災いの行方・3
「佐之助」
咎める声に顔を向ければ、煌びやかな着物をまとった将軍、聖夜が似合わぬ早足で、お供もなしにやってくるところだった。
佐之助は意地だけで壁を頼りに立ち上がって出迎えた。
「へたを打ったな」
蔑み見下ろされた佐之助は、せめて目をそらさずにいるだけで精一杯だ。
「詳細を報告しろ」
問われた途端に真っ赤な着物と黒い髪、生気のない肌色に反比例した鮮血が焼きついていて息がつまる。
「この辺りを刀が貫通。医者に渡すまで刺さったままだった」
代わりに、壱真が簡潔に答えた。
聖夜は壱真を見て、この辺りと指した手と手首のあざに目を留めて息を吐き出した。
「そうか。まったく、あの子は行動力がありすぎるな。では、君だな。あかりから暗殺依頼を受けた流星剣の主は」
「「え?」」
佐之助と正孝は思わず顔を上げたが、壱真だけは俯いてこぶしを握りしめていた。
「あかりは死にたかったわけじゃない」
壱真は否定した。
「だとすれば、君の連れが刺したことになるが?」
首を傾げた聖夜のゆるく巻かれた毛先が踊った。
何もかも見通した瞳が、壱真を試すために見据えられている。
「それも違う」
「じゃあ、君のせい? 言っておくけど、私は監視カメラの映像を確認してからここに来ている。あかりが自ら死へ向かっていった姿を見たよ」
「そんなもん、ただ魔が差しただけだ。俺はあかりを信じてる。今日だって、前を向くために来たって言ったんだ!」
口を挟みかけた聖夜を無視して、壱真は続ける。
「誰だって、頑張りたい時にこそネガティブ思考に嵌まるもんだろ。今日は、たまたま、最悪のタイミングが重なっただけで、誰が悪いとかの問題じゃないんだ」
ああ、壱真はすごい。
正孝は、そう思った。
自分が信じた壱真が間違っていなくて嬉しかった。
何もかも間違えてしまったと悔やむ中、これだけは正しかったと自信を持って言える気がした。
「君、名前は?」
「……相馬 壱真」
「そう。いい名だね。君になら、この場を任せられそうだ」
聖夜の眼差しは温かいような、哀れむような、複雑な色みを帯びて別れを告げた。
「殿、どちらに行くのですか!?」
佐之助の引き止めに、聖夜は無表情で振り返った。
「どこに? 私は、お江戸の責任者だ。やることは山のようにある」
「どうして……どうして、こんな時に限って、それをおっしゃるのですか!」
佐之助の必死な抗議など、聖夜には子犬の威嚇でしかなかった。
「だから、お前には未だに任せられないんだよ」
はっきりと駄目出しされた佐之助の悲痛な悲鳴は声にならなかった。
「いいか。来光がここにいないのは、いざという時に陣頭指揮を執る用意があるからだ。他の誰でもない、あかりと佐之助のためにな」
佐之助は、言われている意味が馬鹿みたいに理解できなかった。
「あかりが災厄を引き起こす。それは理屈が解明されてなかろうと、過去の例からして間違いない。そんなことは、佐之助が誰より知っているはずだな。だから、私と来光は備えていた。何かあっても最小の被害で抑えられるように。あかりが目覚めた時、たいしたことはなかった、何も心を痛めることはないと言ってやれるようにだ」
「え?」
佐之助は、自分の世界が壊れる音を聞いた。
「佐之助。いいかげん、目をそらすのはやめろ。お前が守りたかったものと真実、向き合ってみろ!」
強く言われて、生まれて初めて本気で叱られているのだと思った。
返事もできないでいる佐之助に用のない聖夜は、もう振り向くつもりがなかった。
「あ、あっ、ちょっと待った! 探してほしい人がいるんだけど」
それをすぐさま翻させたのは壱真だった。
「誰を、なんのために?」
「結城 由貴って人。役に立つかはわかんないんだけど、何もしないよりは何かできるかもしれないから」
「結城……ひょっとして、ゆきんこ君かい? 今、お江戸に?」
「えっと、たぶん、その人。座敷わらしの研究してるっぽい大学生。将軍、知ってるの?」
「ああ。やけに詳細な記録を公開していたから、深入りする前に潰しておこうかと目をつけていたからね」
物騒なことをさらりと答えた聖夜は、わりとあっさり壱真の頼みを引き受けた。
「見つけたら、すぐにここへ送りつけるよ」
手を上げて応えると、今度こそ聖夜は去っていった。
