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京都からの帰り道の記憶はほとんどなかった。
綿実とは何か言葉を交わした気もするが、内容は思い出せない。表情も分からない。俊雄たちはちゃっかり花見の場所を確保していたけど、一緒に盛り上がれた気はしない。翌日の今日、旅館で行われた(一応)サプライズの誕生日パーティーも空元気だったかもしれない。俊雄や瑠美や、みんなの微妙に気遣わしげな瞳が脳裏をかすめる。
なんだか申し訳ない気持ちになった。手に持ったプレゼントの袋が重かった。開けてみるとリストバンドやフェイスタオル等、部活仲間らしいチョイスだった。
明日からの部活でまた会う連中だ。今日中に笑顔のチャージをしておきたい。
そう思い、帰宅して早々にベッドにダイブした。慣れたベッドのスプリングが心地良い。
だけど、目を閉じると綿実の笑顔がよぎる。その笑顔がもう自分に向けられることはないのだろう、と思うとぞっとした。
「失恋、なのか」
つぶやいてみると、心臓に刃を突き立てられたような痛みが走った。目の端がしょっぱく濡れる。
「あくびだ」
誰がいるわけでもないのに言い訳する。そしてぐっと目を閉じた。
夢の中に落ちれば、気も紛れるだろう。と、思ったのに。眠りがやってくる前に控えめなノックの音が響いた。
誰だ? って考えるまでもない。今家にいるのはおれの他には母さんしかいない。目をこすってベッドから立ち上がる。ドアを開けると、やっぱり母さんがいた。
「おかえり」
「ただいま」
それから言葉が続かない。母さんの視線が、ちらりとおれの左腕を捉える。長袖の下を見透かすようだ。やっぱちょっと気まずいよな。あと数日もすれば完治すると思うけど、たとえ傷跡が消えたとしても、母親としては気にしてしまうのかもしれない。おれから気にしなくてもいいよ、と言うのも何か違う気がする。
「あ、そうだ、土産あるよ」
おれは思いだした勢いで、放りだしたままだった鞄を取りにいく。京都の定番らしい焼き八つ橋と千寿せんべいだ。母さんは少し笑った。
そしてそのままリビングで食べることになった。お茶を飲むと、気分も落ち着くような気がした。美味しいわね、と言ったきり母さんは口を開かず、おれも頷いただけだった。普段、何を話していただろう。
……綿実のことだろうか。
「京都では、あの子、綿実さんには会ったの?」
どきりとした。考えを読まれているような気がして。どう答えるべきか、と考えてから、母さんの言葉を反芻していた。綿実さん……?
母さんは平然とお茶を啜っている。けど、瞳が上下左右に不安定に動いていた。そこに蔑みは感じられなかった。おれは背筋を伸ばした。
「会ったよ」
その結果、どうなったかは言えそうにない。いつか酒の肴や笑い話として語れるような日が来るのだろうか?
母さんはそっと息をついてから、湯のみをテーブルに置いた。
「夏衣も京都に進学するつもりなの?」
「え?」
確かに綿実に告白する時に言った。でも、あんなのはその場の思いつきと勢いだけのもので、深く考えたものではなかった。そりゃ振られるよな、と心の中で項垂れる。
「そこまではまだ考えてないけど……」
「そう? 夏衣なら追いかけていくのかと思ったけど」
「自分の息子をストーカーみたいに言うなよ」
一途と言えば聞こえはいいかもしれないが、振られた今となっては追いかけたところでストーカーでしかない。純愛って怖いな。自分で純愛とか言うのもどうかと思うが。
「まぁ夏衣が京都に行きたいというなら、それはそれでいいと思うのよ」
「え?」
「この2日ほどの間に父さんとも色々と話したのよ」
「あ、うん、そうなんだ」
母さんが何を言わんとしているのか、いまいち見えてこない。でも、旅行が終わったら受験に専念するという話をしていたしな。首を捻っていると、母さんが真面目な顔をした。まっすぐに見つめられる。
「地元にしろ京都にしろ、進学する理由を自分の中でちゃんと考えてくれていればいいのよ」
「うん、分かった」
おれが頷くと、母さんはまた焼き八つ橋に手を伸ばしていた。
「自分の中で、か」
ふと洩らしたおれの声に、母さんはちらりと見ただけで何も言わなかった。
部屋に戻ってからも、その言葉が頭の片隅で響いていて困惑させた。
中学に進学する時、高校に進学する時、おれはどうだっただろう。バスケに力を入れているという私立の中学を受験することは1ミリも考えなかった。高校の進学先も今通っている所以外はまるで検討しなかった。
確かにおれの中で確固たる理由があった。
綿実のそばにいたい。
それだけだ。おれ自身が何かを学ぶために選んだ訳じゃなかった! 分かっていたのに気付かないふりをしていた!
愕然とするような、納得するような、不思議な気分だった。
――それは、考え直した方がいいと思う。
綿実の言葉を思い出す。綿実ももしかすると進路のことを言っていた? 告白に対して考え直すよう促すのもおかしいような? いや、都合良く解釈し過ぎか。綿実はあの後何を言っていたのだろう。思い出せない自分のポンコツぶりが嫌になる。
でも、どうしてだろう。
少しだけ、ほんの少しだけ気分が上を向いたようだった。
今は自分の進路のことを考える。そうすれば綿実とのことももっとちゃんと考えられる気がしたのだ。
何も根拠はありはしないのに。もう手を取ることは叶わないかもしれないのに。
嫌いとはっきりと言われた訳じゃない。幼馴染みだと言うなら、もう1度そこから始めてみればいい。そのためには、まず自分が変わらなくちゃいけない。1つ、前を向けたら歩き出す力も湧いてくる。
良くも悪くも綿実のことが中心にある。そんな単純な自分に助けられるとは。こんなにポジティブだとは知らなかった。
さて、幼馴染みだと言うなら、やるべきことがある。おれは携帯電話を片手にベッドに腰掛ける。
『おれ、今日誕生日なんですけど? おれは祝ってやったのに、そっちは一言もないわけ?』
振られた翌日にこんなメールを送るなんて滑稽に見えるだろうか。強がりに見えるだろうか。綿実をまた困らせるだけだろうか。
それでも構わない。黙ったまま関係が途切れるより、幼馴染みでも繋がりを持っていたい。その先のことはこれから考えればいい。
少し震える指先に力を入れて、メッセージを送信した。
背中をベッドに預けると、心地良い弾力に包まれた。鼓動が痛いくらいに激しいことに、今更に気付いた。大きく息を吸ってみたけど、すぐには整いそうにもなかった。
……綿実から返信は来ないかもしれない。来る可能性の方が低いだろう。どんなにポジティブ思考になっても、それぐらいは弁えているつもりだ。
ゆっくりと目を閉じれば、また綿実の笑顔が思い浮かぶ。だけど、大丈夫だ。
不意に携帯電話が震えた。一瞬、躊躇ってから画面を確認した。やがて小さく息を吐いた。
綿実と1日違いの誕生日。1年遅れておれは高校3年生になる。そして同学年の誰よりも早く18歳になった。




