23話 無
「では……」
雷華はヴェールをめくり眼鏡越しに伯爵を見る。彼の後ろに見えてきたのは、予想通り、いやそれ以上に酷いものだった。
(ある程度は覚悟してたけど、ここまでとは……虫唾が走るわね)
弱みを握り、逆らえないようにして意のままに操る。それでも逆らおうとする勇気ある人には永遠の眠りを。伯爵は己の領地を恐怖で支配していた。民は些細な罪で裁かれ、怯えながら暮らしている。いつどんな言いがかりをつけられるかわからない不安を抱きながら。そんな暮らしから何故逃げないのか。答えは簡単で、見つかればすぐに殺されるからだ。それも一族全員が……雷華は伯爵の過去を通して、無惨な最期を迎えた人たちを何人も見た。
(堪えるのよ……今は堪えなきゃ)
本当は今すぐ叫びたい、今すぐ胸倉を掴んで醜く歪んだ顔に一発くらわせてやりたい。その衝動を、唇を強く噛み、両手を膝の上で爪が手のひらに食い込むほど硬く握りしめて抑える。
そうしてこれ以上ないほど我慢をして、ようやく証拠がある場所を見つけた。伯爵の書斎に隠し部屋があったのだ。そこには明るみに出せば絶対に言い逃れのできない、裏の書類ともいうべきものが山のように保管されていた。さらに、部屋にはもう一つ扉があり、暗い地下通路へと繋がっている。その通路の先、行き止まりにある小さな窓からは驚くべき景色が見えた。
(牢屋だわ……さっき見た光景と同じ。伯爵はここから連れてきた人たちを眺めて物色してたのね。ということは屋敷の近くにこの牢屋の入口があるはず……ここまでわかれば十分だわ)
雷華はヴェールを元に戻すと、厳かに口を開いた。
断罪の時間の始まりだ。
「どうぞ眼を開けてください」
「ふん、ようやくか。もう少し遅ければ貴様の首を刎ねていたぞ。で、どうだったのだ」
伯爵はぎょろりとした気持ち悪い眼で雷華を睨む。
「大変言い難いのですが、お客様は近い将来、ご自身のなさってきた行いによって裁かれるようです」
「な、なんだと!? 貴様、でたらめな事をぬかしおって! ワシが裁かれるなど、そのような事あるはずなかろう!」
憤慨した伯爵は立ち上って太くて短い指を突きつけてくる。
「私の言葉が真実か否か。信じるかどうかはお客様次第です。ただ、一つ付け加えるとするならば、私の占いは外れたことがありません。では私の占いは以上になります。どうぞ、お引き取りください」
雷華は伯爵の娘にしたのと同じように、軽く頭を下げた後、すっと出口を指し示した。
「ふ、ふっ、ふざけるな! ワシを誰だと思っている! そんな発言をしてただで済むと思っているのか!」
侮辱されたと思ったのか怒りで顔を真っ赤にして、耳障りな声でわめいているが、雷華は全く動じなかった。彼女が目の前の醜い生き物に対して抱く感情は、けして恐怖などではない。心が悲鳴をあげるほどの怒り……それだけだ。
「お客様がどなたであろうと私には関係のないこと。私はただ結果を伝えるだけです」
「ぐぬぬぬぬ、不愉快だ! 貴様、ワシを怒らせたことを後悔するがいい!」
伯爵は怒鳴りながら幕を引きちぎらんばかりの勢いで開け、悪役に相応しい捨て台詞を吐いて去っていった。
「後悔するのはあんたの方よ」
低く怒りの籠った声で呟く。無惨に殺された人たちの気持ちを考えれば、本当は今すぐにでも殴り飛ばしたい。その感情を抑えるため雷華は目を閉じて大きく息を吐いた。
「どうした? なんかすげー勢いでハゲデブが出てってたけど、大丈夫だったか?」
雷華が内なる感情と闘っていると、幕が開いて心配した様子のクレイが姿を現した。伯爵の聞くに堪えない怒鳴り声が広間にも響いていたのだろう。雷華は閉じていた眼を開けてクレイの方に顔を向ける。と、眼鏡をかけたままだった彼女は、彼の後ろに驚きの光景を見た。
「いっ!?」
「えっ!? 俺の顔に何かついて……ってライカ、その顔にあるもんは何なんだ?」
「ライカ、ヴォードの過去に何が見えた?」
一人と一匹がそれぞれ聞いてくるが、雷華はクレイの後ろに見えているものが一体なのかを考えるのに必死だった。
(これは……)
クレイの過去には他の人にはなかったものが見えた、いや正確には見えなかった。いつも過去は全て半透明で見えるのだが、一部分だけぽっかりと穴が開いたように無色になっていたのだ。まるでそこに透明な人間がいるかのように。当然過去のクレイはそのことに気付いている様子ではない。しばらくこの異様とも言える光景を見ていた雷華は、ふとあることに思い至った。この透明人間こそが《色のない神》ではないかと。
「クレイ!」
「うおっ、びっくりした! 何だ、固まってたと思ったら急に大声出して。まさか俺の誰にも言えない恥ずかしい秘密を――」
「あそこはどこ!? 小さな湖がある森よ! 貴方はそこで狩りか何かをしてた。あれは、どこ!?」
《色のない神》を見つけたかもと大興奮の雷華は、クレイの両肩を掴んで力任せに前後に揺さぶる。
「お、落ち着け! 酔いが、回って……吐き、そうだ」
「はっ! ご、ごめんクレイ、つい興奮しちゃって。大丈夫?」
顔が青ざめているクレイを見て我に返った雷華は慌てて手を離す。
「だ……だい、じょう、ぶ」
クレイは青ざめた顔で椅子の背もたれに手を置いて、必死に吐き気と闘っている。それを見たルークは最近同じようなやり取りがあったような気が、と可愛く首を傾げた。




