30 理想郷へのパレード
「ロゼッタを迎えるんだから、ちょっとサプライズがしたい!」
リュミエーラ国の偽者姫・ロゼッタ誘拐作戦決行直前。
リューグナーは、城内の地図を見直す真面目なドルチェに声をかけた。
「はあ?」と片眉を跳ね上げて不愉快そうにするドルチェを落ち着かせるため、リューグナーは笑顔で「まあまあまあ」と手を振る。
「ふざけてる場合? 明日、お姫様を誘拐すんのよ。あんたに人望がないせいで、たったふたりで!」
「大丈夫だって。ロゼッタは生け贄なんだから、絶対あっさり差し出してくれるよ。王様だって騎士団だって見て見ぬ振り。勇敢なのか、くそ真面目なのか、はちゃめちゃに優しい奴くらいしか攻撃なんかしてこないよ」
「……そうかもしんないけど。ていうか、サプライズってなんなわけ。誘拐される時点で相当なサプライズだと思うんだけど」
半眼になって呆れ倒しながらもリューグナーの話を聞いてくれるドルチェは、とてもいい部下だ。
リューグナーは胸を張って、得意げな表情を見せた。
「ロゼッタは俺に出会う前は自分が死ぬ瞬間だけが、『本当の自分』になれるときだって信じてたんだよ? そんなの悲しすぎるけど、ロゼッタにとって魔王に殺されるっていうのは晴れ舞台なわけ。俺はそれを奪うの。それって割と重罪だと思うわけだよ」
「……はあ。その価値観はよくわかんないけど、話が進まないからわかったことにしておくわ」
「ロゼッタの晴れ舞台。俺はイヤな魔王様を一発演じておこうかなって思うわけ。場所は玉座の間で、ロゼッタは椅子に座っててもらう。俺が適当にイヤーな感じのいかにも魔王って感じのこと言いまくるから、ドルチェは演出係として雷でも降らせといてよ」
「わざわざ怖がらせる必要なんてあるわけ?」
「怖がらせるっていうか、ロゼッタの『アンジュ』としての人生をそこで終わらせるためにはけじめが必要かなーと思ってさ。それに、第一印象がイマイチな方が後はあがる一方だし。俺のこときっと忘れちゃってるだろうからさ。好かれるために俺もがんばりたいわけだよ」
ため息をこぼしたドルチェが肩を竦める。
了承の返事はなかったが、この態度は「仕方ないわね」というサインだ。
「好かれたいなら、全部知ってることも、過去に会ってたことも言っちゃえばいいじゃない」
「ダメダメ。ドルチェも絶対言わないでよ」
「なんでよ」
不満げに唇をとがらせるドルチェに、リューグナーは微笑みを返した。
「ロゼッタが自由に生きられる世界が俺は欲しい。ロゼッタが忘れちゃった過去を最初っから知らされちゃったら、あの子はきっと責任を感じるでしょ。俺のことが好きじゃないのに、好きにならなきゃいけないっていう義務感を覚える。
だから、ロゼッタには伝えない。ロゼッタが俺の隣じゃない場所で生きたいのなら、そこで生きられるようにしてあげたい。そりゃ、俺だってロゼッタが俺の隣がいいって思ってくれるように努力はするつもりだけどね?」
「馬鹿ね。魔王らしく囲い込んで自分だけを愛してもらえるようにしちゃえばいいのに。義務感でもなんでも愛されたもん勝ちよ」
口調には呆れが含まれていたが、ドルチェの口元にも笑みが浮かんでいた。
リューグナーはくっくと喉を鳴らして「さて」とドルチェが見ていたリュミエーラ城の地図を手に取った。
「久しぶりに会えるのが楽しみだ。さ、ロゼッタを迎えに行こう」
*
「とっても綺麗よ。ロゼッタちゃん」
魔界式のウェディングドレスは、ロゼッタが知っている一般的なものと同じく真っ白なものだった。
ドレスを着させてくれたライラは、眩しいものを見るように瞳を細めている。
そんなライラの優しい表情にロゼッタはほほえみを浮かべて、鏡にうつる自分を見やった。
ドレスを纏った自分は見慣れていた。
立派な姫である『アンジュ』になるために毎日鏡の前に立った。
誰なのかもわからない。名前すらない『自分自身』ではなく、鏡の中の『アンジュ』を見つめていた少女は、もうそこには居なかった。
そこには確かに、『ロゼッタ』という名の少女が世界一幸せそうな表情を浮かべて立っていた。
立派な姫であるために、美貌を保とうと努力してきたが、その努力は本当は今日この日のためにあったのかもしれない。
そう思うと、孤独なリュミエーラ城での生活すらも愛しく思えた。
「リューグナー。今頃、緊張してどうにかなっているかもしれないわよ?」