「はあ。やっぱ、将軍ってすごいな」
壱真はいなくなった聖夜に感心しきりだが、佐之助には壱真こそが大物として映っていた。
いかにも無邪気で、物事を深く考えないタイプだと見ていたけれど、崩壊した世界では壱真こそが救世主だった。
絶望の中でも光を見失わず、聖夜にだって簡単に認められてしまう。
壊れる前の世界だったなら、それでも自分だってと負けん気を持っていられただろうが、今はもう敗北を認める意外の気持ちが生まれてこなかった。
「壱真はすごいな。俺なんかとは全然違う」
「んー、それはどうだろ。俺だって正孝が怪我してたんなら、どんだけパニくってたかわかんないし」
無力な己の手のひらを見つめる佐之助を、壱真は否定したりしなかった。
「なあ、壱真。昨日、あかり様に何を言われたんだ」
度量の大きい救世主に、とうとう知りたくてたまらなかったことを尋ねた。
しかし、これには壱真もためらいを見せた。
「教えてくれよ。あかり様は自分を殺してほしいと頼んだんだろ」
壱真は、ちらりと正孝に視線を向けた。
それから目を閉じ、観念して、一生黙っておくべき密談を打ち明けることにした。
「俺達がお江戸に出向くきっかけになった暗殺依頼、その差出人があかりだった」
「そんな……」
正孝のつぶやきに、壱真は俯いたまま目を開いた。
「あかりは災厄を招くことを怖がってた。でも、俺達は最初からあかりを助ける気でいたから、逃げようって誘ったんだ。そのためなら、いくらでも力を貸すって」
「でも、断られたんだろ」
「まあな。そんで、脅された」
「脅された? あかり様に?」
「……自分の言う通りにしないと、酷い目に遭うって」
その文句に、佐之助は違和感を覚えた。
制御できない幸・不幸を盾にして、真っ直ぐ正統な壱真の何を動揺させることができたのだろう。
壱真を動かすものが当人の意思以外にあるとすれば――
「まさか、正孝を脅しに使ったのか」
壱真は苦々しく頷いた。
あかりに脅されて、その時、初めて壱真は、どういう状況に置かれているのかを深刻に捉えた。
もちろん、傾城の姫君を助けることを軽く考えていたわけではなかったけれど、正孝と一緒なら、何があっても諦めずに頑張れる自信があった。
自分が正孝の力になることはあっても、自分のせいで正孝が辛くなるなんて生まれてこのかた知らなかったのだ。
「あかりは、治外法権のお江戸なら罪に問われないよう手配できるって言ってた」
常識として特区だろうと日本国憲法が適用される。
だが、実質的には徳川の意向が優先されているのは佐之助もよく知るところだ。
それゆえ、あかりの提案は不可能なことでもなかった。
「でも、俺は断った。当たり前だろう。俺はあかりを殺したくないし、だからって、正孝を酷い目に遭わせるのもごめんだ。そんな覚悟をするくらいなら、これから先を生きるために使うべきだろ」
「あかり様は、なんて?」
「めちゃくちゃキレた。怒って、喚いて、怒鳴り散らして……でも、俺も負けないくらい言い返したから、最後にはわかってくれた」
たまりにたまったあかりの鬱憤は、やるせない不安や恐怖だけでなく、佐之助への愛情でいっぱいだったから、壱真まで苦しくなった。
「それで、俺達は――」
続けようとした言葉を、壱真はすっかり忘れてしまった。
遠くからなんとも場違いな、情けない悲鳴が聞こえてきたからだ。
声は段々近づいてくるようで廊下の奥に目を凝らすと、間もなく数人の侍に抱えられてもがく誰かが連行されていた。
「ちょっと! 僕は、なんにもしてませんって。そりゃあ、人様にまったく迷惑をかけてないかと聞かれたら否定しにくいことは確かですけど、取り締まられるほど大それた何かをしでかすほど神経図太くないんです。だから、そんなとこ触んないでくださぁ~……って、あれ? なんで君達がここに?」
着物姿ではなかったが、いつかの不審な自称道産子の結城 由貴だった。
壱真らを見つけて気が削がれた由貴は口を閉じ、じたばたするのもやめた。
「君達も捕まっちゃったの??」
やれやれとぼやく侍達に解放されながらこんなことを聞いてきたので、由貴には捕縛され仲間に見えているらしい。
「違うし」
「あ、そうなの? よかった。僕はてっきり……」
