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終末医療という怪物

Aさんが危篤状態に陥った。酸素吸入と点滴が施された。

終末医療、というものについて僕は看護婦から口酸っぱく説教を受けた。看護婦だけではない。他の介護士(上司)からも叱責を受けた。どいつもこいつも、異口同音に言う。

「ヤスタカ君は頑張り過ぎだ。君が頑張っているのは分かるが、気持ちは分かるが、あの人はもう末期なんだ。もう自然に逝くのを待つしかないんだよ」

Aさんは家族から、医師の受診や入院を拒否されている。家族曰く「自然に逝かせてあげたい」との由。それを受けて、施設も、看護師も、介護士も、ひいては世間も、彼女(Aさん)を見捨てている。

地球上のすべての人間から見放された人間、ということになる(と思う。少なくとも僕はそう思っている)。

耳を澄ませば聴こえる。「金を食いつぶすだけで何ら使い物にならない人間は、さっさと死なせろ」。あるいは幻聴かも知れない。

しかし、僕は、その一点において執着していた。妄執である。



該ブログの読者であればご承知の通り、僕は博愛主義者ではない。どちらかといえば最低最悪の人間だ。平生から、地球上の人々が何万人死のうが知ったことではないと思っているし、いっそ人類など滅んでしまえばいいと思っている。道端ですれ違っただけの人間に対して「死ね!」と胸裡で毒づくこともある。

だのに、いま僕は、目の前にいる、この世のすべてから見放された一人の老女を捨て置けないでいる。

俺はいったい何がしたいのか。自分でも分からない。

ただひとつ、言えることがある。僕はある予見している。もし、僕が、このすべてから捨てられた人間を、この僕が見捨ててしまったら、僕はこの後の人生において、もはや何も信用できなくなるであろうことを。


人生。


それは価値あるものでなければならない。大切にされなければならない。

もし、そうでなければ、僕は今後、いったい何を指針に生きていけばよいのだろう。

人生というものが、所詮、最後にはボケて頭がおかしくなって何もかも分からなくなって、身体の自由も利かなくなって、この世のすべてから見放され、独りぼっちで、何の意味もなく、死ぬものだとすれば。そしてあっという間に風化し、忘れ去られるものだとすれば。


僕は自殺するしかないのではないだろうか。


生きていても仕方がない。長引くほど辛いだけだ。その動かざる事実を、僕は厭というほど知っている。しかし、それを、精神安定剤と酒で誤魔化している。そうやって生き延びている。生きていたくはないが、死にたくもない。よくある若者の感情である。「行きたくもないが、死にたくもない」。青臭くてくだらない。しかし認めたくはないが、それが今の僕の人生である。

そうやって、だらだらと惰性だけで生き抜いて、二十六歳になった。



目の前に死にそうな人がいる。

何の意味もなく。

もし彼女が死ねば、報告書を書いて、出棺して、葬儀をして(介護士は不参加)、部屋の掃除をして、次の入居者が来て、それで終わりだ。彼女は生きてきた意味がない。甲斐がない。おそらくは。

最近、僕はよく『ライ麦畑でつかまえて』を思い出す。ライ麦畑の崖から落ちそうになる子供を捕まえる仕事。この話は、「子供」だから共感を生む。しかし、僕の目の前で崖から落ちそうになっているのは九十歳の老婆だ。誰一人として、彼女を救おうとは思っていない。




上司が言った。「ヤスタカ君は、もし、延命治療を受けられるとしたら、どうするの?」

僕は即答した。「すぐに死なせてほしいです」(大体、酒と薬に溺れている僕が、五十歳まで生きていられるとは思えないが)。

僕自身、生きていたくはない。そして、危篤状態のAさん自身も、生きていたいとは思ってはいないのかも知れない。

それでも僕は見苦しく足掻いている。ここから先は介護士としての仕事ではない。これは僕のエゴだ。人生とは何なのか。その一端を知るための、僕のエゴなのだ。



目の前の、今にも死にそうな人間を助けようとすることが、そんなに悪いことなのか。

僕には分からない。もう、本当に、分からなくなってしまった。

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