25話 紫
「死ねと言われて、はい、そうですか。なんて答えると思ったら大間違いよ! 刑事をなめてもらっちゃあ困るわ!」
雷華は侵入者が振りおろしてきた右手を掴み、腹を思いきり蹴りあげて自分の後ろに投げ飛ばした。
「私をただの占い師だと思わないでちょうだい」
素早く立ち上ると邪魔なドレスの裾をたくし上げて腰の辺りで纏める。太ももまで丸見えでかなり恥ずかしい恰好だが、今はそんなことを言っている場合ではない。少しでも油断すればすぐに殺されてしまうだろう。現に投げ飛ばした侵入者は床に叩きつけられることなく、空中で体勢を立て直し足から着地して何のダメージも負っていない。かなりの強敵だ。
「……初撃で殺せなかったのは初めてだ」
侵入者は雷華が反撃をしたことにかなり驚いているようだ。短剣を持った右手をじっと見つめている。
(こいつかなり強い。どうしよう、こんなことなら木刀持ってくるんだった)
木刀を持って領主の館に行くのもどうかと思い、宿に置いてきたことを雷華は海よりも深く後悔した。
「それはご愁傷様。ってことでもう帰ってくれると嬉しいんですけど?」
無理だと思いつつも諦めてくれたらいいのだが、と豆粒ほどの希望を抱いてみる。
「それは……出来ない相談だ」
(ですよね)
思った通り豆粒はあっさりと砕かれた。
「あなたの雇い主はハゲデブ伯爵でしょ。どうして、あんな奴の命令に従うの」
クレイから伯爵の名前を聞いたのだがすぐに忘れてしまったので、雷華の中で彼の名前はハゲデブと命名されていた。それにしても、あんな漠然とした言葉で暗殺者を差し向けるとは。伯爵は少しでも危険を感じたら対象を消さずにはいられないらしい。慎重、というよりは小心者なのだろう。だからこそ今まで誰にも証拠を掴まれずにいられたのだ。
(あのハゲ。デブのくせに何でこんなに行動が早いのよ!)
命令を下すのに体型は関係ないはずなのだが、雷華は心の中で伯爵をそう罵った。
「……お前には関係のないことだ」
侵入者は驚くほどの速さで雷華との距離とつめると、再び攻撃を繰り出してきた。雷華はそれをベッドの上に跳んでかわし、そのまま転がって反対側に着地する。そしてベッドの脇に置いてあった陶器製の水差しを侵入者に向かって力いっぱい投げつけた。が――
ガシャン!!
侵入者が上体を反らしてかわした水差しは、そのまま飛んでいき壁に当たって音を立てて砕け散った。相手はベッドの上から雷華めがけて跳躍してくる。
「っ!」
攻撃をかわすために横に一歩踏み出したのだが、履いていた靴がまずかった。慣れない高いヒールのせいでバランスを崩し、背中から床に倒れ込む。侵入者がその隙を見逃すはずもなく、雷華が起き上がる前に素早く彼女に馬乗りになり右腕を抑えつけた。
「これでもう逃げられない」
(早く脱いでおけばよかったわ……ルーク、どこまで行っちゃったんだろ)
雷華は自分の上に乗っかっている相手を睨みつけながら、この場にいない黒犬のことを想った。
(どうしよう、この状況を脱出できる方法は)
「どうして泣き叫ばない。死を間近に感じた人間というのは皆そうするはずだ」
必死にこの状況を覆せる方法を考えていると、侵入者は短剣を構えたまま、雷華に抑揚のない声で問いかけてきた。
「言ったはずよ、ただの占い師じゃないって。私は泣き叫ぶより最後まで闘う方を選ぶわ」
「この状況でもか」
「そうよ、私はまだ諦めてない」
「……」
二人の視線が交差する。その時、今まで雲に覆われていた月が姿を現し、窓から月光が差しこんだ。淡い光で照らしだされた侵入者は、黒髪に紫の眼をした端整な顔立ちの二十歳くらいの男だった。
(綺麗な眼)
自分を殺そうとしている相手を見た感想としてかなり問題があるが、雷華は正直にそう思った。
「お前みたいな人間は初めてだ」
独り言のような小さな声が侵入者の口からから零れた。
「それはどうも。珍しい人間ってことで見逃してほしいんだけど、そうもいかないんでしょうね」
「ああ……俺はお前を殺さなければならない」
「伯爵に命令されたから? 何故従うの? 人を殺めることが好きなの?」
今なら会話が出来るかもと時間稼ぎするために質問を重ねる。すると、今まで何の感情も現れていなかった侵入者の眼に、微かに戸惑いと苦悩の感情が浮かんだ。
「違う。そんなことは……」
(無理矢理やらされてるみたいね、だとすると)
「もしかして、誰かが伯爵に捕まっている?」
「っ!」
もしやと思って口にした言葉は図星だったらしい。侵入者は明らかな動揺を示した。
「人の弱みを握って意のままに操る、伯爵の得意技ね。やり方が汚な過ぎて反吐が出そうだわ」
まさに外道の名を冠するに相応しい伯爵の卑劣な行いに対し、怒りが再燃してくる。
「お前……何者だ?」
侵入者は、殺されそうな状況にありながらも伯爵に怒りを募らせる雷華を見て、戸惑いを隠せないらしい。この部屋に入ってきたときから常に放っていた殺気が、消えかかっている。
「それは――」




