第五話
「イリーシア、ルシェルドが来たが…起きれるかい?」
エルシアの呼び声に、寝台にいる女性はピクリと動き、ゆっくりとその身を起こした。
腰より下に伸びた銀色の髪と、闇夜を映したような黒の瞳の、か弱き女性…いや、まだ少女と言うべき姿の神だった。彼女の姿は、リシェアオーガと同じ年か、下の様に見受けられた。
その瞳は悲しみを湛え、エルシアを見つめている。
「…エルシア兄様…。」
高くか細い、少女らしい声がその口から発せられる。涙で潤んだ瞳で、ルシェルドとリシェアオーガを捉えると、途端に、その滴が零れ落ちる。
その様子にエルシアは、オロオロし出し、ルシェルドは溜息を吐いた。
「…ごめん…なさい…。」
零れる涙に、途切れる謝罪の言葉…。
その言葉の意味を理解したのか、リシェアオーガが彼女に近付いて跪き、目線を少女に合わし、その涙を指で触れる。
「そなたが謝る事では、無い。」
「私には…どうする事も…できない…、貴女を助ける事も…その役目から…、死と言う運命から…逃がす事も…できない…の…。」
リシェアオーガの豹変した態度と、妹の言葉に驚いたエルシアは、ルシェルドとフェリスの方を向いた。
頷いたルシェルドの態度でエルシアは、【生贄の巫女】が、イリーシアと対峙している者だと気付き、再びリシェアオーガの方を見た。
心配はいらない、自分は死なないと優しげな微笑を浮かべ、答えるリシェアオーガに、エルシアは叫んだ。
「馬鹿なことを!人間はいずれ死ぬんだ!!そんな嘘はやめろ!!」
「オーガ様は、治癒の力を御持ちです。怪我で、御命を落とされる事はございません。」
フェリスの確信に満ちた言葉に、エルシアは怒りを浸透させた。再び口を開こうとした時、ルシェルドが告げた。
「初見で私が喰らい付き、大怪我を負わせてしまったが、一瞬で完治した。その時死んでも、可笑しくない程の、怪我だったのに…な。」
「な…っ…」
聞かされた事実で、エルシアは更に驚愕した。そんな力を持つ人間は、この世界にはいない。
驚いたのはエルシアだけで無く、イリーシアもだった。
本当ですかと尋ねながら、眼の前のリシェアオーガを凝視した。
先程の笑みを浮かべたまま、リシェアオーガは無言で頷いた。信じられないという表情のイリーシアに、リシェアオーガは告げる。
「我は生まれながらにして、治癒の力を持っている故、怪我は治せる。だが、病気は無理だ。治療の仕方が違うからな。」
「でも…」
「大丈夫だ。体は丈夫な方故、病気知らずだ。」
白く華奢な手を取り、彼女の目を見つめながら、リシェアオーガは言った。彼の気持ちが通じたのか、安堵の笑みを浮かべたイリーシアは、自ら頬を伝う涙を静かに拭う。
その笑みは、リシェアオーガにとって、身近な者達の姿と重なった。髪の色、瞳の色は違うのに、何故か似ている様な感じを受ける少女神。
無意識に右手を伸ばし、左頬に触れ、何時もの癖で頭の左側に手をずらし、優しくそこを撫でていた。
イリーシアも一瞬驚いた顔をしたが、慰める時に兄がしている事と、同じ目的の行動だと気付き、その行為に身を委ねていた。
やがて、彼女の瞼がゆっくりと閉じて行き、リシェアオーガの胸に体が傾いていく。
イリーシアの頭を、優しく抱き留めたリシェアオーガは、兄と呼ばれたエルシアに目を向けた。複雑そうな顔のエルシアは、どの様な言葉を掛けようか、迷っていた。
視線をイリーシアに戻し、彼女を寝台に寝かしつけた。
彼女を起こさない為、一同は、場所をイリーシアの寝室から、隣の彼女の居間に場所を移した。
彼女の居間は、寝室と同じ白い家具と薄桃色の絨毯で、構成されていた。
居間に入った途端、リシェアオーガは、ゆっくりと太陽神に向かっていた。
「おい、そこの太陽神とやら、誰が我を巫女に選んだか、知っているのか?」
「…ルシェルド…今回の巫女は…神を敬うという気はないのか?」
「知らん。最初から、この口調だ。然も、神と分かっても変わらん。」
リシェアオーガの口調に、悪態を吐く二人の神だったが、リシェアオーガの横では、フェリスが声を押し殺して笑い、アルフェルトが跋悪そうに頭を掻いていた。
「…質問の答えに、なっていない様だが…答える気は、あるのか?」
不機嫌な声で告げるリシェアオーガに、エルシアは、知らんと短く答えた。つまり、イリーシアでない事を暗に伝えていた。
「イリーシアなら、知っていると思うが、今は眠っているからな。…っておい、俺からの質問にも、答えろ。」
「もう一回、同じ答えを聞きたいらしいな。
我が神々以外に、敬う気はない。我が敬うは、我が世界の神々のみ。」
「という事は…この神官と同じか!」
フェリスを指して、エルシアは言い放った。
しかし、フェリスは、この世界の神に対して敬礼をし、敬語を使うのでリシェアオーガより、かなりましだろう。只、最敬礼だけは、絶対にしないが…。
