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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥
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6

 新歓までに準備することは、もう特にないと思っていたら、あった。

 新入生に紹介する本を1冊選んで文章にまとめてね、と部長にさらりと言われたのだ。サークルの名刺代わりとなる冊子を作るのだそうだ。1人1冊、原稿用紙3枚程度の長さで論じるのだ。評論というほど硬いものではなく、おすすめの本を紹介するエッセイの感覚で良いらしい。

 たしかに、サークルに入りたての頃に、そんな感じの冊子をもらった記憶がある。毎年恒例で、当然のものすぎて、説明がすっぽ抜けていたらしい。部長……。

 そんな訳で、急遽1週間以内に文章を書き上げる必要が出来た。時間もないし、すでに読んだことのある本でも良かったのだけど、せっかくなので新しく読んだ本を紹介しよう。その方が文章も書きやすいかもしれない。

 なんて思った私はバイトのない日に本屋さんへと出かける。近所でも良かったけど、どうせなら大きな本屋さんに行こうと市内にまで出てきた。いや、別に、長期休暇にバイトとサークルしか用事のない娘を心配する父親の目を気にしたとか、そういう訳じゃない、決して。


「綿実、気になる本あった?」


 本屋さんで小説を物色する私の隣には、優子がいる。本を探しに行くと言ったら、優子も付いて来たのだ。


「うーん、読みたい本はいくつかあるけど、紹介したい本となると……」


「そこまで難しく考える必要ないと思うよ?」


 優子の手には、文庫本が3冊ある。もともと買う予定の本もあったみたいだ。

 対する私は、元来、読書家じゃない。作家に詳しくもない。読書量はサークル内で一番少ないだろう。


「優子はその3冊の内、どれを紹介するか決めたの?」


「ううん、これは単純に読みたかっただけ。紹介するのは別の本にするつもり」


「そうなんだ。読み慣れたものの方が書きやすいかな?」


「まぁ、内容は分かっているしね」


 やっぱりすでに読んだことのある本の中から選んだ方がいいのだろうか。新鮮な気持ちで書いた文章の方がいいかも、という淡い考えは萎え始めていた。

 じゃあ何を紹介するのかと家の本棚を思い返しても、パッと出てくるタイトルはない。詩やエッセイ、評論を紹介する文章を書くのは私には難易度が高い。となると小説になるのだけど、どのジャンルにしようか迷う。

 文庫の棚を1つ1つ丁寧に見ていく。大型書店だけあって、近所の本屋さんには置いていない本も多い。文庫と新書だけで、1つのフロアを使っているのだ。比べるべくもない。それだけに目移りしてしまうというのもあるのだけど……。


「実写化されたやつなら読みやすいんじゃない?」


 決めあぐねる私に苛立つこともなく、そんなアドバイスまでしてくれる優子。


「なるほど。一理あるかも」


 心の中で感謝しつつ、私は映像化の棚へと足を運ぶ。今現在公開されている映画や放送されているドラマの原作から、これから映像化されるものまで並んでおり、思った以上にバラエティ豊かだ。

 迷う私の足は次第に映像化の棚からずれていき、気付けば文庫の棚に戻ってきていた。読んだことのある作家さんの別の作品にしてみよう、と思い直し、私の目は作家順に並ぶ棚を凝視する。

 やがて1つの作品が目に留まる。『流しのしたの骨』。物騒なタイトルなのに、妙に柔らかい印象を受ける。裏表紙のあらすじを見ると、家族小説みたいだ。


「その本にするの?」


「うん、気になるからこれにしようかな」


 読んでみて難しそうなら、家の本棚から選び直せばいいと気楽に構えることにする。そもそも冊子と言っても、サークル棟の輪転機でコピーしてホッチキスで留めるだけのものだ。名刺代わりと言われたけど、そこまで肩肘張るものでもない。

 無事に買い物を済ました私達は、少し遅めのランチを取ることにしていた。どうやら優子には行きたいお店があるらしい。


「いやー、そのベーグルがすっごく美味しそうでねぇ」


 ネットの記事を見ただけらしいのだけど、カフェが併設されたベーカリーで、どうやらベーグルが売りになっているらしい。上機嫌な優子の笑顔を見ていると、私も楽しみになってくる。

 軽い足取りで本屋さんを後にした。


「佐野先輩?」


 不意に名前を呼ばれた。


 さの、せんぱい?

 どきりと鼓動がはねる。壊れたブリキのおもちゃのように、ゆっくりと振り返る。

 でも、そこに見慣れた顔はなかった。そもそも声も違った。立っていたのは1人の女の子だった。見覚えのある女の子だ。


「やっぱり、佐野先輩だ。覚えてます? 夏衣くんの同級生の瑠美です。坂口瑠美」


 笑顔を浮かべる彼女は、元気よくはきはきとした声で話し出す。


「え、ええ」


 その勢いに押されて、私は曖昧にしか頷けない。

 夏衣くん。

 当たり前に言われる名前に、動揺する私がいる。


「綿実の知り合い?」


「あ、うん、高校の後輩」


 優子が助け舟を出すように尋ねてくる。後輩と言っても、親しく話した覚えはないに等しい。


「はじめまして、坂口瑠美って言います。春からまた後輩になるんで、よろしくお願いします!」


 優子に挨拶した彼女の言葉に、私は再び衝撃を受ける。また後輩になるとは?


「あれ、ってことは大学も綿実と同じってこと?」


「そういうことです、先輩」


「へぇ、じゃあ、私ともよろしくね。伊藤優子よ」


 笑みを浮かべて言葉を交わす2人の姿に、私は何故か眩暈を覚えた。早鐘を打つ心臓の音はまだうるさい。

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