第四話
食事が終わって、一行は宿を後にした。
遠ざかって行く山を背に、広い草原の道を足早に、4頭の馬が掛けて抜けて行く。
イリエカ神殿へ予定通り、2日目の昼頃に着いた。途中の町で一夜を何事も無く過ごし、道中も至って平穏であった。
イリエカ神殿を抱く場所は、かなり大きな街──いや、都市言うべきだろう──だった。城壁に囲まれ、門の中に入るには、検問を通らなければならないらしい。
検問を通るには通行書という物が必要で、それを持たないと、都市には入れない決まりだった。
リシェアオーガは2・3人前の商人らしき人物が、役人に何か渡している事に気付き、それが通行書だという事が、周りの人間の会話から判った。
「通行書って、持ってる?」
リシェアオーガの疑問に、フェリスが答えた。
「ええ、大神官の直筆の物を、私が所持していますよ。通行書は、神殿でも発行してますから。」
他にも発行している所があるらしいが、今は特に関係の無い事柄であったので、リシェアオーガは特別聞くような事はしなかった。
門では、黒尽くめの騎士と神官、そのお供の神官騎士達の姿はかなり目立ち、役人に不信がられたが、フェリスが渡した通行書を見た途端、彼等の態度が一変した。
大神官直々に発行されたそれは、強力な権限を持っていたらしい。
流石に、神殿の力が強い世界である。
丁寧に挨拶され、見送られた一行は、イリエカ神殿のある、イリューシカと言う都市の中に入って行った。
ここ、イリューシカは、流石に神が降臨している都市らしく、かなりの賑わいを見せている。
この世界特有の、白いレンガで作られた家々が所狭しと犇めき合い、広い道と狭い路地を飾り、その中央には、白に銀色の装飾が施されている大きな建物が、他を威圧するかの様にあった。
そこが目指す神殿だった。
門から真っ直ぐに伸びる大きな道は、迷う事無く神殿へ人々を導く。人と馬車、馬が行きかうそこは、一段と賑わっていた。
レンガで舗装された道の両脇に、様々な店が並び、そこに群がる人の波、人と馬車&馬が通る道は段差で区切られ、段差の脇には春らしく、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「珍しい物が多いけど、見物は後でゆっくりとね。取り敢えず、神殿に向かうよ。」
アルフェルトから掛けられた言葉に、リシェアオーガは頷いた。確かに初めて見る物が沢山あるが、馬に乗っている状態では、目立つ事この上無い。
その為、街の見物は、神殿で馬を預けてからでも遅くないと、判断した。他にも馬に乗っている者もいたが、幾分、黒尽くめ騎士と神官の組み合わせには、違和感があったらしい。
注目されている事に気付きながらも、無視を決め込んだ一行は、足早に馬を歩かせる。白亜の神殿が目の前に迫ると、4人は馬を下りた。
荘厳に佇むそれを、目の前にしたリシェアオーガは、無意識に左胸に手を置き、お辞儀をしていた。
彼の行動に、アルフェルトとルシェルドは驚いた。
「オーガ…何、やってるんだい?」
アルフェルトの言葉に、自らの無意識の行動に気付き、頭を掻きながら、小声で言った。
「…あ…つい、何時もの癖で…神殿に入る時は、大概、こうしてたもんだから…。」
「そう言えば、この間までは、庶民だったよな…。悪い、教え忘れてた。
神殿に所属している騎士は、ここで礼をしなくて良いんだ。」
周りに聞こえる様に、アルフェルトは話してくれた。彼が気を利かせて、成り立ての新米騎士が神殿前で、間違って礼をしてしまったという状況を、作ってくれたのだ。
まあ、正直な処、仮の身分としての騎士に成り立てだったから、嘘は吐いていないのだが…。
そんな遣り取りをしていると、神殿から、アルフェルトを同じ服装で、真っ白なマントを付けた騎士が数人、こちらに向かってやって来た。
他には目もくれず、真っ直ぐと彼等の元に近付き、フェリスに向かい頭を垂れる。
