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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥

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8

 読み終えた文庫本をそっと閉じる。やわらかな文章で、やさしく、ちょっと切ない。そんな小説の世界をおすすめできるような文章を書けるかな?

 エッセイみたいなもので良いと言われても、書いたことはないので逡巡してしまう。とはいえ、あまり時間もない。

 私はノートパソコンを立ちあげて、文章を書く準備を整える。普段、レポートを書く時くらいにしか使わないせいか、講義の課題に取り組む意識の方が書きやすい気がしてくる。うん、レポートの感覚でいこう、そうしよう。

 評論と言われると格式張った感じになるし、エッセイでも気取った気分になって書きにくさが先行してしまったけど、レポートと考えると不思議と文章が進む。文才はないんだろうな、としみじみとしてしまう。

 2時間ほど集中すると、ある程度形にはなった。果たしてこの文章を読んで、小説を手に取りたいと思えるかどうかは分からないけど……。

 ふと喉の渇きを覚える。ずっと座りっぱなしだったので、体全体も凝っている気がする。椅子から立ち上がり、軽く伸びをしてから台所に向かう。

 2人暮らしと考えると、少し手狭かもしれない。でも取り立てて不便というほどでもない絶妙な広さの台所に、やや圧迫感のある冷蔵庫。野菜はもちろんのこと、アイスも十分に入れることができるので、夏は大助かりだった。

 麦茶をガラスのコップに入れて、人心地つく。

 さて、せっかく台所に来たのだし、少し早いけど夕飯の支度をしてしまおう。実家を出て早1年。それなりに料理することにも慣れてきた気がする。未だにお父さんの方が手際が良かったりするけど、深く気にしないことにする。

 なんて考えていたら、玄関の鍵がガチャリと開く音がする。台所と玄関は繋がっているような間取りなので、音もよく聞こえる。


「おや、夕飯の準備かい?」


 玄関から顔を出したのは当然お父さんだったけど、第一声がただいまではなく驚きの声とは。


「うん、おかえり。ちょっと早いけど作ろうかなって」


「そうか、父さんの分もあるのかい?」


「もちろん、あるよ」


 少し呆れた声になったかもしれない。作る時は毎回2人分用意しているのに。それはお父さんが作ってくれる時だって同じだ。お父さんも苦笑したような笑みをこぼしてから着替えてくると、一緒に台所に立った。違和感はあるようでない。だけど2人が立つと、やっぱり狭いかもしれない。

 そうして1時間もしない内に食卓にはロールキャベツと、春雨を使ったマヨサラダ、そしてコンソメスープが並んでいた。味は特別美味しいわけじゃないけど、ちゃんと温かい。


「今日は早かったね?」


 ここ最近は夕飯の時間を過ぎてから帰宅することも多かった。スープを一口飲んだお父さんは、緩やかな顔をする。


「仕事も一段落ついたからね」


 3月は年度末の季節。派遣社員としての仕事も普段より多いらしい。その分収入は増えるから助かるみたいだけどね。その仕事の合間には、何やら資料と向き合っていたりもする。大量に積まれた本がいつか崩れてしまいそうだと思う時もある。院生にとって春休みはあってないようなものなのかもしれない。

 お父さんなら原稿用紙3枚くらい、評論でもエッセイでも難なく書き上げてしまうのかもしれない。


「ねぇ、文章の書くコツってある?」


 ふと気になったので聞いてみた。お父さんは少し目を見開いた後、1度頷く。


「そうだな。どんな文章なのかにもよるけど、まずは何を書きたいか決めることじゃないかな」


「書きたいこと?」


「核となる所がブレると全体に締まりがない文章になるからね」


 言われてさっきまで書いていた文章を思い出すと、ただの感想文になっていた気がしてくる。ご飯を終えたら見直す必要がありそうだ。


「何か難しいレポートでもあったのかい?」


 尋ねてくる姿は、宿題で分からないことがあって教えてもらう時に見せる父親の顔だ。小学生の頃と変わらない。安心と寂しさが入り混じった気分になる。


「ううん、ただのサークルで使う文章だよ」


「考える紙の会だったか。どんな文章か気になるな」


 お父さんはサークル内容を勘違いしている様子はない。でも自分の書いた文章を親に見せるのは気恥ずかしい。


「機会があったら見せるね」


 やんわりと断ると、お父さんは言葉を重ねることなく、笑みを落としただけだった。それでも気分を害したわけでもなく、ゆるやかに夕飯の時は過ぎていく。後片付けも2人でした。

 だけど、夕飯を終えてしまうと会話が思い浮かばなくなってしまった。

 そそくさと自室に戻った私は、レポートもどきの文章を見直して、全体の体裁を整える。書きたいことの中心を据えたお陰で、一応、読める文章になったはずだ。

 プリントアウトしてから、念のためにもう1度読み直す。大丈夫だ、たぶん。

 一息ついてから、私は文庫本を本棚に収める。この1年で文庫本の数は随分増えたと思う。周りに色々とおすすめしてくれる読書家が多いというのは大きい。

 本棚をぼんやりと眺めていると、1冊の背表紙が目に留まる。水仙柄のブックカバーをつけた本。

 自然と私の手は、その『たけくらべ』を取り出していた。

 特に読むわけでもなく、ぱらぱらとページをめくる。懐かしい匂いがするような気がした。そっと閉じると、また本棚に戻す。

 空いた手のひらは、そのまま机の上にあった携帯電話を手に取るけど、結局何もせずにまた手放していた。ほんの少し、手汗を感じた。

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