【075】洗面器で視える未来の恋人
その夜、ぼくは夢を見た。
ぼくがいる場所は、洗面器の下みたいだった。目の前に、水面がある。
たまにゆがむそのむこうに、哀名の顔がある。目が合うと、哀名が息をのんで、あわてたように顔を上げた。すると、手に持っていたカミソリが落ちそうになった。ぜったいに落ちてくると思って、ぼくはさける用意をした。哀名のふるえている手から、やっぱりカミソリはぽろりと洗面器の中、つまりぼくがいる水の中におちてきたので、ぼくはそれをさけた。だけどほほにちょっとだけ痛みがはしった。
アラームの音がしたのはそのときで、ぼくは上半身を起こした。
やっぱり夢だった。もう朝だ。
学校に行かないと。
ぼくは顔を洗いに向かった。
「あれ?」
すると右のほほに、うっすらと血がにじんでいた。皮がちょっとだけ切れたみたいな傷がある。昨日夢の中で、カミソリがかすった場所だ。
「夢だったんだよね……?」
不思議に思いつつ顔を洗うと、水がしみた。 絆創膏をはってから、ぼくは学校に行くことにした。
ぼくが自分の机にランドセルを置くと、立ち上がった哀名が、ぼくのうでの服をひっぱった。
「楠谷くん」
「うん?」
「そ、その……ほっぺ、大丈夫……?」
「ああ、ぜんぜん平気だよ」
やっぱり絆創膏は目立つようだ。それよりも、夢の中にでてきた哀名と、現実の哀名がおんなじに思えたから、自分に対して苦笑しそうになった。ぼくは本当に哀名が好きで、夢にまで見てしまったらしい。
「哀名さん!」
そこへ七海さんが歩いてきた。
「洗面器のカミソリ試した?」
七海さんがそういうと、哀名がビクッとした。カタがはねていた。
「昨日お昼の時に話した奴!」
「……」
「ほら! 未来の 旦那様が見えるって言う奴!」
無言の哀名を見ながら、ぼくは七海さんの声に、首をかしげた。
旦那様ということは、女子限定の占いなのだろう。
「七海さんは、西くんが見えたの?」
「もちろん!」
ぼくが聞くと、七海さんがすごくうれしそうな笑顔になった。
幸せそうでなによりだ。
それから授業がはじまって、すぐに放課後になった。帰ろうと思ってランドセルを手にしたとき、哀名がぼくを見た。
「楠谷くん、ちょっといい?」
「うん?」
「ついてきて……」
哀名はどこかうかない顔をしている。うなずいてぼくがランドセルを持ってついていくと、誰もいない階段のところで、哀名がいきなりぼくに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「えっ? ど、どうしたの!?」
ぼくの声に顔を上げた哀名は、泣きそうだった。
「そのキズ、私のせいなの」
「どういうこと?」
「昨日、私……洗面器に、カミソリを落としてしまって……」
ぼくも同じような夢を見たけど、もしかして現実のことだったのだろうか。
「へ、平気だよ! ぼくはよけたし」
それに……もしぼくが哀名の未来の旦那様だったなら、洗面器の中にぼくが見えたんだったら、それはすごくうれしい。ぼくは喜んだ。だけど、好きな人がいる哀名は、どう思ったんだろう。聞きたいけど、勇気が出ない。
「ありがとう、楠谷くん」
「ううん」
ぼくは笑顔を浮かべて、階段を見る。
「また明日。哀名、本当に気にしないでね」
「ええ」
「またね!」
哀名に笑顔がもどったので、ぼくはほっとしてから家に帰ることにした。




