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それからとこれから・2



 * * *



「結城さん。そろそろ出立するそうですよ」


由貴が文机で回想しながらうたた寝をしていると、ふすまから目元涼しげな来光が顔を覗かせた。


「え、もうそんな時間!?」


慌てて立ち上がった由貴は、がくっと膝を崩して手をついた。


「どうしました」


「あ、足が……」


ぼんぼんに膨れた感覚とじんじんする冷たい刺激に、まともに歩ける気がしなかった。

こうなっては、しびれがピークを過ぎるまで待つしかない。

とことんしまらない由貴だった。


「えい」


「のわっ! ちょっ、来光さん!?」


「ははっ、相当しびれてそうですね」


つんと厳しい部分をつつかれて、由貴はうぐぐと身悶えた。


「もー、勘弁してください。っていうか、来光さんでも、こういう鉄板のいたずらするんですね」


「たまにはね。こう見えても、あの殿様の息子ですから」


妙な説得力に笑ってしまった頃には、なんとか動けるくらいに回復していた。


「じゃあ、行こうか」


壱真が寝込んでいる間、大人達は事態把握のために集まり、色々と話し合った。

現場の映像を確認し、正孝本人に状況を聞き出したりもした。


誰も正孝を責める者はいなかった。

かといって、不運な犠牲者として済ませるには起きてしまった結果が重く、情状酌量の余地しかないだけに、囲んでいた大人にはきついものがあった。

そんな中で、由貴と来光は初対面した。


年齢が近く、何か意見できるほど責任を取れる立場にない二人だったので、互いに親近感がわいたのだ。

話してみれば、どちらも温厚で生真面目な凝り性タイプで、驚くほど意気投合した。

女の子のデリケートな問題に同性としてもう少し配慮してやればよかった、壱真についていくと決めたなら手を繋ぐくらいしていればよかった。

そもそも、もっと最初から積極的に関わっていれば、変わったこともあったんじゃないだろうか。

そういう由貴のおこがましい後悔や反省を、わざわざ打ち明けなくてもわかってくれるような気が来光にはするのだった。


「壱真君は、もう地下に?」


「いえ、あかりの病室に寄ってから行くと」


「そっか」


事件から三日目の今日、相馬 壱真はお江戸を出ていく。

殿様が絶対の経済特区・お江戸から無事に帰ることができるのは流星剣の主である少年のみ。

そう語れば物語として格好がつくのかもしれないが、数で比較してみると壱真だけが帰されるという孤立した構図は拭えなかった。


結論として、正孝が裁かれることはない。

あかりにしても、憎むどころか謝罪を申し入れたくらいなのだから。

それでも、まったくのお咎めなしというわけにはいなかった。

正孝本人は素直に聞き入れて納得していたけど、それは、壱真にこそ受け入れ難いものとなってしまった。



 * * *



「おじさん、ごめん」


高熱でうなされた翌日。

けろりと起き上がった壱真は、二組の親子が揃う座敷で、もりもりと朝食を食べ終えた後、取り込んだばかりの栄養を気力に変えて、正孝よりも先に正宗に声をかけた。


「俺が、もっとしっかりしてたら、こんなことには……」


壱真にって、正宗と向き合うことは正孝と向き合う以上にきついものがあった。


「いいや、私のせいだよ。聞き分けがいいことを幸いにして、放ったらかしにしてきた私のツケが、こんな形で取り立てられてしまっただけだ。なあ、壱真。私がいない間、君は私がしてやれる以上のことをしてくれていた。だから、正孝の親としてお願いがあるんだ」


