幸福の在処・2
* * *
反対車線ばかりが混雑している国道を、あえて危険に向かっていく無謀な壱真と由貴を乗せたタクシーが快走していた。
「あれって、みんな、避難してきた人達なのかな」
「だけじゃないと思うけどね」
ついでに言えば、壱真と同じ方角に向かう車も皆無ではなかった。
「怖くなった?」
由貴の問いかけに、壱真は「わかんない」と答えた。
「引き返しても、誰も責めたりしないよ」
「そうかもしんないけど、きっと、俺は責めるよ」
あどけない横顔を夕闇で染めている壱真に、こういう子は年齢なんて関係なく大それたことを成し遂げるのだろうと、平凡な由貴は考えた。
「なんか、さっきからうるさいね」
「え、ああ、ヘリコプターじゃないかな」
壱真のつぶやきに、後ろの窓を見上げた由貴が教えてあげた。
報道機関が空から中継でもしているのかもしれない。
「そういえば、富士山って世界でも認められた山だもんな」
今頃は、日本だけじゃなく、世界中で心配しながら見守っている人達がいることだろう。
世界遺産は取り消されることがあると聞いた記憶がある壱真は、何事もなかったみたいに解決できたらいいなと考えていた。
ヘリコプターは壱真達と並走する形で移動しているようで、自分でもちらりと確認した壱真は、テレビに映りたくないなと思った。
万が一にも、両親にばれたら、えらい騒動になるのは目に見えている。
事は大きくしたくない。
人知れず、だけど、知る人ぞ知る。
それが英雄ってものだと壱真は思い描くのだった。
やがて、タクシーは看板の矢印に従って、がらんとした富士山五合目にある駐車場に入っていく。
途中、非常事態につき設置されたいくつかの検問は、撮影したがる迷惑な野次馬を尻目に、取り仕切る警察や自衛隊にスルーされてきた。
お江戸の殿様が手を回してくれたからなのだろうけど、改めて目の当たりにする権力のすごさに、壱真と由貴はこっそりびびっていた。
登山口に近いところに止めてもらって荷物やヘルメットを手に車を下りると、ヘリがバリバリと豪快な音を立てて低く迫ってきていた。
「あれ、ここに降りてくるなんてことはないよね」
由貴がそんなことを言ったようだけど、あまりの爆音に耳をふさいだ壱真なので定かではなかった。
どこの局だろうかと注目していると、だだっ広い駐車場の向こう端に風を起こして下り立ったので、面倒にならないよう祈って見守る。
「誰か出てくる」
壱真に身を寄せた由貴は目を細めた。
カメラでも担いだ報道陣かと身構えていると、薄闇を背に現れたのは、いかにもサラリーマンなスーツ姿の男だけだった。
想像力豊かな由貴は、ついつい、どこぞの役所の特殊部隊が罰しに来たのではと緊張していたけど、壱真は全然違う意味で、より緊張していた。
「父さん……」
上下揃った濃いグレーのスーツに、黒い革靴。
七三ですっきり分けた髪型の仕事モードな相馬 勇馬が歩いてくる。
つかつかと、まっしぐらに向かってくる父親に壱真は身を固くした。
呆然と眺めている間に、いよいよ目の前まで来られると、悪いことはしてないのに妙な汗が吹き出てくる。
「何をしている」
ヘリに負けない大声だった。
「え?」
「お前は一体、何をしてるんだ」
それは正しく、壱真が思ったことだった。
「父さんこそ、こんな平日に何してるんだよ。スーツ着てるけど、仕事は?」
壱真は負けじと声を張った。
ところが、勇馬はため息を吐き出したきりで答えてくれず、合わせていた視線さえ外されてしまった。
そうして、相手を由貴に変更して大人な挨拶を始めた。
「壱真の父親の相馬 勇馬です。この度は、愚息に同行していただき、申し訳ありません」
「いえいえ、そんな。えっと、僕は結城 由貴と言います。一応、北大生で、決して怪しい者ではありません」
由貴があたふたと名乗り返し、放置された壱真には、ぺこぺこしたお辞儀がおかしかった。
「結城さん。あなたが付き合うのは、どうぞ、ここまでにしてください」
勇馬は背後に待機しているヘリコプターを振り返った。
「あれで、どこへでもお送りします。これ以上、わけのわからないことに振り回されないでください」
勇馬のきっぱりした態度に壱真は何も言えなかったけど、由貴の方は落ち着きを取り戻していた。
「僕は最後まで付き合います」
「なぜ?」
「好奇心のためです」
由貴は笑って答えた。
「趣味で傾城の伝承を調べているので、流星剣のことも多少は知っています。まあ、ここにいるのは成り行きですけど、ずっと調べていた事象の真っ只中にいるんです。好き好んで挑むわけじゃない壱真君には申し訳ないけど、僕は自分の目で確かめるチャンスを逃したくない。だから、邪魔だと言われても帰るつもりはないんです」
どこまで本心なのかは不明ながらも、しばらく見つめ合った勇馬は、見切りをつけてヘリに戻るよう合図した。
「壱真、あれは正宗が操縦している」
ぼんやり見送る隣で教えられて、壱真はびくっと体を揺らした。
今はまだ、何があったか告げる勇気はなかったから、別の話題にすり替えた。
「父さんは、どうしてここに?」
それでも、とてもじゃないけど目を合わせられなくて、履き慣れない靴のつま先を無駄に凝視していた。
「お前が心配だからだ」
いかにも厳しい声だったのに、壱真は思わず顔を上げてしまった。
「馬鹿息子が」
この時になって、勇馬のネクタイが、去年の父の日にプレゼントしたものだと気がついた。
それだけでもう、正孝の前で無意識に抑えてきた気持ちが溢れてくる。
「やることがあるんだろう。まだ、泣くなよ」
意地を張って見ない振りをしてきた弱音が吹き出しそうなところに、ずしっと大きな手でなでられたものだから、壱真はいくらかこぼれたのもを乱暴に拭い取った。
「一緒に行ってくれるの」
「ああ。だが、何もしてやれん」
流星剣に選ばれたのは壱真だ。
破天荒な玄馬が恐れていた感覚を、勇馬は知らずに、今日まできた。
「わかってる。俺が、みんなを救うんだ」
大口をたたいて奮い立つ息子を眺める勇馬は、玄馬によく似た豪胆さに苦笑しながらヘルメットをかぶせてやった。




