第31話 デリカシーは持っていたほうがいい
紅い葉とともに暖かな陽光が降り注ぐ秋空の下。
俺たちのテント設営は終盤を迎えていた。
説明書によると、あとはフライシートなるものを張ればいいらしい。
「先輩! そっちはどうですか?」
「ちょっと待ってくれ……あれ、おかしいな」
「何やってるの? もう、手伝ってあげるからちょっと貸してみて」
祐奈が隣にやってきて、手を貸してくれる。
それ自体は本当に助かるのだが……出来ればあまり近づかないでほしかった。
(俺、汗臭くない? 臭いで引かれるんじゃないか?)
リュックサックとテントという大荷物とともに旅をしたこともあり、涼しくなった秋といえど俺は汗をかいてしまっている。
さすがに滝のような汗とまではいかないが、それでも結構汗が出ているのだ。
女性は男性の臭いに敏感と聞くし、どうしても気にしてしまう。
というか、こうして気にしているせいでさらに汗が噴き出てくる。負のループに入ってしまった。
ちらりと横に座って作業してくれている祐奈の首を見る。
すると、太陽の光に照らされ、首筋が少し光っていた。
祐奈も汗をかいているのだ。
(……でも、嫌な臭いはしないよな。というか、むしろ——)
その時、祐奈が唐突に振り向いた。
「ねぇ、視線をめっちゃ感じるんだけど」
「あぁ、いや。うなじを見ていたわけじゃないぞ!」
「……そう」
焦って変な言い訳をしてしまった。
どうしよう。このままだと、変態か何かだと勘違いされてしまう。
本当にうなじを見ていたわけじゃないのに! ただ首を見ていただけなのに!
……いや、一緒か。
「楽しい?」
「楽しいっていうか……まぁ、そうだな」
「なに? ちゃんと本当のこと言ったら許してあげるかもしれないから言って」
それ、許してもらえない可能性もあるよな?
しかし……これは困ったな。
経験上、こうなった祐奈はほとんど引き下がらない。
(本当のことを言うか……)
俺にできることはせめて怒られないように祈るだけである。
「わかった、言うよ。祐奈も汗出てるなって見てただけ。ただそれだけだ。やましい気持ちで見ていたとかじゃない」
「…………っ!」
高揚にも負けないくらい一気に顔が赤くなった祐奈は、襟で首を隠して立ち上がる。
そして、俺を涙目で睨みつけてくる。
そこで俺は気づいた。
(そうじゃん。俺が汗を気にしているってことは……)
謝ろうと俺も立ち上がった……が、一歩遅かった。
「最悪っ!」
「祐奈! ごめんって!」
祐奈が走り去ってしまった。
そうだよな。祐奈も汗は気になるよな。女の子だし、俺よりもずっと。
「先輩……なにやっているんですか?」
「いや、祐奈に汗かいているなって言っちゃってさ」
「デリカシーなさすぎでしょ……祐奈先輩、かわいそう」
テントを挟んで向こう側で作業をしていた関口から怒られてしまった。
後輩に苦言を呈される先輩。先輩失格である。
「いや、でも嫌な臭いとかはなかったんだぞ? むしろいつもと違った匂いがして新鮮だった」
「うーわ……なんか変態チックですね。まぁ、でもいつもと違う匂いなのは当たり前ですよ?」
「え、そうなのか?」
「はい。例えば香水とか、汗をかきそうなときには柑橘系とかの爽やかな香りを選びますし」
「香水ってそんな選び方もあるのか……」
自分が好きな香りを選ぶだけじゃないのか。
香水とか一切つけないから知らなかったが……さすが現役女子中学生。勉強になった。
「ちなみに……私の匂い、嗅ぎたかったりします?」
「……いや、別に?」
「本当ですか? 遠慮しなくてもいいんですよ?」
「遠慮はしてない。俺、匂いフェチじゃないから」
関口が俺のそばにピタッとくっついて誘ってくる。
そのままぐいぐいと体を押し付けてきた。
「関口も汗かいているだろ? 恥ずかしくないのか?」
離れてもらうため、わざと意地悪なことを言ってみる。
しかし、関口は逃げなかった。なんの効果もない。それどころか、押し込む力がどんどん強くなってきた。
でも、倒れたり、横にずれて受け流したりするわけにはいかない。せっかくここまで立てたテントが台無しになるからだ。