正宗は目線をしっかり合わせると、しょげて俯く壱真の指先を掴んだ。


「……何?」


「これからも、あの子と仲よくしてやってほしい」


もちろんだ。

当然だ。

お願いされるまでもない。

答えは決まりきっているのに、壱真の唇は返事ができなかった。


「正孝を嫌いになった?」


小さな子をあやすように手を揺さぶってくる正宗に、壱真は必死になって首を横に振った。


「それなら、よかった」


柔らかい正宗の笑みは、壱真の何もかもを許してくれていた。


「大丈夫だよ。二人がかけがえのない時間を過ごしてきたことを忘れなかったら、絆は壊れたりしない。いいね、覚えておくんだよ」


潤んだ瞳をこらえていた壱真は、仰々しい言い回しに違和感を抱いた。


「壱真」


呼ばれて振り向けば、食後に部屋を出ていた勇馬が戻ってきていた。


「父さん、帰るの?」


勇馬は少ない荷物をまとめて、コートを手にしていた。


「仕事があるからな」


「そっか。俺達も一緒に帰った方がいいのかな」


「いや、付き合う必要はない。それに、帰るなら壱真一人だ」


「……それって、どういう意味?」


「これから三年間、正孝はここ、お江戸で生活していく」


「え、なんで」


「私が決めたからだ」


「意味わかんないし。なんで、正孝が帰れなくなるわけ? うちの家族だって言ってたくせに、俺だけ帰ってどうするんだよ」


「普通に中学校に通えばいい」


生真面目なつまんない返しに、壱真は頭がついていけなかった。

この三つ目の動きは、一日中うなされていた壱真がようやく静かに寝ついた夜になって決まったことだった。


正孝の処遇は、聖夜の温情により二人の父親に託された。

勇馬も正宗も大人だけで決めることなく正孝を交えて話し合い、正孝の気持ちを踏まえて相馬家を出させることにした。

一人暮らしになるとはいえ、寮に入るので何もかも自分でやらなくてはいけないわけでもなく、玄馬の配慮によって、しばらくは正宗と親子の時間を過ごせることになっている。

そう説得しても、壱真は頑固に認めなかった。


「だったら、俺が家を出る。それでいいだろ」


どちらの父親も、わかっていないと壱真は思う。

みんなから素直でいい子だと褒められる、仕事熱心な正宗のしっかりした優秀な子ども。

だけど、壱真は一度もそんな風に見えたことがなかった。

誰かに振り向いてもらいたくて精一杯背伸びしている内に、自分でも本音がわからなくなるくらい、いい子が身に染みついてしまった寂しがり屋。

それが、壱真の中の正孝だ。


今より幼い頃には、毎晩離れの部屋に押しかけて、無理やり手を握っては一緒に眠った。

ゆったり寝たいと文句を言いながらも、目が合うと照れくさそうに笑い返してくる一つ年下の男の子。

なのに、勇馬はちっともわかっていなかった。


「なんか言えよ」


「頭を冷やせ。お前のいない相馬の家に、正孝が一人でいる方が酷だ」


反論しようと息を吸い込んだ壱真は、父親が正しすぎて嫌になった。

いつだって、壱真が何か行動するのは自分のためでしかない。


今になって、正孝が流星剣を持ち出した気持ちがわかるような気がした。

失うのが怖い。

だから、失わないために後先考えず、その場しのぎの粗末な案にしがみついてしまうのだ。

そして、何もできない無力さにうちひしがれていると、全てを投げ出すことでしか希望を見出せなかったあかりの心情も理解できるような気がするのだった。


「期間は三年。壱真が中学を卒業し、正孝は進路を考える頃までだ。その間、お前には正孝の部屋の管理を任せる」


勇馬の言いつけに、壱真はハッとした。

頼りにされたい、守ってやりたいと威張りながらも、情けなく縋っているのは壱真の方なのだと父親はわかっていたのだ。

わかっていなかったのは、独りよがりな壱真だけだった。


「それから、まー坊。壱真が待っていようと、お前が進学先にどこを選ぶかは自由だ。その頃までには、正宗も少しのんびりできるよう社長に言っておく。だから、親子で暮らし始めるのも、そのまま自立するのも好きに決めろ。ただ、どんな道を選ぼうと相馬の家はまー坊の実家だ。三年後、まだ帰りたいと思ってくれているなら遠慮なく戻ってこい。わかったな」


