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円山公園は花見の時期ということもあって、人で溢れていた。桜は満開には1歩早い感じだったが、充分に見頃と言えた。
着いて早々に俊雄たちと別行動を取ることにしたものの、後で合流するのは大変そうだ、と嘆息する。それでも嫌な気がしないのは、周りの陽気な雰囲気のせいか。これから綿実に会える高揚感なのか。
入学式を既に終えたらしい綿実は、もうこっちに向かっているらしい。枝垂桜の辺りで待ち合わせ、という曖昧な約束を今朝メールでやり取りしたが……無事に会えるのか、少し心配にはなる。
携帯電話を取り出してみたけど、特に着信とかは入ってなさそうだ。
おれは少し息を整えるつもりで、歩調をゆっくりにする。人の肩にぶつからないように気をつけて進む。顔を赤らめた人も多いけど、どこか穏やかな気分だ。
やがて開けた場所に大きな桜の木が見えた。枝垂桜。名前の通り、垂れたような枝には桜の花びらが揺れていた。本当はライトアップされた夜桜の時間がより幻想的で美しいらしいけど、昼間でも充分に綺麗だ。
「ナツ」
思わず見惚れていると、慣れ親しんだ声が聞こえた。無事に落ち合えたんだ、と安堵しながら振り返って、そして言葉を失った。
「ちょっと待たせちゃったかな?」
綿実は笑顔を覗かせるけど、おれの表情は硬かったと思う。自分でも分かるくらいに。
入学式の帰りだという綿実は、黒のスーツを着ていた。同じスカートでも高校の制服とは違う。顔もうっすらと化粧していることが見てとれて、ずっと大人びて見えた。化粧した顔なんて、一緒に水族館に行った時にも見たはずなのに。スーツと組み合わせられると、まるで別だった。
友達との旅行中とはいえ、普段着に近い私服の自分が妙に気恥ずかしく思えた。
「ナツ? どうかした?」
綿実の顔がぐっと近づく。思わず1歩後ずさる。
「……っ、だからナツって呼ぶなって!」
「別にいいじゃん。2人なんだし」
さらりと言ってのける綿実は、何も意識していないのだと実感させられる。何も答えないおれに首を傾げつつも、すぐに笑顔を見せる。
「桜、綺麗だね」
「そうだな」
綺麗だな、とは言えずに相槌だけ返す。それでも綿実は満足そうだ。おれは一瞬目を閉じる。大丈夫だ。強く、強く心に念を押す。
目を開けると、美しい枝垂桜と綿実がいる。舞い散る花びらと合わさって、大袈裟じゃなく絵になっていると思う。視線を少し外す。
「ちょっと歩くか?」
「そうだね。ずっとここにいても邪魔だろうし」
周囲は絶えず人が歩いていて、あまり落ち着ける感じではなかった。かと言って、どこに行けば落ち着けるのかは分からなかった。人の邪魔にならない所はないような気がした。
「京都旅行はどう?」
綿実が軽い調子で聞いてくる。横顔は確かに長年見てきた幼馴染みの顔だった。
「観光している! って感じだな」
「何それ?」
涼しげな笑い声が耳に心地いい。それはつい先日まで当たり前に隣にあったものだったのだ。
「いや、みんながガイドブック読み込んでいてさ、やたら詳しいんだよな」
「ガイドさんがいっぱいって感じ?」
「そう。勉強になるよ」
「ナツは? ガイドブック読んでこなかったの?」
「ああ。行った先で分かるだろって思っていたから」
言葉は簡単にキャッチボールを始める。笑顔だってこぼれる。それで充分だろって思うのにな……。おれは……。
人がいない方、いない方と進んでいたら、いつの間にか八坂神社の辺りまできてしまっていた。俊雄や瑠美たちはどうしているだろう。人混みに辟易として、どこかに移動してしまっただろうか。それとも上手く花見の場所でも取れただろうか。
1度連絡をするべきか……。いや、と、すぐに頭を振った。
「なぁ、もうちょっと歩いてもいいか?」
おれは欲張りなのだ。
