいないはずなのに、少年はそう聞いたのです。私は言いました。『泣いてなどいない』と。そうするとまた少年は言いました。『いいえ、お姉さんは泣いています。心の中で泣いています』と」
リケンは何かを思い出した様子で、あ、と口を開く。そんなリケンを見ながら、少女は続ける。
「私はその少年に腹が立った。王宮にいる、ということは彼はきっとどこかの貴族の少年であり、私の悩みなど、わかるはずがないから。そんな子供に、どうしてそう言われなければならないのか、と私は見苦しいほどに怒っていました」
ふふ、と自嘲するテレサ。
「『放っておいて』そう言った私に、少年はあどけない顔でハンカチを渡してきました。少年は言いました。『お姉さんはそうやって一人で泣いているのはどうして?家族やお友達はいないの?』
私は言った、『私には友達はいないし、家族には私の悩みは言えない。私のことは放っておいてくれ』と。
しかし、少年は私の手にハンカチを押し付けていったのです。『なら、僕が友達代わりになってあげるから、どうか泣くのをやめてください』と」
テレサの言葉に、リケンは顔を赤くしている。完全にその時のことを思い出したのか、リケンはおどおどとしている。今になってみれば、あの時見た「お姉さん」の姿とテレサの姿は見事に重なっていた。
「そう言われて、なぜか涙が出てきた。私と少年はその場に座り込んだ。私の一方的な吐露を、少年は聞いてくれた」
泣く少女に、リケンは言った。
『お姉さんは強いね、僕は友達がいなければ立ち上がることさえできなかった』
兄の死。いきなり喪失した肉親の死から、悲しみの淵からリケンを救ったのは、親友たちであるという。
リケンはその話をして、少女に言う。
『お姉さん、お姉さんには今まで友達はいなかったかもしれないけど、僕でよければお姉さんと友達になりたいな』
そう言い、あどけない笑顔で少年はテレサを見た。
『僕も、お姉さんみたいな強い魔術師になりたいな。今はまだ、全然だけど』
そう言った少年に、テレサはありがとう、と言った。
『そうだな、私と君は友達だ。話を聞いてくれてありがとう』
胸の内を吐き出して、テレサはすっきりとしていた。それまでの悩みが、ちっぽけにさえ感じた。
才能がどうしたというのだ。これしきで、私はくじけるような人間だったか。そう、自分に問うていた。
テレサは少年を見て、言う。
『いつか、私が自分に自信を持てるようになったら、その時はまた君と一緒に話をしたい』
『僕は、いつでも待っているよ、お姉さん。ところで、お姉さんの名前は?』
そう聞いたリケンに、少女は笑みを浮かべて『秘密』と言う。
『次に会った時、言うよ』
そう言い、少女はその場を去った。
いつか、再びあの少年と会った時、胸を張っていられるよう、彼女は努力をした。自分で作り上げていた才能の壁、など心持ひとつでどうとでもなるものだった。
そうして一年が過ぎたころ、テレサは彼を見た。
彼の姿を見たテレサは、なぜかその姿から目が離せなくなった。
一年でありながら、優秀な魔術師として貴族の娘たちがリケンたちを見る目に、なぜかテレサはもやもやとした不快感を感じた。
そして、しばらくしてそれが嫉妬なのだと彼女は悟った。
それからはもう、彼を意識しないことはできなかった。
溢れだす思いを、彼女は抑えた。まだ、彼の前に立てるほどに彼女は自分に誇りを持てない。だkら、そのときまでは。
そう思っていたのだが、父から見合いの話が出たことが、彼女の行動を起こさせた。
他に相手がいないのであれば、よい相手を見繕ってやる、と言う父。テレサの脳裏に浮かんだのは、リケンの顔であった。
テレサは父を説得し、リケンに告白をしようと思った。これで、自分に可能性がないようならば、潔く諦め、父の案を受け入れよう。
少女の話を聞き、リケンは沈黙する。ヘテロクロミアの少女は、頬を掻く。
「自分勝手な話だろう?」
自嘲するように笑った少女。
「けど、君への想いは本物だ」
たとえ、状況に流されての告白と言えども、リケンへの気持ちは本物だと少女は言う。
その瞳は未だ強い輝きを放ち、リケンを見ている。
その目が語る思いは、偽物などではない。ならば、リケンもその気持ちに答えなければならないだろう。
「僕には、テレサさんのことはよくわかりません」
リケンは正直にいう。少女はそうだろうな、と笑う。
「けれど、僕たちは友達です。まだまだ僕たちは互いを知る機会も時間もあります。・・・・・・・・その時まで、返事は保留、ではだめでしょうか?」
気まずそうに少女を見るリケン。リケンでは、これ以上最善の答えを出せない。机上の理論と違い、感情の問題は、リケンにとって大の苦手であった。煮え切らない答えに、少女は呆れるかとも思ったが、少女は美しい笑顔を浮かべて、リケンを見る。
「そうだね。そうしよう」
そう言い、手を差し出す。
「改めて、よろしく、リケン」
「こちらこそ、テレサさん」
二人の手が強く握られる。大樹の上で燦々と輝く太陽が、柔らかく二人を包む。
テレサの父、フォルテシウス公は娘の手紙とセウス王の書状をもらい、それを読んで娘の見合いの件はしばらくは保留する、という結論に落ち着いた。
娘の思い人が王の友人だというのだ。焦って変にこじれてもいけないし、王家ともつながりを強くできるならば、下手な見合いよりはよっぽどいい。
そう言った思惑もあり、フォルテシウス公およびヘンドリクセン家も納得をした。
あれ以降、リケンはセウス達と過ごす時間がわずかに減り、時折テレサとともに時間を過ごしているようである。
まだまだその交友は狭いものだが、セウス達にとってはそれでも大きな一歩である。
親友たちに見守られながら、魔術師の少年と少女はにこやかに大樹の下で語り合う。
後世、魔術師リケンとその妻テレサが学生時代語り合い愛を育んだこの大樹は、アカデミー生からは恋愛成就の樹、として主に女子生徒の間で語られる樹となった。
賢者リケンにあやかり、この木のもとで愛を誓った者たちは永遠に結ばれる、と言われた。