それぞれの道が示されて、壱真と正孝は、ようやくまともに目を合わせた。


「壱君。僕、大丈夫だよ。ちゃんと頑張れるから」


頑張れるのは、壱真がいるからだと言ってくれているようだった。


「うん、わかってる」


壱真に返せる言葉は、それくらいだった。

こうして、少しだけ大人になった子ども達を見守った勇馬は一足先に帰っていった。



 * * *



はらり、はらり。

開いている障子から桜が散っていく様を眺めながら来光と並んで見送りに出向く由貴は、勝手ながらも、子ども達の行く末を案じていた。

当分の道筋がついたとはいえ、あかりの能力がどうなったのかは、まだ判断がついていない。

壱真曰く、能力を断ち切れたわけではないとのことだが、どの程度の影響力が残っているのか見当すらつけようがない。

それでも、あかりと佐之助が当たり前に学び過ごすことを目標に掲げたのだから、できる限りの応援をしたかった。

特に、あかりの場合は繊細な体の問題が関わってくるので、少しでも相談にのれたらと考えている。

しかし、そうなると流星剣の主である壱真こそが、最大の被害者なのではという気がしてならない。

現に、弟のような親友と離れて、これからも一人で流星剣を背負っていかなければならないのだから。


「遅かったね」


地下に到着すると、壱真が手を振ってくれた。

見渡せば、絶対安静で病室にいるあかり以外は全員が揃っていた。


「結城さん。色々、どうもありがとうございました」


「なんだい、妙に改まっちゃって」


「うん……。富士山を下りてから謝るばっかりだったけど、思い出してみたら、ちゃんとお礼を言えてなかったなぁと思って」


「そうだっけ? まあ、僕が何かしてあげられた覚えはないけど、どういたしまして」


気持ちを受け取ると、壱真はへへっと照れて笑った。


「最初は頼りないなぁって思ってたんだけど、最後まで付き合ってくれたのって結城さんなんだよね。ちょっと嬉しかった」


こうして話していると、相馬 壱真は正真正銘、どこにでもいる普通の男の子だった。


「壱真君には辛い旅になったね」


由貴には壱真が何を背負っているのか、あかりの心情ほども理解してやれない気がしていた。


「うん。辛いっつーか、きつかった。でも、あかりにはすごいモノをもらったから、ちゃんと頑張れるよ」


「……何をもらったの?」


「んー、内緒」


笑って誤魔化す壱真は教えくれそうになかったので、由貴は話題を変えた。


「ねえ、壱真君。僕が、君のためにお江戸に派遣された助っ人だって言ったら信じる?」


「信じない」


「だよねえ」


壱真は即答だった。


「だって、結城さんを城に呼んだの、俺だもん」


「あ、確かに」


「でしょ。でも、結城さんがお江戸に行くよう勧めてくれた人がいるなら、俺は感謝するよ」


「少しも役に立たなかったのに?」


「だって、これから役に立ってくれるんでしょ」


「え?」


「あかりの力になってやってよ。あっ、だからって、人体実験みたいなのはやめてほしいけど、どうしたら笑っていられるか一緒に考えてほしいんだ」


「……そっか、そうだよね。じゃあ、僕はやっぱり、君に手紙を託すべきかな」


「?」


「君のおじいさん、玄馬さんに渡してよ」


「え、なんで、じいちゃん知ってんの!?」


思わぬ繋がりにびっくりしている様子があまりにあどけなかったので、由貴は彼らよりは確実に大人でいたいと思った。


「君のおじいちゃんね、ゆきんこのサポーターをしてくれてるんだ。だからだよ」


「んんー。なんかわかんないけど、頼まれた」


由貴は、元気に再会した祖父と孫の関係が良好であるよう密かに願っておいた。


「壱君、タクシー来たよ」


正孝の知らせに、壱真は居残り組からのお土産でいっぱいの荷物を持ち上げた。

それから、一歩踏み出して振り返る。


「ねえ、結城さん」


「ん?」


「いつかの話だけど、結城さんには富士山で何があったか教えてあげたくなるかも」


「かもなの?」


「かもだよ。今のところはね」


流星剣の少年は、ひひっと明るく笑って帰っていった。

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