接触・3
* * *
「えい」
と、謎のかけ声と共に背中を押された壱真は、つんのめって転げそうなところをこらえた。
怒るよりも、単純に驚いて振り返ったら、同じ年頃の女の子が両腕を突き出して立ち尽くしている。
「どうして転ばないのかしら」
初対面で非人道的な呟きが聞こえた気がして耳を疑っていると、今度は怪我はないかと有り余る勢いでべたべたと触ってきた。
逆ナンにしても、えらくへたくそな手口だ。
つるつるの長い黒髪が印象的なのに、変にしわの寄っている眉間と非常識な言動が好感度を下げてしまっている。
さて、どうしたものかと、されるがままに見守っていたら、正孝が側に来て一言。
「壱君、いつまで触らせてるつもり」
腕組みしている正孝は、何やら非難めいた目つきだった。
男の子嫉妬はみっともないってやつか? などと考えながら、壱真は積極的な女の子を覗き込んだ。
「気が済んだ?」
「え……ええ、まあ、怪我がないようで何よりだわ」
そう返しながらも、どこか不満げに見えるのは壱真の勘違いだろうか。
ともかく、女の子はめでたく離れてくれた。
「ねえ。あなた、この後ひま?」
「おおっ、マジでナンパ?」
「みたいなものね。私、こう見えて、お江戸の案内人を目指してるの。だから、いかにも初めてですって感じの、お人好しで付き合いがよさそうな観光客に練習台になってもらおうと物色してたところなの」
「へえ。なら、丁度いいや。忍者屋敷って――」
壱真は最後まで言い切る前に、正孝に腕を引っ張られて邪魔された。
「なんだよ、まー坊」
「なんだよ、じゃないでしょ。こうしてる間にも、依頼人が動いているかもしれないのに」
「でも、忍者屋敷には行くつもりだったんだから、いいだろ」
「で、も、じゃない!」
正孝は妙な女の子から更に引き離して、本格的な説教モードに入った。
「ったく、まー坊、しつこいぞ。俺だって、言いたいことはわかってるよ。でも、それとは別に、訳ありっぽいっつーか、なんか無性に放っといたら駄目な気がするんだよ、あの子」
「そりゃあ、訳くらいあるんじゃないの。わざわざ、狙って壱君を突き飛ばしたんだから。どうせ、スリとか詐欺のターゲットとして目をつけられただけだよ」
「えー。俺には、そういう風に見えないんだけどな」
壱真がぐだぐだ言うので、正孝はしわい顔つきで目をそらした。
謎の女の子は通りの向こうに移動していて、先ほどの強引な押し売りの態度とは打って変わって、そわそわと不安げにこちらの様子を気にしている。
「な、悪く見えないだろ」
見つけた獲物に逃げられたくないだけだと取り合うつもりがなかったのに、正孝は言い返しそびれてしまった。
「それに、ちょっと可愛いし」
おそらく、そこに同意してしまったからだろう。
しかし――
「ああいうタイプ、実は正孝の好みだよな」
などと、余計なことを付け加えてきたので、正孝は表に出しては認めなかった。
「壱君。僕達、遊びに来たんじゃないんだよ。それに、悪く見えなくたって、あの子、心配する振りはしてたけど、ごめんの一言もなかったよね」
「だっけか?」
「そうだよ。ああいうタイプは、放っておいたって逞しく生きてくんだから、関わらない方がいいの」
正孝がここまで言っても、壱真はまだ迷いを見せていた。
「なら、好きにすれば。その代わり、他の女の子に夢中になっていたせいで、肝心のお姫様にそっぽ向かれても知らないから」
「うっ、それは困る……けど、でもなぁー」
何が、でもなーだ。
どこでだって、正孝は勝手気ままな壱真に振り回されてばかりいる。
それでも、大抵は楽しいが上回るからついて行くのだけど、時々、本気でイライラして嫌になることがある。
よりによって、こんな時じゃなくたっていいのにと忌々しくなったところで、ふと、考え直してみた。
壱真だって大嫌いな刀を背負ってやって来ているわけで、ちょっと可愛いくらいの女の子に、これほど引っかかるものだろうか、と。
すでに何度か恋をしたことのある正孝に比べて、壱真はこの歳まで、まともに女の子を好きになった経験がないはずなのだから。
こう見えても、壱真はいいとこの坊ちゃんで、のびのび育った分だけ裏表がなく、曲がったことを嫌って人助けする行動力もあるので男女共に人気がある。
バレンタインだって、身内以外のチョコレートをもらわない年はないくらい、もてるのだ。
告白された経験だって、すでにそこそこあるのに、今は期待に応えるほど優しくできる自信がないからと言って全て断っているらしい。
要は、一人を特別に喜ばせられるほど豆で一途な性格ではないと夢見る女の子達に言い訳しているだけなのだけど、なぜか振ったはずの女の子達を後腐れなくファンとして慕わせ続ける結果となっている。
本当は、正孝だって女の子達の気持ちがわからないでもなかった。
壱真は太陽みたいな存在で、どうしたって人を惹きつけてやまない。
調子乗りの面倒くさがりで、勉強嫌いな大雑把。
なのに、大事な時には絶対に外さない勘のよさを持っている。
そう、不思議なくらい外さないのだ。
「だとしたら、あの子が依頼人の使い?」
「え、あんな女の子がか?」
「壱君。僕達だって、こんな男の子だよ」
「……だったな」
二人は改めて、店の壁に寄りかかって話し合いの結果を待っている女の子をまじまじと眺めた。