「フェリス神官様と、そのお連れの方ですね。我等の神殿にようこそ。」
先程の通行書の事柄が、既に神殿へ伝達されていたようで、それが彼等の態度に表れていた。
フェリスに挨拶をし終わった騎士達は、ちらりとアルフェルトを侮蔑した表情で見て、次にリシェアオーガの方を見ると、困惑した表情を浮かべていた。
恐らく、体をすっぽりと覆う、見た事も無い外套の色と、それを飾っている紋章の所為だろ。
何処の神殿の者か、判らないと言った風だった。
彼等の態度に、少し不快感を感じたリシェアオーガは、アルフェルトの方を振り返ったが、彼は何時もの事と、平然とした態度で受け流していた。
『成程…アルが言った事は、この事か…。
では、私が破壊神の騎士だと知ったら、此奴等は、どの様な態度を取るのか、楽しみだな。』
そんな事を考えて、一瞬、不敵な笑みを浮かべたリシェアオーガに、白い騎士の一人が尋ねてきた。
「お前は、何処の神殿の者だ?見た事もない色の外套だが…。」
リシェアオーガが返答をするより先に、フェリスが答えた。
「イリエカ神殿の方々、今の態度は失礼ですよ。この御方は聖騎士様です。
貴方々がその様な、下の者に掛ける言葉を使って良い御方では、ありません。」
きっぱりと言い切る神官に、神殿騎士は驚愕の表情を浮かべた。
フェリスの目は、『何も言われませんように。』と、リシェアオーガに訴えていた。
先程浮かべた笑みの意味を見抜き、なるべく穏和に、話を進めようとしたのだ。
「この御方には、訳有って、一緒に来て頂きました。
神殿にいらっしゃるイリーシア様に、至急、御取次ぎを御願いします。」
フェリスは、ルシェルドにも目配せをして、無言でいる様に促した。ここで彼の正体を明かして、周囲を混乱させる訳にはいかなかったからだ。
それを承知しているルシェルドも、始終、一言も言葉を喋らなかった。
「御無礼を、聖騎士様。早速、イリーシア様に御取次ぎ致します。」
素早く、リシェアオーガに非礼を詫び、彼等は神殿の中に入って行った。
彼等と入れ替わりに、案内役であろう神官が、一行の前に現れた。そして、フェリス達と簡単に挨拶を交わし、神殿の中に招き入れた。
一般の民人が入る入り口とは別の、神殿関係者が使う入り口から入ったそこは、質素な佇まいを見せていた。
表の荘厳な作りから想像出来無い佇まいは、確かに、ここが神殿なのだと感じられた。
「表と違って、こちらが本来の佇まいになります。
表は、参拝者の方々が建てられた物なので、ああいった形になってしまいました。」
少し苦笑いをしながら、案内の神官は、そう説明をした。
如何やら彼は、表の作りが気に入らないらしい。基本、この世界の神官達は、贅沢を好まない様だ。
それは、リシェアオーガの世界の神官にも、言える事だった。
案内の神官に通された部屋は、ルシェーネ神殿と同じ様式の物だった。白を基調に白銀の装飾がしてある調度品は、やはり華美では無く、質素な物だった。
白いチェストに毛足が短い白い絨毯、部屋の中央に置かれた、大きなソファもこれまた白。
「…雪の中にいるみたいだ…。」
ぼそりと、リシェアオーガは、見た目で思った事を口にした。それを受けて、ルシェルドが説明をした。
「イリィの…イリーシアの色は白銀だが、それだけでは華美になりすぎると言われる為、この色が使われる事が多い。まあ、お前の意見は、言えて妙だが…。」
穢れの無い色である白は、時に寒々しく見える。それが目の前に広がっているのは、何とも言えない気分だった。
「確かに、雪の中みたいだね。でも、寒くはないと…思うけど…。」
視覚の寒さを否定しようとして、アルフェルトは、語尾を濁してしまった。仕方の無い事だったが、擁護が出来無かったらしい。
ルシェーネ神殿の場合、家具は白でも、絨毯の色が薄緑の絨毯で違っていた為、左程、寒々しく感じなかった。
だが、眼前の一面の白は…ちょっと寒かった。