安堵しかけて、ここが手術室の前だと気がついたようだ。
「まさか、傾城を切ったのかい!?」
由貴はピンポイントで壱真に聞いてきた。
「やっぱ、呼んでもらって正解だったみたいだな」
壱真の確信めいた発言に、子どもが相手ながらも由貴はどきりとしてしまう。
「将軍に頼んで、結城さんを連れてきてもらったんだ。俺達は、あかりの災厄を防ぎたい。そのために力を貸してほしい」
「あかりって……じゃあ、明姫が怪我をしたのは間違いないんだね」
「刀が腹部を貫通しました」
今度答えたのは佐之助だった。
「出血量は?」
「わかりません。ただ、手術直前まで刺さったままにしていたので、状況で考えれば少ない方だと思います」
「……なあ、どうして出血量を気にするんだ」
壱真の質問に由貴は驚いた。
「知らなかったのかい? 幸運をもたらす女の子は、血を流すことで災厄を招くんだ」
なんだ、と壱真は思った。
元凶がはっきりしてるなら、事故や大怪我にさえ注意すれば普通に暮らせそうだからだ。
だけど、そうなると一つ疑問がわいてくる。
「佐之助は知ってたんだよな」
しばらく無言で見返してきた佐之助は、顔をそらして微かに頷いた。
「じゃあ、なんでお前らは、あそこまで追いつめられてたんだ」
佐之助は顔を歪めた。
けれど、これ以上は黙っているのが難しいほど壱真は関係者となっている。
「あかり様は十二歳になった。だから、これより先の成長を恐れていた」
「どうして」
「……二次成長期に入れば初潮を迎える。生理、月経、月のもの。呼び方がどれでも、多少の知識はあるだろう」
壱真は理解した証に顔を赤くした。
「世間では大人になった証しだと祝うらしいけど、あかり様の場合は違う。どれほど望まなくても災いを引き起こす。それも、身近な者ほど反動が大きい。あかり様は、それらを何もできずに見ているしかないんだ」
その理屈で言えば、佐之助が多大な被害を被ることになる。
これが、あかりがもっとも恐れていたことだった。
「はっ。なんだよ、それ。だったら、あかりは……」
「魔が差した。そう言ってくれたのは壱真だろう」
不安に疲れ果て、やけを起こして死を選んだ。
そんな憂鬱な想像よりも、ずっと救いのある発想だった。
「だから、そんなに自分を責めなくていい」
佐之助は屈んで、正孝の手を握った。
「一応、聞くけど、流星剣の君が刺したわけじゃないんだね」
由貴の確認に、どういう意味かと壱真が瞳で問いかける。
「どんな仕組みかは謎だけど、正統な流星剣の使い手によって傾城を傷つけた場合、不幸を引き起こすことがないからだよ」
「……」
「でも、君はやらなくて正解だった。能力による影響はなくても、君の心には大きな穴が開くところだったからね」
「なあ、結城さん。あかりは本当に傾城の力があるのか」
ここにきて、壱真は根本的な説明を求めた。
「うん……それはたぶん、彼に聞く方がいいかもしれない」
由貴は佐之助に具体例を任せた。
任された佐之助は、嘘みたいな事実を話す覚悟を決めた。
「俺の母親は病弱な体質で、生まれてくる子は、まともに生きていけるか怪しいと宣告されていた。案の定、難産の末に生まれ落ちたところで、顔色が悪くて泣きもしなかった。そんな時、外から光が飛んできて赤ん坊の体を包み込んだ――ように、母には見えたらしい。直後、室内に泣き声が響いたそうだ」
佐之助の母親は、そのまま入院生活の後に亡くなり、同じ産院にみなし子として預けられたあかりと一緒に聖夜の元で健やかに育った。
あの時までは。
「五歳の時、あかり様が階段で転げて額を切る怪我をした。場所柄、傷の程度より出血が多く、同じ頃、面倒を看てくれていた殿に災いの影響が現れた。おかげで日本経済に大きな混乱を招き、傾城の存在が一部の権力者に知れ渡ったんだ」
「そんなの、ただの偶然かもしれないだろ」
「いいや、首の後ろに星形のあざがある。伝承通りだ」
それがどうした。
威勢よく言い返してやりたかった壱真だけど、流星剣を宿命づけられている身で反論できるわけがなかった。
「じゃあ、その時、佐之助はどんな影響を受けたんだよ」
代わりに、こう切り返してみた。
「意識混濁で倒れて、三日ほど記憶が飛んだ」
淡々と告げられた重たい症状に、壱真が返せる感想はなかった。