「恥ずかしいですよ! あたりまえじゃないですか! でも、祐奈先輩がいないうちにこうしないと……!」
「って! おいおい!」
「いいじゃないですか。少しだけ、祐奈先輩が帰ってくるまでだけでいいですから。もし見つかった時には私もちゃんと説明しますし、ね?」
急に力を緩めたかと思ったら、関口が後ろから抱き着いてきた。
背中に何か柔らかいものを感じる……が、俺はそんなことで乱されることなんてない。
1回だけだが、関口にキスされたことだってあるんだ。今更服越しに胸が当たったからと言って——
「あー! 追いかけてこないと思ったら抱き合ってる! ひろくんひどい!」
タイミング悪く、何かの袋を抱えた祐奈がすぐに帰ってきた。
……とんでもない誤解とともに。
「抱き合ってはないだろ!? 後ろからだし!」
「そんな……先輩、私とは遊びだったんですか……?」
「なんか翼ちゃんも意味深なこと言ってるし!」
「おい、嘘だろ関口! これは違うって!」
さっきの説明するという言葉は何だったのか。舌の根も乾かぬうちに関口が裏切ってきた。
抱きつく時間が少なかったことへの不満か、あるいは、さっき俺がした意地悪の仕返しか。
どちらが理由かはわからないが、俺は非常に追い込まれている。
どうしようか……
その後、十数分かけて祐奈の誤解を解いた。
途中からは関口も俺を擁護してくれたので、このくらいで済んだ。変にこじれず、本当に良かった。
……まぁ、その間ずっと関口は俺に抱き着いていたんだけど。
でも、祐奈は海に行ったとき、関口のことを特別といっていた。だから、これくらいで後から何かされることはない……と信じたい。
「よし、じゃあ……テントもできたことだし、ご飯でも作ろっか」
「確かに暗くなる前に作り始めたほうがいいな。ランプの光に頼って料理するのは危ないし」
「やったー! 私、もうおなかペコペコです!」
太陽が今日1日の役割を終え、空を赤く染め上げるこの時間。
紅葉と混じってかなりの美しさだが、ゆっくり眺めているわけにもいかない。
リュックサックに入っていた調理道具を取り出す。
「あれ、そういえば何を作るんだ? 俺のリュックサックには食材入ってないけど」
「大丈夫、さっき私が買ってきたから」
そう言うと祐奈は袋を俺に見せつけてくる。誤解したときに持っていた袋はこれか。
走り去ったついでに買ってきていたんだな。
「中身は……ひき肉にお米、トマト缶、レタスか」
「ソーセージとカレールーもありますよ! ということは……!」
「今日はカレーを作ります! キャンプっぽいでしょ?」
カレーといえば、キャンプの定番中の定番だ。
俺の好物でもあるので嬉しい。
しかし……
「なんか具材があれだな。人参とか玉ねぎとかないし」
ひき肉とソーセージのダブル肉パンチがあるとはいえ、後の具材はトマト缶とレタスだけ。
ちょっと寂しさを覚える。
「まぁね、それは私も思う。でも……この具材だとね、調理が楽なんだよ……!」
「た、確かに……! この具材全部、包丁を使わなくても作れちゃいませんか?」
「翼ちゃんはひろくんと違って賢いねー! そう、レタスさえちぎっちゃえば包丁なんていらないんだよね。洗い物も減って最高じゃない?」
なんか罵倒された。いいなぁ、関口。俺も褒めてもらいたい。
そんなことを思いつつ、改めて祐奈が買ってきた食材を眺める。
祐奈の言う通り、確かにこれらはそのまま使えるものばかりだ。洗い物が大変そうな印象のあるキャンプ料理にぴったりである。
「ひき肉とソーセージを買ったのはあれか? 調理の手間はかけたくないけど、お肉感も欲しいってところか?」
「そうだよ。キャンプなんだし、お肉を噛み切ってワイルドに食べたいかなって」
「……そうか。そうだよな」
俺も正解したというのに、お褒めの言葉はなかった。
さっき変態と思われても仕方ない言動をしてしまった余波なのか……?
まぁ、ここは仕方ないと割り切ろう。このまま褒められるのを待っていたら日が暮れてしまう。
不思議そうな祐奈を横目に、俺は調理を進めていくことにした。