「そうかもしれないですね。リュー様って、ああ見えてかわいらしい方ですから」
「あら。ロゼッタちゃんもリューグナーが実は緊張しやすいってわかっちゃったの? 隠してたでしょうに、かわいそう」
お互い顔を見合わせてくすくすと笑っていると部屋のドアがノックされる。
控えめなノックに首を傾げつつもロゼッタが返事をすると、ドアは恐ろしいほどゆっくりと開かれた。
何事かと若干身構えるロゼッタの隣ではライラが「あらあら」と口元を押さえている。
静かに開いたドアの隙間。
そこからひょこりと顔を出したのは、リューグナーだった。
「リュー様?」
ドアの隙間から顔を覗かせて固まっているリューグナーにロゼッタは戸惑いながらも声をかける。
そんなふたりを見やってライラはくすくすと笑いながら立ち上がった。
「許してあげて、ロゼッタちゃん。リューグナーったら、気が小さいから。結婚式でどぎまぎしないように、先にどぎまぎしに来たみたい」
からかう調子で言われた言葉はどうやら図星だったらしい。
ロゼッタに釘付けになっていたリューグナーはライラの言葉に「うぐ」と言葉を詰まらせて視線をそらした。
「ふふ。私もドルチェちゃんたちのお手伝いに行ってくるわ。仲良くね」
部屋を出るついでにリューグナーを室内へと追いやったライラが妖艶な笑みを残して部屋を出て行く。
パタン。と静かにドアが閉まった後。
ふたりはしばらく黙ったまま見つめ合い、その空気に耐えられずに微笑んでしまったロゼッタが先に口を開いた。
「リュー様。私、リュー様にプロポーズしていただいてから、少しおかしいんです」
「……え?」
ロゼッタを見たり、あわてて視線をそらしたりと忙しそうにしていたリューグナーが、ぽかんと口を開く。
「なんにもないのに、にこにこしてしまうんです。こう、唇の端がむにって。柔らかくあがってしまうんですよ。不思議だったんですけど、今日の式が楽しみでドキドキして眠れなかったときに気がついたんです。
私は幸せだからにこにこしてしまっていたんですね。リュー様とこれから先の人生を共に歩んでいけることを約束できるということが、幸せで幸せでたまらないんです」
言いながらもロゼッタの唇の端は、むにり、と柔らかくあがってしまっていた。
目尻はさがり、頬は薔薇色に。
ウェディングドレスを着たロゼッタの微笑みにリューグナーの緊張もほぐれていくようだった。
ぽかんとしながら話を聞いていたリューグナーは一瞬の間を置いて、くくっと喉を鳴らす。
それから、ロゼッタに歩み寄って、そっとロゼッタを抱きしめた。
「俺も幸せ。最高に幸せだから、ずーっとにまにましちゃって、ドルチェにキモがられてるんだ。恥ずかしいから秘密にしてってドルチェにはお願いしたんだけど」
「今私にバレちゃいましたね」
「ほんとにね」
ふたりで小さく笑いあって、抱きしめあったまま見つめ合う。
あまりの顔の近さに心臓が早鐘を打ったが、リューグナーの真剣な瞳を間近で見ていたら、逃げようだなんて思えなかった。
「ロゼッタ。本当は部屋に入って、まず言いたかったこと
。ちょっと遅れちゃったけど、言うね」
「はい」
「すーっごく、かわいい。綺麗! 最高だよ、ロゼッタ。大好きだ。ロゼッタが俺のお嫁さんなんて、本当に夢みたいで昨日は俺も眠れなかった!」
言いながら、リューグナーは子どものように破顔した。
無邪気な笑顔はとても眩しい。
胸が締め付けられるような愛しさが押し寄せる。
ロゼッタがつられて噴き出すように笑うと、リューグナーの笑い声も大きくなる。
しばらくふたりで笑いあってから、リューグナーはロゼッタの額に口づけた。
「結婚式とパレード。世界中から祝福されてるわけじゃないけど、でも、やっぱりこれは平和な世界への第一歩だと思う。これから俺が『立派な魔王様』になれるように一緒にがんばってくれると嬉しいな、ロゼッタ」
「もちろんですよ。『魔王様お世話係』ですから」
抱きしめあって体温を分かち合い、将来を思い描いて微笑んでからそっと離れた。
そのタイミングを狙ったかのようにドアを開けたのはドルチェだった。
結婚式とパレードがはじまる。
平和な世界への一歩をこれから踏み出す。
「俺はロゼッタのことずーっと愛してるよ」
「私も死んでも、リュー様のことを愛してますよ」
手を繋いで部屋を出たふたりが生きた世界は、後に『理想郷』と呼ばれる世界となった。




