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携帯電話の画面をタップすると、手元が明るくなる。けれど、そこから何か操作することもなく、また暗い画面に戻る。少し思案して、もう1度タップする。今度はアドレス帳を開く。さ行……実家の所までスクロールした所で、再び指が止まる。
どうしようか。
考えている内に、また画面は暗くなった。拒否しているような気がしてきて、小さくため息が洩れた。
「どうかしたん?」
不意に明るく、でも気遣うような声がする。顔を上げると、机の向かいに首を傾げた吉川くんがいた。
「いえ、特にないんですけど……」
慌てて誤魔化そうとするも、上手く言葉が続かない。サークルの部室で物思いに耽るのは良くないと内心、苦笑する。
「そうかぁ?」
案の定、吉川くんの顔は訝し気だ。間延びした関西弁のせいか、怒っている雰囲気はないのだけど、妙に気まずい。思わず言葉がこぼれた。
「ええ、実家に電話しようかどうか迷っていただけなので」
「実家?」
「夏も春も帰らなかったことが、ちょっと気になりまして」
「ああ、そういえば帰ってへんかったなぁ。何かあったん?」
強いて言うなら地元の後輩に言われたから、なんだけど言い訳でしかないのかな。言葉を選びあぐねていたせいか、困惑した顔になったのかもしれない。
「吉川くん、綿実をいじめないでください!」
糾弾するような声が、隣から響く。優子だ。
「ちょっ! いじめてへんで!」
途端に弁解する吉川くん。優子は笑みを浮かべているのに、吉川くんは本気で慌てているみたいだ。さっきまでの心配する顔は吹き飛んでいて、表情が豊かな人だな、と改めて思う。なんて感心しいている内に優子の吉川くんいじりが始まりそうだったので、私は言葉をはさむ。
「大丈夫だよ、優子、ありがとう」
「その言い方やと、ほんまにいじめてたみたいやん……」
「吉川くん」
うっかり落ち込ませてしまった吉川くんを、優子はジト目で見ている。私は急いで口を開く。
「あ、ええと、優子、違うの」
優子はもともと本気でいじめているなんて思っていないので、鷹揚に頷いて、私の言葉を待ってくれる。
「なんていうか実家に連絡しようかどうか考えていただけだから」
結局、吉川くんに説明したのと同じような内容を改めて告げていた。
「実家で何かあったの?」
「いや、特にはないんだけどね」
「まぁ、1度も帰省してないなら気になることもあるか」
深く切り込むこともなく、何となく察してくれているみたいだ。瑠璃ちゃんから何か言われているわけじゃないよね……。ちょっと不安な気持ちが頭をもたげる。
「気になるというか……」
言葉が続かない。私が気にしているのは母親と父親の関係のことなのか、それとも……。
「思うところがあるなら1度帰省してみたらいいんちゃう?」
いじりを回避して持ち直したらしい吉川くんは、さらりと言ってのける。
「帰省」
「うん、本の紹介する文章も集まったし、ビラの案もまとまったし、新歓の準備もあとは印刷するだけやし」
「冊子の製本も大変だと思うけど」
「人数おるから大して困らんよ。春休みもまだあるし、帰省できる内にしといた方がええで?」
普段、同い年のように思えてしまう吉川くんだけど、やっぱり先輩なのだと思う。周りの状況を判断する力は、私にまだまだ足りないものだ。
「うん、まだ1回生だしね。帰省はしてみてもいいんじゃない?」
優子も吉川くんの言葉にのってくる。私は2人に背中を押されるようにして頷いていた。
とはいえ、実際の所はバイトの予定もあるし、そんなにすぐに帰省できるものでもない。いや、そもそもまだ確定したわけじゃないし、ね。
結局、その日のサークル活動中、帰省の2文字が頭の片隅を支配することになってしまった。
春休みの予定はバイトとサークルくらいしかないのだから、本来調整するのはそこまで難しいことじゃない。私の気持ちの問題なのだろう。
自宅に帰った私は、また携帯電話の画面とにらめっこしている。タップして開くアドレス帳。ただ、さ行ではなく、か行で指は止まる。
鴨井夏衣。ナツだ。
名前をタップすれば、つながる。遠く離れた距離なんて、まるでなかったかのように。それはどこか怖いことのようにも思えた。
逡巡する指先。
画面に触れるか、触れないか。
1度深呼吸をする。そして、いざ触れようとした時、緊張を切り裂くように携帯電話が鳴った。着信を知らせる音だ。
――ナツだ。
携帯電話に表示された名前は鴨井夏衣。私は息を飲んだ。この1年近くの間、ナツからは1度も連絡なんてなかった。
震える指で、でも着信が切れてしまわないよう、急いで通話をタップしていた。
「もしもし」
懐かしい声は、記憶よりも少し大人びて聞こえた。男性だった。耳に響く声に、私の心はざわめきを止めることができなかった。