「私は大丈夫だけど、ナツの友達は大丈夫?」
「うん、綿実と会うことは話してあるから」
「そう? ならいいけど」
綿実が頷いたのを確認して、おれたちは再び歩きだした。春の京都はどこもかしこも人で溢れている印象だけど、それでも円山公園の様子を見た後だと、四条通の辺りは空いているように感じた。
まっすぐに歩き続けると鴨川が見えてきた。人はやっぱり多いけど、ここなら少しは落ち着けそうだった。川辺に降りると、せせらぎの音が心地良かった。
おれは、1度、大きく深呼吸をした。
「綿実」
「ん? 何?」
鼓動が少しずつ熱くなってくる。身体の中に太鼓が埋め込まれているような錯覚をする。自分の声が鼓動にかき消されてしまいそうで、意識して強く発音する。
「誕生日、おめでとう」
言いながら、鞄から買ったばかりのプレゼントを差し出す。
「あ、ありがとう。ナツからのプレゼントなんて、本当久しぶりだね」
笑顔で受け取った綿実が、少し首を傾げる。震えるおれの指先に気付いたのかもしれない。だけど、綿実は笑顔を崩さなかった。
「開けてみてもいい?」
「……おう」
おれは、どう言葉を繋げていけば良いのか、分からなくなりかけていた。もともとそんなつもりじゃなかっただろう? 言い聞かせてみても、鼓動はますますうるさくなるばかりだ。
「あ、ブックカバーだ! 意外と渋い選択だね?」
「ああ、それは……」
頷きながらおれはもう1つ鞄から取り出す。綿実が忘れて行った文庫本だ。
「おばさんからこれ渡すように頼まれていてさ。それで何となくっていうか」
歯切れの悪いおれの言葉を聞きながら袋を開けた綿実は、目を見開いた。
「これ……だから水仙なの?」
「え。何が?」
綿実の言った意味が分からなくて、きょとんとした声が漏れた。
「水仙柄のブックカバーって、『たけくらべ』を読んだからじゃないの?」
「いや、おれにはちょっと文章が難しくて読めなかったよ」
「そっか。ナツは国語の勉強頑張らないとね」
「な、なんだよ、それ」
突然のダメ出しに思わずむくれたような声が出たけど、少しどもったような感じになってしまった。鼓動を鎮める方法があるなら、誰か教えてほしい。
……結局、もう口にしなきゃおさまらないのかな。
「なぁ、綿実、おれっ」
ブックカバーに視線を落とす綿実に言いかけた言葉は、だけど途切れた。綿実のスーツ姿が現実を突き付けてくる。
1日しか違わないのに。
「ナツ? どうかした?」
言い淀んだおれに、不思議そうな視線を向ける。口にすれば5秒とかからないのに。たった2文字で伝えられるのに。
「おれ……」
おれは綿実とどういう関係を望んでいるんだろう? 彼氏彼女の関係なのかな。上手く言葉にできない違和感が、急激に質量を増していくようだった。でも、鼓動はもう痛いくらいで、言ってしまいたかった。
「おれ……も京都の大学受けようかな」
誤魔化すように口をついて出た前置きに、綿実が戸惑いの顔を見せる。瞬時に間違ったと思ったけど、もう引き返せなかった。
「綿実のことが好きだから」
つないだ言葉は空虚になった。
どれくらい待っただろう。水のせせらぎと行き交う人の声だけが穏やかで、遠かった。おれはもう何も言えなかった。あんなに激しかった心臓の音は、ただ冷たかった。
やがて、綿実の息を吸う音が聞こえる。
「それは、考え直した方がいいと思う」
綿実の声は、静かで硬かった。表情も落ち着いていて、おれの告白に対する歓喜も嫌悪も見られなかった。
おれたちは、ただの幼馴染みでしかなかったということだろう。
綿実が何か言っている。そうおれの瞳は認識している。だけど、言葉を認識できなかった。しばらくして、綿実の唇が閉じた。でもおれは言葉を持っていなかったし、ましてや綿実の唇を開く術もふさぐ権利も持ち合わせていなかった。
風にさらわれて舞い落ちてきた桜の花びらが、2人の間に落ちた。




