接触・2
「殿。いつものお戯れのつもりでしょうけど、あまり機嫌を損ねるようなご冗談はいかがなものかと存じますが」
従者の立場にある佐之助が牽制するのを、聖夜は口元で笑った。
「この私に意見するとは、佐之助も随分と偉くなったものだな」
途端に、周囲が鋭利な氷で埋め尽くされた気配に支配された。
聖夜は扇で佐之助のあごを上げさせると、お前など指先一つでどうにでもできるのだと静かの内に示す。
この痛いくらいにピリピリした空気を破ったのは、どん、と勇ましく畳を叩いたあかりだった。
また別の緊張を生むかと思われた仕草は、あかりが手をどけたことにより緩和の方向へと流れ出す。
「おや、おやおや」
ころっと聖夜の気を逸らしたのは、あかりの手の下から現れた傾城のブロマイドセットだった。
「これは見たことがないな。もしかして、新作かい?」
すっかり食いついてご機嫌な聖夜は、同時発売予定の写真集はないのかと言い出したくらいで、先ほどのやりとりなど、すっかりどうでもよくなって見えた。
「相変わらず、傾城は美しい。会えるものなら、ぜひとも会ってみたいものだよ」
それは、佐之助の女装姿だと承知の上での発言だった。
実態の佐之助ではなく、幻想の中にいる傾城の美姫に会いたいと無茶を望んでいるのだ。
「あら、傾城が高嶺の花だとご存知ないの? 彼女は世界中に求婚者を持つ姫君なのだから、お江戸の殿様であっても抜け駆けは厳禁。欲を出しては、熱心なファンに背中を刺されても文句は言えないのよ」
あかりは聖夜の視界を遮るように真正面に躍り出た。
聖夜は、くすりと笑って同意した。
「そうだね、傾城ほどのレディを独占しようと欲張ってはいけないね。それに、どうやら私はお邪魔のようだ。今日のところは、お暇することにしておこう。それじゃあね、プリンセス。また、明日」
もう当分、来なくていいと思いながら、あかりは似たような背丈の佐之助をさりげなく隠す位置で見送った。
「まったく、あんな男がお江戸の代表なんて世も末だわ」
あっという間の出来事ながら、残していった余韻は非常に気まずかった。
室内が急速に静まり返り、悔しげに暗い顔をしている佐之助をどう励まそうかとあかりが捻っていると、「そうそう、忘れていたよ」と、端迷惑な聖夜が引き返してきたから鼻息が荒くなる。
あかりは、あからさまに不愉快な気分を押し出して戸口に立ちふさがった。
「おや、お姫様は怒った顔も愛らしい」
相手にされずに褒められたあかりは、それはもう頑張って全力のしかめっ面で不機嫌さを表現して見せた。
これには、聖夜も眉を上げただけで何も言ってこなかったが、それはそれで、あかりの気分を害したのだった。
「私の可愛いお姫様、挨拶ついでに求婚申請を持って来たのを忘れていたんだ。佐之助、お前が運びなさい」
せっかく引き離せたと思ったあかりの努力もむなしい展開で、役目となれば、主人だろうと邪魔のしようがなかった。
佐之助は努めて平静を装って進み出た。
敵いようもない相手を前にして、守るべきあかりに庇われた恥ずかしさでいっぱいで、せめて、これ以上は少しも感情の揺らぎを表にしたくなかったから。
縁談の申し込みは平日だろうと百を越え、二束に分けて佐之助の細腕に渡される。
重ねて何か言われるのではないかと警戒するが、受け取る際に近づいた時でも聖夜は配下任せにして、機嫌よくあかりを眺めているばかりだったので素知らぬ振りをしていられた。
残り半分を受け取り、何事もなく引き返す。
その油断した僅かの隙を聖夜に肩を掴まれ、ひそりと耳元で弄ばれた。
「うちの愚息の方が、女装の身代わりなんかより、よほど上等に守る用意をしているよ」
瞬間、佐之助の涼やかな面構えが大いに荒れた。
聖夜は、その様子をつぶさに観察すると、能面みたいな笑みを浮かべていなくなった。
