少年少女の居ぬ間
駿府城、天守閣。
お江戸で二番目に見晴らしのいい場所から、お江戸で一番偉い聖夜が日本随一の観光名所を見下ろしていた。
「また、さぼっているのですか」
ため息混じりにチクリと言われて室内に目を向ければ、お手本のようなまげを結った青年が立っている。
「なんだい、来光。そういう君だって、さぼりに来たのだろう」
「父上と一緒にしないでください」
発言した通り、少年はタブレット端末を抱えており、お江戸の最高責任者である聖夜に決裁の確認を取りに来たのだった。
「まったく。私の息子にしては生真面目すぎるね。まだ学生の立場なのだし、もう少し遊んでみたらどうだい?」
「不安を抱えている身内がいるのに、何もしないで、いられるわけがないでしょう」
「実に献身的なことだね。それだけ姫のことを想っているというのに、報われる可能性が低いのは虚しいと考えないのかい?」
「何度も言っていますが、殿が考えるような気持ちはありませんので、ちっとも虚しいとは思いません。私は、あかりと佐之助が笑っていられる未来を願っているだけです」
「ねえ、来光。君は、もしかして、弟か妹がほしかったりする?」
「いいえ」
来光は、これにもきっぱりと否定した。
「私にはあかりと佐之助がいますので。それに跡継ぎ問題で揉める方が厄介ですから」
「そうか、君は本当にいい子に育ったね。お父さんは、いい子すぎて心配になってくるよ。でもまあ、君の焦りがわからないでもないけれど」
聖夜は視界の端に引っかかる、お江戸で最も高い塔に意識を向けた。
「もう、いつなってもおかしくない年頃だものね」
「父上。まさか、あかりにも、そんな無神経な物言いをしてるのじゃないでしょうね」
「これでも、オブラートに包んだつもりなのだけどな。それに、あかり自身がとっくに自覚していることだ。そのせいか、近頃はどきっとする表情を時折見せてくれる。あれには、傾城でも及ばない魅力があるね」
思い出しては、うっとり浸っている聖夜に、来光はうんざりした。
「せめて、あかりの前では、そんな発言をなさいませんように」
「おや、焼きもちかい? もちろん、お前の傾城も大のお気に入りだから安心をし」
にこりと微笑んだ聖夜は、懐から先ほど厄介払いに進呈されたブロマイドを取り出した。
それを見た来光は、すでに遅かったかと悟ってうなだれる。
「今日も怒らせてきたのですね」
「私の一押しは蝶の精かな。とても色気があってときめいたよ」
「それは、ようございました」
来光は褒められても少しも嬉しくなかったが、出来栄えを評価されたという意味では安堵するところがあった。
なぜなら、傾城に関する全ての撮影を担当しているのは来光だからだ。
特殊な正体ゆえ、当然といえば当然の対応なのだが、始めたきっかけは幼い頃の佐之助によるあかりを守るためのつたない思いつきにすぎなかった。
それが聖夜の耳に入るなり、大いに面白がられ、あれよあれよという間に現在の流通体制が整えられていた。
当初は聖夜に助けてもらっていた着付けや化粧も、今では佐之助と二人で賄えるまでになっている。
「こちらも、負けず劣らず美貌が冴え渡っているようだ。ねえ、来光。彼女と密室で撮影をしていて、おかしな気分になったりしないのかい?」
聖夜は、どうしても、そちらの方面に話を持って行きたいらしい。
ただ、これに限っては聖夜ばかりを責められず、だからこそ専属カメラマンとして知られている来光が明姫のお相手の筆頭候補として名前が挙がっているのだった。
来光は大げさなため息をついた。
全ては、何も知らない人らの下世話な憶測でしかない。
「なりませんよ。あれと対峙する時、私は人を相手にしているとは思っていませんから」
「ほお、それは初耳だ。では、君はなんだと思って相手にしているのだい?」
「強いて挙げるなら、女神を宿した巫女でしょうか。とにかく、神秘の存在なので、やましい気持ちなど起こりようがありません」
「おやおや、成長しているかと思えば、まだまだだったな」
ブロマイドで口元を隠しながら笑う聖夜に、さすがの来光もかちんときた。
「いつでもどこでも色気を求めている殿こそ、どうかしていると思いますよ」
「ふふ、珍しい。怒ったのかい? いい顔になった。豊かな感情は艶めく魅力であり、生命力だ。しかし、まあ、先に私が笑ったのは、そういう意味ではないのだけどね」
「でしたら……」
「傾城の魅力は人外の神秘などではなく、もっと俗っぽい、人間ならではの欲望によって醸し出されているのだよ」
何を言っているのかさっぱりな来光にもったいつけて微笑む聖夜は、あかり達より年上な息子の方がよほど純真な子どもなのだと密かに思う。
「あれはね、ままならぬ恋をしている少年の憂いと情熱の美だよ」
聖夜の予想通り、堅物な来光は何を言い出すのだと眉を上げた。
けれども、今度は真面目な反論も諌める言葉も返ってはこなかった。
* * *
「はぁ、これでよかったのかな」
観光局で傾城の縁談申請中に気になる少年を見つけて追いかけてしまい、最終的に名刺を押しつけて逃げ出した結城 由貴は、とぼとぼと手続きに戻っていた。
そして、一番安いプランでゲットした戦利品である明姫の錦写真を握りしめ、撮影用に借りていた着物を返却してから広間をうろついているのだった。
すれ違い様に少年の袖から覗いたあざに気づくと、由貴は声をかけないではいられなかった。