言葉を失くした一行は、居心地悪く感じる部屋で、座る事無く立ち竦んでいた。
その部屋に、近付いてくる足音が聞こえて来た。先程の神官とも、騎士達とも違う足音に、リシェアオーガは思わず警戒する。
成人男性、音からしてルシェルド位の背丈と体格、いや、音の主の方が、幾分体格が良いかもしれない。
そう察したリシェアオーガは、何時の間にか、剣に手を伸ばしていた。その様子に気付いたアルフェルトとフェリスに、ここは一応、安全だと言われた。
2人の言う通りとは思ったが、永年染み着いた行動は、早々に消えるものでも無い。彼は警戒しつつも、剣から手を放した。
それと同時に、部屋の扉が力強く開け放たれた。
扉の外には、一人の男性がいた。肩に届くか、如何かの豪華な直毛の金髪と、青空を映したかのような青い瞳、少し日焼けしたような肌に、見るから明るそうな性格が伺える男性。
その背は、ルシェルドとあまり変わらず、リシェアオーガが察したように体格は、男性の方が良く、筋肉質に見えた。
服装はルシェルドの物を白にして、金糸の刺繍を施された物を纏っていた。少々華美な衣装であったが、その男性には良く似合っている。
「良く来たな、ルシェルド。」
軽快で、良く響く低めの声が、部屋に響き渡った。その態度からして、ルシェルドの知り合いの様であっる。
「エル…エルシア、お前が、何故ここに?」
男性の姿と声を認識したルシェルドから、ここに居る神以外の名が告げられた。
アルフェルトは例の騎士の敬礼をし、フェリスは、ルシェルドに対してしていた敬礼を施す。
リシェアオーガは…と言うと、何もせず、そこに佇んでいた。
「イリーシアの体調が、思わしくなくてな。心配で、ここに来た。
それはそうと、お前…何時の間に、騎士を従えたんだ?」
じーっと、敬礼もしないリシェアオーガを見つめ、おやっと、エルシアと呼ばれた男性は首を傾げた。
「おい、ちゃんと神に対しての、敬礼の仕方位、教えとけよ!」
ルシェルドに、リシェアオーガの態度を注意しするが、敬礼をしない本人の方が口を開く。
「私は、ルシェルド様のみに仕える身、かの御方以外、敬礼する心算はございません。」
厳しい目で相手を見つめ、きっぱりと、リシェアオーガはそう返答した。
その行動に、エルシアは怯んでしまった。
ルシェルドは、面白そうにそれを見ていたが、助けろと言わんばかりの目をエルシアから向けられ、仕方無くリシェアオーガに言った。
「オーガいや…リシェアオーガ、エルは一応、これでも太陽神だから、軽い敬礼をしてやってくれ。」
「我が神が、望むなら。」
と言ってリシェアオーガは、エルシアに軽く頭を下げた。満足したらしいエルシアは、フェリスに気が付いた。
「…確か、フェリスだったよな。お前、生きていたんだ…。」
「はい、渋とく生きていますよ。体の老化は、全く進んでいませんが。」
しまったと、自らの口を押えたエルシアだったが、他の2人、アルフェルトとリシェアオーガの反応が無い事に気が付き、目を白黒させていた。
フェリスは、にっこりと微笑みながら、二人がこの事を知っている事を告げた。
ほっとしたエルシアは、話を続けた。
「ルシェルド、お前が騎士を従えて、神殿を出たという事は、巫女が身近に出現しなかったんだな。」
「その事は、後で話す。取り合えず、イリィに会いたいのだが…会えるか?」
「ああ、今、まだ本調子ではないが、会えない事はないな。」
そう言って、エルシアは、彼等を部屋から連れ出した。白に囲まれた廊下を、奥へ奥へと進み、最奥であろう部屋に案内した。
先程の部屋より大きいそこは、白銀で装飾された白い家具と、薄い桃色の絨毯に囲まれていた。
その窓際に、人が2人位寝れそうな、白い天蓋付きの寝台が鎮座していた。寝台の上には、銀色の光を紡いだような髪を持つ女性が、横になっている。
力が弱まり、寝台から起きれない女神が、訪問者達と話が出来るか、些か疑問ではあったが…。