「いいとこのお嬢さんにしか見えないけどな。髪なんて、毛先までつやっつやだったぞ」
「綺麗にしてるのは城勤めだからかもよ。それで、偵察に来たとか」
うーん、と考え込む壱真に、他にも気になるところがあると正孝が言いかけたところで、雲行きが余所から動き出してしまった。
* * *
「あの二人、何をひそひそ話しているのかしら」
往来の真ん中に突っ立っているのは人にぶつかられそうだったので、店の軒先まで下がったあかりは、練りに練った計画が早々に上手く運んでいないジレンマを抱えていた。
明らかに計画自体が破綻しているせいなのだけど、寺子屋にも通わず、常に斜め四十五度に構えている佐之助とばかり接しているおかげで、人との距離の取り方が自分で思っているよりもドヘタなあかりは、比較する相手も忠告してくれる第三者もいないので理由がわからなかった。
「でも、挫けるわけにはいかない。ここで簡単に引き下がったら、何の意味もないんだから」
滅茶苦茶な作戦ながらも、あかりは強い決意を胸に秘めてきた。
「何としてでも、相馬 壱真、彼に、今世紀最大の悪女だって思われないと!」
赤の他人にしてみれば、どれほどふざけた計画に見えようと、あかりは心の底から本気であり、思い詰めた表情で壱真達の話し合いを待っているのだった。
「すミません」
考えに耽っていたあかりは、声をかけられるまで気配に気づかず驚いた。
片言の呼びかけに仰ぎ見れば、顔の造作が深い、見るからに外国人観光客の三人組がいた。
道案内ができるくらいには英語を習得しているあかりなので、怯むことなくネイティブな発音でどうしたのかと尋ね返した。
道に迷っているのなら、義理人情に厚いお江戸っ子としては、できる限り応えてもてなしたい。
しかし、目の前の三人は、ちょっかいという意味での遊び相手を探していたのだとすぐに判断できたので、だったら自分が付き合う必要はないと、きっぱり誘いを断った。
ところが、何を気に入ったのか、相手はねちっこく厄介だった。
「しつこいわね、侍を呼ぶわよ」
ついには日本語で言って睨みつけてやったものの、実際に来られたらあかりだって困るので、これは形ばかりの脅しでしかなかった。
どうしたものかと焦っていたら、思わぬところから助けが入った。
「そこの兄ちゃん達、俺達の連れになんか用?」
あかりは目を見開いてびっくりした。
いつの間にか、壱真とお供の男の子が戻っていて、さりげなく外国人観光客の間に割り込んでくれた。
うっかり、目的を忘れてときめいたあかりだったが、壱真は呆気なく胸ぐらを掴まれてしまった。
思うに、圧倒的な体格差のある力関係に対して、何か策があっての行動ではないらしい。
しかも、そうこうしている背後から警告する声が飛んできて、更に追い詰められる。
「げげっ、侍!?」
ある意味、やましいところのある壱真が、ぎくっと動揺を見せた。
「違うわ、あれは同心よ」
だから、刀でなく十手を振り回してばたばた駆けてくるのだとあかりは言った。
「どっちにしたって、まずいって」
あかりのまっとうな訂正よりも正孝の意見の方が真理だったので、戸惑っている外国人達の隙を縫って、お子様達は何を相談するでもなく一斉に逃げ出していた。
一番運動能力のある壱真が先頭になり、正孝とあかりは必死に後を追いかけていく。
幸い、壱真と正孝は色違いのズック靴を、あかりは踵の低いブーツを履いていたので、体力気力以外に足元の不安はなかった。
さすがに、そろそろ安全な距離が取れただろうというところで体力の限界を感じて、後ろを気にしながらも一行はゆるゆると立ち止まった。
「はー、マジびびった」
壱真がその場にしゃがみ込むと、続いていた二人も銘々呼吸を整える。
そうして、互いに顔を見合わせると、誰ともなく笑い出していた。
「っもう、本当にびっくりした。今だって、すっごくバクバクしてる」
「でも、逃げ切れただろ」
壱真の得意気な能天気さに、あかりは反発する気になれなかった。
「ええ。それに、ちょっとだけど楽しかた」
危険が去った解放感で自然に笑っているあかりはとても感じがよくて、壱真は捨て置かないでよかったと思った。
「俺は相馬 壱真。こっちは、幼なじみの和泉 正孝」
「えっと、壱真と……」
相馬 壱真については、釣書の履歴を読み込んで来たので頭に入っていたが、もう一人はあかりの頭になかった。
「正孝だよ。呼びづらいから、まー坊って呼んでやって」
にやっとしながら意地の悪い壱真に、当の正孝は訂正しようとした。
が……。
「じゃあ、まー君ね」
「え」
「え、駄目だった?」
正孝は小首を傾げて確かめてくるあかりと思惑とは違った成り行きを見守っている壱真とを交互に見て困った挙げ句に、それでいいですと小声で赤くなりながら了承してしまった。
「で、そっちは?」
自ら名乗った壱真は、相手にも同等の紹介を求めた。
「私? 私は……きららよ」
「それって本名?」
お江戸で遭遇する珍名率の高さに、妙な縁を感じてしまう。
「もちろん。雲母って書いて、きららって読むの」
「へえ、かっこいいな」
「でしょ。じゃあ、このまま忍者屋敷に行っちゃう?」
「どうする、まー君」
ここぞとばかりにからかってくる壱真をねめつける正孝は、結局、賛成するしかないのだった。