最後にきて顧みられなかったあかりは、おもいっきり地団駄を踏んでむかついていた。
佐之助とは生まれたばかりの頃に病院で出会った仲で、今は従者として側にいてくれる関係だ。
普段は憎たらしいことを口にする嫌味な佐之助だが、その実、あかりの守役は自分しかいないと深く思い込んでいる節があり、将軍相手だろうと釘を刺してみせる。
そんな佐之助を見ていると、あかりは不安で堪らなくなるのだ。
いつか、あかり様のためと称して、身も心も犠牲にしている自覚すらなしに傷つき倒れてしまいそうで……。
「ねえ、佐之助」
「はい。どうかしましたか」
けれど、顔を上げた佐之助は、あかりの心配をよそに、いつもの三日月を思わせる瞳で微笑んでいた。
この様子では、何を言われたのか尋ねたところで、はぐらかされるに決まっている。
「ううん、なんでもない。それより、早速、見てしまうわ。手伝ってちょうだい」
「承知いたしました、あかり様」
観光局の受付嬢の予想に反して、あかりは毎日上がってくる冗談みたいな申し込みの全てに目を通していた。
名前や住所以外が空欄だと流し見にもなったが、それでも、必ずもれがないよう自分の手に取っていた。
「今日の分は、それで最後です」
一時間以上かけて閲覧したあかりは、唐突にわがままを言った。
「文久堂のうさぎ饅頭が食べたい」
「お昼前ですよ」
佐之助は形のよい眉を上げて問い返した。
「逆らう気? 私は、いますぐ食べたいの。真っ白い皮とぎっしりのこしあんが抜群な調和を、即刻、楽しみたい気分なの」
「いいですけど、今日から桜餡の薄紅うさぎも期間限定で発売しているらしいですよ」
「……じゃあ、それも。ちゃんと、二個ずつ買ってきなさいね」
「承知しております」
美味しいものほど、一人で食べてもつまらない。
だから、あかりの好きなものは、もうずっと二個ずつ用意させていた。
毎度のことなので、今更確認するまでもないのだけど、確認する度に佐之助が嬉しそうに笑むので、あかりはなるべく口に出すようにしていた。
ついでに、アイドル雑誌をいくつか買い物リストに追加してから佐之助を見送ったあかりは、広い部屋で一人きりになって、さて、と思う。
立ち上がり、全て断り捨てたはずの申請の束から一番豪華な装丁を手にして開いた。
それから、困ったように笑った。
「まるっきり正反対のタイプね。でも、かえってよかったかも」
ぱたりと閉じると、あかりは忍び出かけるための準備を始めた。
「おかしなところはないわよね」
さっきまでの華やかな打ち掛けから、城下町にありふれた素朴な柄の着物に替えたあかりは、大きな姿見で帯や襟足なんかを念入りに確認する。
これら一式は、深窓の姫君を通すしかないあかりのために、気晴らしに出歩く用として佐之助が手配してくれたものだ。
但し、自分が同行する場合に限りと絶対の条件をつけられていた。
これまでなら、そんな約束をしなくても、一人で遊びに行って何が楽しいと思っていたのだけど、今回は佐之助が邪魔になる目的があるので内緒で動く他ない。
非常用の勝手口を使って、ドキドキしながらこっそり城を抜け出した。
「確か、この辺だったはず」
駿府城のデータベースで標的の居場所を確認してきたあかりは、不安げに周囲を見回した。
運がいいことに、目を向けた先に写真で見たのと同じ格好の目立つ男の子が店から出てくるところを発見できた。
まだ豊かに膨らむ兆しのない胸に手を当てて、逸る気持ちを深呼吸して押さえ込む。
長いこと待ちわびていた希望の騎士が現れたのだ。
しっかり練り上げてきた、自然でインパクトのある出会いを頭の中でなぞって復習しておく。
イメージは完璧だった。
「よし、行くわよ」
あかりは自信満々で作戦を実行に移した。