なのに、追いかけたところで、リストバンドを装着していたため何も確かめられず、不審者として認識されただけの体たらく。
自分は何をしているのだろうと情けなく落ち込みつつ、自前の圏外状態のスマホから、もう何度繰り返して見たかわからないメールを呼び出してみた。
[ゆきんここと結城 由貴様へ 近々、現代の座敷わらしである傾城・明姫が大いなる災いを招く恐れあり。第一人者である貴殿に事の行方を追ってもらいたく、誠に勝手ながら、お江戸までの交通と滞在の手配をいたし候。ぜひとも、承知していただきたし]
「愉快那 馬馬さん、か……」
こちらはハンドルネームでしか活動していないのに、なぜだか本名を知られているだけでなく、個人のメールアドレスどころかリアルアドレスまで把握してくれている謎の人物だ。
もちろん、由貴の方は相手がどこの誰かまるで見当がついていない。
この一方的なお付き合いは、かれこれ五年になるだろうか。
ある日、閲覧数の少ない由貴の気楽な個人ブログに奇妙なコメントが寄せられたところから始まった。
「[公開には気をつけたし。深追いすれば、某権力者に目をつけられかねない]って、なんじゃこりゃ」
薄気味悪い忠告を受け取った当時の由貴は、家の倉から怪奇現象とも取れる古い記録を引っ張り出して夢中になっていた。
元から考古学や民間伝承に興味のあったこともあり、長期休みの自由研究気分で片っ端から読み漁っていたのだ。
記録にあった座敷わらしみたいな特殊能力を本気で信じたわけはなく、ネットで調べてみると似たような言い伝えがぽつぽつと見つかったので、自分なりに共通点をみつけて遊んでいた。
ブログだって、メモ帳代わりに更新していたにすぎない。
高校生に上がったばかりの由貴は、素性の知れないコメントなんて相手にする気はなかった。
だけど、それと前後して、謎の忠告とは別に奇妙な動作不良か続いていたため、気休め程度に妖怪話の座敷わらしをカモフラージュとして載せるようにして、倉にあった書物についても全てを公開するのはやめにした。
以降、愉快那 馬馬と名乗る人物は、由貴が真に追っている特殊な女の子に関する資料を時々送りつけてくるようになった。
どれもコピーながら、偽物や悪戯とは思えない貴重な内容ばかりだった。
今回のメールも、由貴の推測が外れていないのなら、現場は相当混乱するに違いなかった。
災厄が起きてしまえば、貧弱な由貴にできることなんて何もないのだけど、愉快那 馬馬の誘い文句にあるように、素人ながらも研究していた者として現場に立ち会い、どんな現象が起きるのか自分の目で見てみたかった。
「でも、あの子が本当に関係者なら、のんきに見守っている場合じゃないかもしれない……」
これまで調べた記録によれば、座敷わらしの能力を有する少女の近くには、必ず特別な少年の影が寄り添っていた。
ここまで乗り込んでおいて、自分だけが理解できるかもしれない状況を放っておけるわけがない。
由貴はぐっと、こぶしを握りしめると気合いを入れた――ところで脱力して肩を落とした。
「はあ。僕って奴は、どこまでしまらないんだか」
あれこれ考えていたら、ぐーっとお腹が鳴ったのだ。
どう動くにしても、空腹で力が出ないのではしょうもない。
とりあえずは、食べる物を求めて観光局を後にした由貴だった。
* * *
ここは、春の気配がまだ程遠い北海道の中でも積雪が多い地域。
肌寒く身震いしたくなる湿った風に当てられながら、玄馬の息子にして壱真の父親である相馬 勇馬は、働き方改革により定時で仕事を切り上げて役場から帰宅した。
「ただいま。壱真達から連絡はあったか」
「帰ってくるなり、それ? ありましたよ。今朝、ホテルを出る前に、これからお江戸に入るって電話が」
勇馬が「そうか」とむっつり返したので、妻は呆れて夕飯の仕度に引っ込んだ。
別に勇馬の機嫌が悪かったわけではなく、単にそういう地顔なのは家族全員が承知していた。
じいじと呼ばれるに相応しい年齢になっても天真爛漫が似合う玄馬とは対照的に、息子の勇馬は至極堅実な大人になった。
仕事だって、玄馬の会社を継がずに公務員に就いている。
そんな勇馬の息子である壱真は、極端な見本の良い面・悪い面を見ている影響か、現代っ子らしく要領のいいお調子者に育っているようだ。
教育について細かく言わない勇馬なので、妻には口うるさくなったのは無口な旦那のせいだと、しばしば文句をつけられていた。
「今頃は、楽しんでいるのだろうな」
旅行中のやんちゃな息子達に思いを馳せて笑みを浮かべてみたものの、どこか陰りを拭いきれない自分に気づいて考え込んでしまう。
なぜ、突然、玄馬が帰ってきたのかが引っかかっているせいだろう。
壱真の入学祝いのためだと説明されても、事前に連絡がないのは、やはり納得がいかなかった。
ネクタイを緩めながら考えすぎだろうかと寝室に向かっていると、途中で壱真の部屋が目に留まる。
普段は妻が気を配っているので、ほとんど入ったことのない子ども部屋だが、この時は覗いてみようと手が伸びた。
室内は旅行中のせいか、大雑把な性格のわりに片づいているが、よくよく見ればタンスから靴下がはみ出しているので、苦笑しながらしまい直してやった。
そこで、ふと、空虚な違和感を覚える。
眉間をひそめてしばらく見渡し、やはり気のせいかと部屋を出る直前で判明した。
勇馬の手に渡ることなく次代に継承されてしまった流星剣がなくなっていることに。