女の神官?と言う、エルシアの呟きが聞こえたが、女性なら、巫女もしくは聖女だと、リシェアオーガは返した。
すると、エルシアは上から下まで、舐める様にリシェアオーガを観察し、首を傾げた。
巫女に選ばれたとはいえ、女性らしさが、微塵にも感じられない身体付き。彼の疑問を察したのか、ルシェルドが簡単に説明した。
「男と女を兼ね備えた、両生体だそうだ。
普段は、性別のない体を好んで、しているそうだ。」
「男にも女にもなれる体か…便利だな…って、ちょっと待て、男にもなれるってことは…
勝手に、イリーシアに触れるな!」
エルシアの忠告(?)を耳にしたリシェアオーガは、一瞬、きょとんとした顔をしたが、何かに気付き、吹き出した。
「安心しろ。月神には、そういう気持ちで、触れた訳では無い。向こうの姉妹達に似てた故、無意識に慰めただけだ。」
「確かに…イリーシア様は、リーナ様とミュリナフィーナ様、アフリス様に、似ておいでですね。特に、妹君のミュリナフィーナ様とアフリス様が泣かれた時には、同じ事をされてましたし…。」
妹達をあやすリシェアオーガの姿は、ルシェルドにも、アルフェルトにも想像出来無かったが、エルシアだけは納得した。
兄という者は、妹に泣かれると弱い。如何にかして、妹の涙を止めようとするのが常で、エルシアの場合、頭を優しく撫でるのだが、リシェアオーガの場合、先程の行為だったのだ。
「オーガって、兄弟がいたの?」
先程の、光神との会話を聞いていたアルフェルトが、リシェアオーガへ尋ねた。それに彼は答える。
「兄が一人、妹が二人、それと、私と双子の兄弟がいる。
その内、月神と同じ色の髪になれるのが、双子の兄弟…私の半身と、末の妹だ。」
「??同じ色の髪に…なれる??」
リシェアオーガの返答で、今度はエルシアが疑問を口にし、これにも答える。
「向こうの世界では、光髪と言って、昼間は金色、夜は銀色に変化する髪がある。
光神の恩恵を受けた者が、持つ特徴の一つだ。」
リシェアオーガの口から、【光神】という言葉聞いて、エルシアは疑問に思った。
すると、ルシェルドから、月神のイリーシアと太陽神のエルシア、二人分の力を持つ神だそうだと説明を受けた。
納得したエルシアは、ふと、リシェアオーガを見つめ、思い立ったことを口にした。
「もしかして、お前も、光神の恩恵を受けてるのか?」
「お前じゃあない、リシェアオーガだ。一応、受けている形にはなる。
今は、色を固定しているがな。」
「…これが、光神の恩恵を受けてる者か…だから、そんなに厚顔不遜なのか…。」
「…関係無い、元々の役目柄故の、普段の態度だ。」
普段と変わらないと、リシェアオーガは告げたのだが、エルシアは人間なのにと思った。しかし、ふと、ある事に思い至ったらしい。
「ああ、そうか、王族か…。正式な名は?」
「リシェアオーガ・ルシム・フェムア…」
「リシェアオーガ・ルシム・リュージェ・ファムエリシル様です。」
リシェアオーガが言い終わる前に、少し怒った風なフェリスが、言い放った。周りの者達の視線が、一斉にフェリスに集まったが、彼は依然として、怒りの表情を浮かべていた。
「…ええっと、確かこの前は、リシェアオーガ・ルシム・フェムアリエって、名乗ったよね。
この名前は、偽名なの?」
フェリスの怒り(?)に困惑しながら、アルフェルトがした質問に、さらっと、リシェアオーガは答えた。
「偽名では無い。どちらも私を示すもの。まあ、一般的なのはフェリスの方だが。
他にもあるが、知りたいか?」
「…他にもあるの?!いったい、幾つ持っているの?」
「後2つ程。まあ、役職名みたいな物だ。神官とか騎士とかと、同じ…な。」
役職名と聞いて、アルフェルトとエルシア、ルシェルドは納得した。
「でも、正式には、リシェアオーガ・ルシム・リュージェ・ファムエリシル様です。」
きっぱりと言い切るフェリスに、リシェアオーガは苦笑し、やはり、王族かと一人納得するエルシア、ルシェルドは全く動じず、アルフェルトだけは困惑していた。
今までのオーガの行動で、王族と言う考えは浮かばないでもないが、何かが違うと感じていた。
フェリスの、リシェアオーガに対する行動と態度を見て、そう思ったのだ。
何時ものフェリスは、優しいが心配性な所がある。だが、リシェアオーガに対しては、心配する所もあれば、信じ切っている面と、きっぱりと諌める面もある。
そして、甲斐甲斐しく何かと世話をしようとし、時折リシェアオーガを見ては、懐かしくも、嬉しいという表情を見せる事が多いのだ。
向こうの世界の知り合いというだけでは、考えられないし、王族に仕える神官とも言い難い。
ふと、アルフェルトの脳裏に、ある事が過ったが、彼は直ぐ様それを否定した。
リシェアオーガの纏う気配は、人間の物である以上、有り得ないからだ。
全く…この御仁…得体の知れない、異世界からの来訪者(?)であった。




