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綿実の誕生日へのプレゼントには、ブックカバーを選んだ。
正直、綿実に読書家のイメージはあまりない。でも反物屋の小物の中にブックカバーを見かけた時に、自然と足が動いていた。普段なら古式ゆかしい店の佇まいに躊躇したと思うけど……。その時は周りの戸惑う声も聞こえていなかった。
ただ『たけくらべ』の文庫本を持っていた綿実になら、合うだろうな、と思っていた。
幸い高校生だからといって門前払いされるようなこともなく、笑顔で迎えられた。割とリーズナブルな小物も多くて、土産物屋としても繁盛しているようだ。
着物の端切れを利用して作られたブックカバーもその1つらしく、2000円くらいでお手頃だった。色々悩んで、水仙をあしらったブックカバーを選んでいた。凛とした雰囲気が、卒業式の綿実の背中を思い出させた。
「何買ったんだ?」
ラッピングを終えて店から出ると、俊雄がさっそくといった様子で尋ねてくる。
「ブックカバーだよ」
「お前、マジで文学青年になるのか?」
「おれのじゃねーよ」
「ああ、なるほど」
すぐに察してくれたらしい。そして、そのまま追及することもなく、笑顔で他の連中との会話に戻っていく。何だかんだで空気はちゃんと読んでくれるんだよな。あとはガンガン背中を叩いてくる癖を治してくれれば良いのだが……。
「なんか楽しそうね」
瑠美がおれの隣に並んで歩きだす。何となく憮然としているように見える。
「楽しそう、かな?」
「うん。顔、かなり緩くなっているよ」
思わず頬に手をやる。でも自分ではよく分からなかった。無事に誕生日プレゼントを買えて安心しているのか、単純にもうすぐ会えるのが嬉しいのか。
どちらにしても綿実絡みか。
「ま、自分じゃ分からないくらい浮かれているってことじゃない?」
「そうかな……」
そんなに露骨に顔に出るタイプじゃないと思っていたんだけどな。それにしても、いつもより言葉がきついような?
うーん。朝から結構歩いているからな……。銀閣寺まではバスで移動したけど、その後は哲学の道を通って、平安神宮を堪能し、今は円山公園へと向かう途中だ。京都を北から南へ縦断していることになる。
「疲れているなら鞄持とうか?」
「大丈夫よ」
「そうか?」
「別に疲れてはいないから」
じっと瑠美の顔を見てみる。確かに疲労の色は見えない。むしろ血色は良いと思う。
「な、何よ?」
「いや、無理してないかなと思って」
「本当に大丈夫だから」
瑠美は苦笑とともに溜め息をついた。でも嫌悪の色はなかった。どちらかというと諦めに近いような。呆れか? ううむ、分からない。
「ねぇ、この後、佐野先輩と会うんでしょ?」
からりとした口調には、先ほどまでの刺々しさはない。かわりに2人の間に薄い膜のような、壁のようなものが出来た気がした。だけど明るい顔を見ると、尋ねるのは土足で踏み込むように思えて出来なかった。
おれも努めて明るく、何でもないことのように口調を整える。
「うん。その予定。旅行中に悪いな」
「別に。1年に1度の誕生日だしいいんじゃない」
「うん? 誕生日って言っていたっけ?」
「前に夏衣くんと誕生日が1日違いって聞いたもん」
そういやいつかのファミレスでそんな話をした気もする。別に強調したつもりはなかったけど……。1日違いってことで記憶に残りやすかったのかな。
「ねぇ、1つ聞いてもいい?」
瑠美は前を向いたまま言う。その横顔は夕べのやり取りを思い出させる。そんなに言いにくいことなのだろうか。一瞬、思考を巡らしてみたものの思い当たることはなかった。戸惑いはあったけど、頷いていた。
「うん、何だよ?」
「佐野先輩のこと好きなの?」
直球の言葉は、戸惑いを色濃くさせる。何故、突然瑠美がそんなことを聞いてくるのか。ただの好奇心なのだろうか。だけど、依然、前を向いたままの瞳に茶化す雰囲気はなかった。
「うん、好きだよ」
気付いたらするりと言葉がこぼれていた。それは素直な確かなおれの気持ちだった。
だけど、どうしてだろう? 胸の奥にある想いとわずかにずれているような、微かな違和感も覚える。
触れたいと焦がれる衝動と、遠くから眺めているだけの憧憬。
おれは確かに綿実が好きだ。でも、その先はあるのだろうか……?
不意に漠然とした不安が押し寄せてくる。言語化しようとすると、泡となって消えてしまう。それなのに絶えずおれの周りにあって息をしづらくさせる。
好きだけど、好きだけじゃ……。
「夏衣くん?」
瑠美が怪訝な顔をして覗きこんでくる。おれは慌てて言葉を繋げる。
「あ、いや、改めて言葉にしたことなかったから変な感じだなって」
「そう。上手くいくといいね」
言葉にあまり覇気がない気がする。いつもならもっとぐいぐいくるのに。やっぱり疲れているのかな。おれは自分の違和感を誤魔化すように笑顔をつくる。
「あのさ、やっぱ」
――鞄持とうか。
だけど、おれの言葉が言い終わる前に俊雄の声が飛んできた。
「お前ら! 早く来ないと置いていくぞー!」
いつの間にか俊雄達4人と、おれと瑠美で随分距離が出来ていた。
「やべ、ちょっと急ごう」
「うん、そうだね」
結局、瑠美の鞄を持つこともなく、おれ達は走り出していた。瑠美の足取りはしっかりとしていて、疲れているように見えたのはおれの勘違いなのかもしれない。そう安堵した一方で、違和感はちくりと刺さった棘のように残ったままだった。
春の空は爽快なくらいに青いのに。どこか寂しげなブルーに見えてしまう。おれは振り切るように走る速度を上げた。




